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番外編1

 瞼がピクピクと動き出すのと、鼻が小刻みに動くのは、ほぼ同時だった。

 スパイシーな香りに、アリーナの意識が浮上する。

 暗い中でうっすらと明かりに照らされる見慣れない天井に、アリーナは一瞬ここがどこだったかを思い出せない。

もぞっと動くと、アリーナの肌がそのままシーツを擦って、アリーナは自分が何も身に着けていないことを理解する。


 そしてようやく、ここがライの寝室だと言うことと、あるはずのぬくもりが隣にないことに気付く。

 手を伸ばしてみても、誰もいないシーツの上は既にぬくもりを消していて、ライがベッドを離れてから時間が経っているのだと言うことが分かる。

 ベッドにいないライと、このスパイシーな香り。

 ライがご飯を作るために台所に行ったのだということは理解できたが、鼻に届く香りに、アリーナはムッとする。

 アリーナは起き上がろうとけだるい体に力を入れる。

 が、体が言うことを聞いてくれなくて、アリーナの体は起き上がれない。


「…ライ様の馬鹿…。」


 かすれて何とか聞き取れる程度のアリーナの声は、アリーナの体をこうしてしまったライへの恥ずかしさを含んだ愚痴と、ライが今やっているだろう行動に向けられている。

 文句を言ってやらないと気が済まないと、アリーナは自分の体を叱咤する。

 アリーナはひざまでを何とかベッドから出すと足を曲げて、手をついて起き上がろうとした。

 が、やはり言うことを聞いてくれないアリーナの体は、そのまま力なく床に滑り落ちた。

 ドスン、と音がして、アリーナは何も身につけないまま、床にうずくまる。それほど痛みがあるわけではないが、アリーナは何も身に着けていない状態では落ちたままの格好でいるのは恥ずかしすぎて、自分の体を隠すように丸まってみただけだ。

 トントントン、と階段を上ってくる急いだ足音がして、バン!と勢いよくドアが開く。


「アリーナ、大丈夫ですか!?」


 焦った様子のライが、床に丸まっているアリーナに近寄る。


「…大丈夫じゃない!」


 かすれたアリーナの声は、近づいたライには十分聞き取れた。


「どこが痛いんですか?! 夜ですから開いている診療所はありませんが…騎士団かかりつけの医師を急いで呼んできます。」

「お医者様は…いらない。」

「いえ。アリーナに何かがあったら、私が困りますから!」

「いらないの!」


 アリーナの答えを無視したライは軽くアリーナを抱えてベッドに戻して布団をかけなおすと、部屋から出ようとして、もう一度アリーナの元に戻ってくる。


「何か着ておきましょう。このままのアリーナの姿を医師と言えども見せたくはありませんから。」

「だから…お医者様はいらない。そんなに打ったわけじゃないから。」


 かすれてはいたが、少しだけアリーナの声は戻ってきていた。


「…じゃあ、どうしてうずくまっていたんですか?」


 アリーナはプイ、と顔を逸らす。


「こんな格好で恥ずかしかったからでしょ!」


 対するライは簡素とは言え服を着ている状態だ。恥ずかしさがあるわけもない。


「…アリーナのこの姿は恥ずべきものではありませんよ?」


 サラッと言いのけるライをアリーナはキッと睨む。


「ライ様は恥ずかしくないかもしれないけど、私は恥ずかしいの!」

「ああ、恥ずかしがるアリーナもかわいいですね。」


 チュッとアリーナに軽くキスをするライの目は、トロリと甘くなる。


「また思い出してしまって、アリーナをベッドから出せなくなりそうだ。」


 頬を撫でられて、アリーナはヒッ、と体をびくつかせる。


「私が寝る前に散々したでしょ!」


 アリーナは動く手でライの手を自分の頬からむしり取る。


「いえ、アリーナが気を失ってしまったので、私はまだ満足できていないんですよ?」


 アリーナは寝ていたと理解していたが、その実気を失っていたと教えられて、そう言えばそうだったかも、と思い出す。


「それはやりすぎって言うのよ!」

「アリーナが私を煽るから悪いんですよ?」

「煽ってない!」


 その時のやり取りを急に思い出して、アリーナはボッと顔が熱くなる。でもアリーナは本当に煽った自覚などない。


「その初々しい反応も、私を煽っているって、知ってますか?」


 知るわけないし、とアリーナはライを睨むも、怒って少々興奮してきたアリーナの目には涙が滲んでいて、それが上目遣いと合わさって更にライを煽っているとはアリーナは気付いてもいない。

 ライの目が変わったとアリーナが思った一瞬で、アリーナの唇はライに奪われる。

 アリーナは一生懸命ライを突き放そうと頑張るが、そもそも力が入りきらない腕ではライを押し返すこともできるはずはなく、アリーナの腕はいつの間にか力なくベッドに落ちた。

 アリーナの力が抜けたことに気付いたライは、アリーナの口の中を蹂躙していた自分の熱を離す。


「もう結婚したんですから、いいですよね?」


 一応同意を取ってくるライだが、アリーナの同意など取るつもりはない。

 勿論アリーナもそのあたりは理解していたが、何とか形勢逆転をしようと、あまり働かない頭を動かす。

 逃げる言葉を思いつかないまま、ライが布団をはぐのに覚悟を決めた瞬間、現状打開の策を思いつく。と言うか、匂いの変化で、アリーナは勝ったと思う。


「カレー! 焦げてる!」


 気をそがれたライが、ああ、と声を漏らす。


「そう言えば火をかけたままでしたね。失敗しました。」


 体を起こすライにアリーナはホッとする。そして同時に、先ほど感じたムッとした気分を吐き出すことにする。


「一緒に作ろうって言ったのに!」


 アリーナの文句に、ライがクスリと笑う。


「一応作り始める前に声は掛けたんですけど、アリーナは気を失ったままでしたから。」

「じゃあ、他のものを作ればよかったでしょう!」

「アリーナは今日カレーが食べたかったんでしょう? 朝から作るぐらいなんですから。」

「それは! 今日一緒に作るんだと思ってたから!」

「だから、きっとアリーナの口はカレーを求めてるんだと思ったんですけどね?」

「一緒に作りたかっただけなの!」


 拗ねるアリーナに、ふふ、とライが笑う。


「これからいくらでも一緒に作れるでしょう? 私たちは結婚しましたからね。」


 嬉しそうなライの表情に、アリーナの頬も自然に緩む。


「そうかもしれないけど! …あ! カレー!」


 焦げた匂いが強くなった。


「…今日はカレーは諦めるしかないですね。」


 渋々と言った風に部屋を出ていくライがアリーナに振り向く。


「…ナンをピザにして食べますか?」

「おいしそうだと思うけど、とりあえず火を止めてきて! そしたら話しましょう?」


 アリーナの提案に、ライは嬉しそうに頷く。


「そうですね。ベッドの中で語りましょう。」


 軽快に部屋を出て行ったライに、残されたアリーナはライの言葉を反芻して、ハッとする。


「そういうことじゃない!」


 台所に戻ってしまったライには、アリーナのかすれた怒った声は聞こえるはずもなかった。



****



「ライ様、明日仕事だから…。」


 アリーナは常識を盾にライに手加減を望んだ。


「それは大丈夫ですよ。ガイナー室長には明日休みだと伝えてありますし、私も休みをもらっています。」

「え?」


 アリーナにはそんな休みを申請した記憶はないし、ガイナーからも休みのことは何も言われていない。


「だから心配はいりません。」


 ニッコリとライに笑われても、アリーナは納得がいかない。


「だって急に休んだら仕事が!」

「ガイナー室長からは、月曜、火曜に締め切りの仕事はないと聞いていますよ?」


 そうライに言われて、アリーナは金曜日、ガイナーに仕事の進捗状況と今持っている仕事のことを確認されたことを思い出す。確かにあれは、よくある質問の様ではあったが、金曜日はやけに念入りだった。


「ガイナー室長が聞いてきたのって、こういうことだったの?! もし月曜日に締め切りの仕事があったらどうするつもりだったの!?」


 ライに詰め寄ると、ライが笑う。


「それはガイナー室長が調整してくれるという話でしたが、アリーナが優秀で私も助かりました。ですから、明日の心配はいりませんよ?」


 ライの笑みが妖艶さを纏う。


「私が大丈夫じゃない!」

「心配はありません。私がアリーナの世話をしますから。」


 それ以上のアリーナの文句は、ライによって飲み込まれた。


 そうして日曜日の夜は更けていく。


完 

楽しんでいただければ幸いです。

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