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番外編3

「ね、アリーナ。あれは何?」


 出勤してきたガイナーに問いかけられて、アリーナは渋々顔を上げる。


「見てわかりませんか?」


 アリーナのうんざりした声に、ガイナーはどうやらその前にあったひと悶着を想像する。


「わからないから聞いてるんだけど」

「…うちの主人です」


 それだけ言うと、アリーナはまた書類に顔を向ける。


「そんなの見ればわかるわよ。どうしてライ様がうちの部署の端っこに立ってるのか、って聞いてるの」

「集中したいので本人に聞いてください。あと、追い出してくださって結構ですから。私には無理でした」


 アリーナは顔も上げずにそう言い捨てる。“私には無理でした”という言い方は本当にその作業が困難でアリーナが途方に暮れただろうことを端的に示していて、ガイナーはため息をつきつつ、部屋の隅に…入口の横に立っているライに近づいた。ガイナーは部署に入ってきたときは気付かなかったのだが、自分の席に座ろうとして、その違和感のある人物の存在に気が付いた。ガイナーがすぐには気が付かないくらいライは自分の存在を消していたということだ。騎士としてそんなことも必要なのかもしれないが、少なくともここで発揮する能力ではないと思う。


「ガイナー室長、他の人間の集中を欠くから黙ってここにいてくれと言われて挨拶が遅れて申し訳ない。それに不在時に許可も得ず滞在して申し訳ない」


 ライはガイナーが足を向けるとすぐにお辞儀をし、ガイナーが近づいてくるのを待っていた。それは、他の人間がいる場所で大っぴらに理由を述べたくないのだろうということをガイナーにも想像させたが、どうやら邪魔だから黙って隅にいるようにとアリーナに言われたのが理由らしかった。


「えーっと…。」


 ガイナーも職場に張り付く配偶者というのは初めてで、どう対処したらいいのか瞬時に判断ができない。

 それに、ガイナーが思っているライ像とはかけ離れているため、戸惑いも大きい。


「外でちょっと話しましょうか?」


 ガイナーの提案に、ライが首を横に振る。


「アリーナから目を離したくないんです」


 一体何が…。ガイナーは頭をかく。そうしてようやくライのOKが貰えそうな提案を思いつく。


「私の机のところで話しましょうか。」


 ガイナーはライを自分の机の場所に誘導する。間違いなくアリーナは見えるし、ガイナーが話を聞くには適当な場所だ。


「申し訳ない」

「…おかえりいただくという選択肢は?」


 はた、とガイナーも我に返る。申し訳ないと思っているのならば、とガイナーは退出を勧める。本来ならガイナーがライの話を聞く必要もない。


「とりあえず今日はない選択肢ですね」


 が、ライにはにっこりと笑われて拒否された。ガイナーは頭が痛い。


「室長命令で退出を命じることは可能ですが」

「何か探られたくないことでもあるんでしょうか?」

「いや、普通に帰ったらどうでしょうか。」


 特に探られても困ることはない。困ることはないが、一般的な意見をガイナーは言ったつもりだ。


「いえ。帰れません」

「…とりあえず、話を聞きましよ」

「ありがとうございます」


 どうやらこれ以外にガイナーの選択肢はないらしい。ライに椅子をすすめると、ガイナーは自分の席についた。


「で、どうしたのかしら?」

「アリーナの眠気がひどいんです」


 は?

 ガイナーは呆れた声を出さなかった自分を褒めた。目の前のアリーナを見つめるライの顔は真剣そのものだ。呆れたような馬鹿にしたような態度を取れば、それがどんな刃になって戻って来るのか、想像もつかない。


「…そ、そうなの。体調が悪いのかしら?」

「そうみたいですね。ムカムカして食欲がないとも言っていますし…。月のものも遅れているようで…。」

「それって…。」


 新婚の二人が居て、嫁が眠気を覚え、吐き気がして食欲がない。それに月のものが遅れていると言えば。

 ガイナーの頭には、一つの選択肢しか思い浮かばなかった。


「だと、思いますか?」


 ガイナーが肝心の言葉を出していないのに、ライはそれを念押しするように言葉を重ねてくる。


「…そうじゃないのかしら。」


 ガイナーはアリーナに視線を向けて、さっきは気が付かなかったが、その横顔が心なしか青ざめているように見えてきた。


「だと思いますよね。アリーナは違うと言っているんですが、違ってないと思うんです」


 うん、うん。と力強く頷くライがいささかうざったい気もしたが、アリーナはまだ否定しているようだがどうやら妊娠したらしい新妻を心配して職場に押しかけて来たらしいとガイナーは納得する。

 が、いやいや、とガイナーは首を振って、我に返る。


「…ライ様は、その期間ずーっとアリーナに張り付くつもりなの」

「今日は、たまたま非番でしたし…妊娠初期は何かと不安が多いと聞いたことがあったので。勿論仕事がある日はこんなことはできませんよ。したいですが」


 …いっそライの執務室にアリーナを連れて行けばいいんじゃないか、とガイナーは思ったが、それはアリーナから拒否されてしまうだろう。


「そんなこと言ってたら、だれも働けなくなるわ。しばらくは仕方がないんじゃないかしら。…あまりにも体調が悪いようだったら休むしかないと思うけど」

「今朝も調子が悪そうだったから、休むように言ったんです。本当は今日はアリーナに休みを取ってもらって医師の所へ連れて行きたかったのですが、アリーナが仕事に行くと言いはるから…。」


 切なそうな表情でアリーナを見つめるライは、本当にアリーナが大切なのだと思う。

 思うが、何といってもまだ始業前とは言え仕事だ。部外者のライがずっと居られるのは困る。


「調子が悪そうだったら、私が帰るように言うわ。…ですから、ライ様はお帰りいただける?」


 ガイナーの言葉を聞いていたはずのライが、急に立ち上がる。

 見れば、アリーナが席を立ち、急いで部屋を出ていくところだった。


「ちょっと、失礼。」


 ライが慌てたようにアリーナを追いかけていく。ガイナーは万が一のことを考えてライを追いかけた。人手があったほうがいいこともあるかもしれないと思って。

 金庫番の部屋を出ると、ライが厠の前にたたずんでいた。

 アリーナは吐き気を催して厠に走りこんだのかもしれないと、ガイナーも納得する。


「…入ってはダメでしょうか。」


 どう考えても駄目だろうとガイナーは思う。いつもは理知的なライが、アリーナのことになるとこんな風に取り乱すのかと知って、ついクスリと笑いが漏れる。


「どうして笑うんですか」

「ごめんなさい。でも、流石に厠に入るのはダメだと思うわ」

「…ダメでしょうか。」


 はぁ、と大きなため息をつくライの姿が、ガイナーにはおかしくて仕方ない。


「駄目でしょうね」


 こんなライの姿を見たら、どの人間でもライがあんなことを画策したのだとは信じられないだろうと思う。

 まあ、あれも、一重にアリーナのためにやったんだから、ライがどれだけアリーナのことを好きなのかがよくわかるというものだ。


「…あの、何を?」


 厠から出てきたアリーナが、前に陣取る二人を見てぎょっとしている。


「大丈夫ですか」


 ライがアリーナの手をつかんで顔を覗き込む。


「…大丈夫よ。本当に心配なんていらないから帰って」


 アリーナが照れたような表情でライに帰るように要請する。


「でも、吐き気を催したんでしょ」


 心配そうなライの声に、アリーナが、は? と顔を向ける。


「吐き気?」


 全くもって何のことだかわからない、という返事をした後、アリーナが、ああ! と何かを思い出したような表情をする。


「だから、妊娠はしてません」


 え? 

 ガイナーはアリーナにはっきりと否定されたことに混乱する。ライは妊娠していると言っていなかったか?


「だが、吐き気とか…眠気があるとか…。月のものが遅れてる…。」 


 アリーナが慌てたようにライの口をふさぐ。


「それは…時折あることです。結婚してからなったのは初めてですけど」

「それは、何の病気ですか」

「病気じゃありません」

「そんなわけがない」


 しがみつくライに、アリーナがほとほと困り果てた表情でガイナーに助けを求めてくる。

 妊娠はしていないが、ムカムカしたり、眠気があったり…。でもアリーナは妊娠していないと確信はしているようだった…。

 ガイナーは、ようやく正解にたどり着いて、なるほど、と思う。付き合っている期間がほとんどなく結婚したライとアリーナの間では、まだそう言った話はナイーブでできていないのかもしれない。


「私は戻るから、ライ様にきちんと説明してあげて」


 結婚して何年にもなるガイナーは、ようやくアリーナの症状に納得して、部屋に戻る。もしかしたら腹痛もあったのかもしれないが、ライをそれ以上心配させないために口にしていなかったのかもしれない。

 やれやれバカップルに巻き込まれちゃったわ、とガイナーはクスリと笑いを漏らす。

 ライがアリーナの生理前の症状で妊娠を勘違いするとは。月のものが遅れていたから猶更なのかもしれないが。ライはきっと舞い上がってしまっていつになく暴走したのかもしれないな、としか思えない。

 ガイナーは自分の席に戻りながら、本当にそうなった時のライ対策をしておかなければ、鬱陶しいことに巻き込まれかねないと思い至る。

 ガイナーはとりあえず“部外者が仕事と関係なく立ち入ることを許可しない”という文言を思いつく。はたしてそれがどれだけの効果を果たすのかはわからないが、今日みたいな出来事は避けられるだろう。


 たぶん。

 

 そうしか言えない自分に気付いて、ガイナーはため息をつく。

 ライのアリーナへの執着ぶりが、思った以上だったことが今日のことで充分理解できた。きっと、ライはガイナーの想像の上を行く方法を取ってくるだろう。

 最終手段は仕事を持たせたアリーナをライの執務室送りにするしかないだろうと結論付ける。

 それがきっとお互いに平和的解決だろう。


 たぶん。



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