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「……カボチャと鶏肉のグラタンを作ります」
「どうして」
突然ライに宣言されたことに、アリーナは戸惑う。
「21番は私の料理だと信じてないんでしょ」
「信じるもなにも……」
アリーナは料理を作る男性など見たこともない。普通の家庭は母親が料理を作るものだし、貴族でも料理番は女性だ。外食をしたとしても、コックは女性だ。
男性が料理をするなど……聞いたこともない。
「待っていてください」
待っていろも何も、アリーナはここにいる義務も何もないわけなのだが、アリーナは大人しく待つことにした。
家に帰ってから両親にどう苦情を言おうか考えることにしたからだ。
「アリーナ嬢」
ライの声でアリーナの意識が浮上する。何通りかの報復をぼんやりと考えているうちに、眠ってしまったらしい。
人のうちで眠るなどあまりにも気を抜きすぎだし、女性としても危機感が無さすぎる。貴族の令嬢としても、はしたないと言えるだろう。
でもアリーナは覗き込んでくるライの顔をぼんやりと見ていても、焦ることはない。
何よりアリーナとライの間に艶やかなことにつながる欠片の一片も存在しないとアリーナは納得しているからだ。
何よりも、料理の腕が悲惨、ということだけで、そういう対象にならないことは重々承知している。
だからこそ、今の今までアリーナには婚約者と言える存在がないのであり、一人で暮らしていけるようにと今の仕事を選んだのだ。
「ごめんなさい。寝てしまったみたいね」
そう言ったあと、鼻に届いた匂いに、ぼんやりとしていた意識が完全に浮上する。
「いい匂い」
アリーナが今まででかいだ匂いの中で一番美味しそうな匂いだと鼻をクンクンと動かすと、クスリと笑われて、そこにライがいることを思い出す。
「どうぞ、ご賞味ください」
いつのまにか、ライの手には、湯気をさかんに出す黄金色を濃くしたような焦げ目が美しい 食べ物の載った皿がある。
「……本当に作ったの」
「確かオーブンに入れるまえは起きてたんじゃなかったかな?」
確かにアリーナは、オーブンに入れる前、手早く作られるソースやリズミカルな包丁の音を聞いていたのは間違いなくて、そして料理をしていたのが間違いなくライだったことを見ている。
「そうね」
あそこまで見せられて、この料理がライの作ったものではないと言えるほど、アリーナはひねくれてはいない。
「頂きます」
小さな皿とスプーンを受けとると、アリーナはパリパリとした表面にスプーンを入れる。
ザクッと小さな音の間から、新しく湯気が漏れ出す。
その湯気ごとスプーンですくいとると、スプーンを追いかけるようにチーズが追いかけてくる。
「熱いから気を付けてください」
ライに言われなくてもそうするつもりでいたけれど、アリーナは湯気を吹き飛ばすように息を何度か吹き掛ける。
でも、鼻をくすぐる匂いに、アリーナは我慢ができなくなる。熱いのを熱いまま食べるのもまた美味しいのだと、冷めるのを待ちきれなくて口を開く。
パクリと口に含めば、やはりまだ冷めているわけもなく、しばらく熱さに身悶える。
口の中で耐えて耐えて、ようやく噛み始めた頃には、口の中はじんじんしていた。でも、ベシャメルソースの美味しさも、カボチャの甘さもホクホクさも、その痺れでは損なわれることはなかった。
「おいしい!」
アリーナはコクリと飲み込むと、それ以外の言葉を選ぶ必要はなかった。
純粋においしいのだ。
「そう、良かった」
「……確かに21番のベシャメルソースは、あなたが作ったみたいね。……こんな味が出せる人がそうそういるとは思えないし」
そうは言いながらも、信じられない気持ちでライを見る。
「……嫌悪するわけじゃないんですね」
「どうしてこんなおいしいもの作れる人を嫌悪しないといけないわけ」
アリーナがライに向ける視線は、尊敬の気持ちが乗っている。信じられなくはあるが、こんなおいしいものを作る人間をアリーナが尊敬しないわけがない。自分ができないから尚更。
「男が料理をできるって点で見下してくる令嬢もいますよ」
ライが肩をすくめる様子から、既にそれを体験はしてきているようだ。
「……ふつうじゃないから。でも、同じように頭があって手があって口があって味覚もあるなら、男性が出来てもおかしくはないのよね。……私が出来ないのと同じように、男性でも女性でも料理をできる人もできない人もいる。……当たり前のことなのに、何で考えてもみなかったんだろう?」
「……女性しかできないと思ってるから」
「そうね。その思い込みは撤廃すべきね」