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「もうあれから10年経ったんだね」


 懐かしそうなハリーの声に、アリーナは嫌悪しか抱かない。アリーナにとっては懐かしむ何かなど存在しないからだ。


「そうですね」


 逆上させても今の状況は覆せないだろうと、アリーナは冷静に話をすることにした。騒いでも暴れても、言葉で言い負かそうとしても、力の強さで負けるアリーナが状況を改善するには相手を逆上させないことがまず第一だ。


「アリーナも騎士団副団長から求婚されるくらいの女性になったんだね」


 猫なで声のような、ハリーがアリーナに恋を囁いていた時に聞いていた声をまた聴くことになるとは、アリーナも思わなかったが、ハリーのその声は、ライがアリーナに愛を囁いていた声とは全く別物だとしか思えなかった。まるで嘘偽りを述べているようにしか聞こえない。

 まあ、あの時は間違いなく嘘偽りでアリーナに恋を囁いていただけだったのだから、アリーナの感想は間違ってはいなかっただろう。では、今アリーナに囁く嘘は何だろうか。


「そうでしょうか。」


 アリーナは結婚については否定も肯定もしなかった。もしハリーが逆恨みだとしてアリーナの結婚を壊そうと思っているのなら、アリーナの結婚が白紙になった場合には、アリーナなど用なしのはずで、その逆恨みの気持ちがどこに向かうのかと思うと、自分に向けられているだけの方がいいと思ったからだ。そもそも事の発端は、アリーナがハリーの求婚を渋々ではあったとはいえ了承してしまったことにあったからだ。


「きっとアリーナも10年間、女性らしくなるために色々頑張ったんだろうね」


 この10年、アリーナは女性らしくなるために頑張ったことなど何もない。頑張ったことは、仕事に関する勉強と仕事だけだ。


「そうね、頑張ったわ」


 だが、何を頑張ったかについて言わなければ、頑張ったことは間違いない。


「…結婚をなかなかしなかった騎士団副団長が結婚する気になるぐらいのテクニックを身に着けたんだろうね」


 ぞわり、とアリーナに鳥肌が立つ。

 ハリーの顔を見ていなくても、その顔がどんなに下世話に歪んでいるか想像ができる。


「そうかしら。私にはわからないわ」


 たとえどんな答えを言ったところで、ハリーの目的は明らかだ。じゃあ、確かめてみようとされるだけの話だ。


「どうして確かめる必要があるのかしら? ガラ辺境伯の娘さんといい仲だって聞いたわ」


 言外に、ガラ辺境伯や辺境伯の娘に知れたら自分の立場が危ういんじゃないか、とほのめかしてみる。ハリーは子爵家の三男で、それほど相手を選り好みできるような立場にはない。特に相手が辺境伯の娘とあっては、辺境伯自身も相手を選ぶだろう。辺境伯は中央に過ごす他の貴族と違って国境を守る役割を担っているため、その結婚は政略結婚になることも多い。


「…年若いと、あれだね。感じる力が乏しいんだろうね。アリーナと同じで彼女も私の行為に対しては反応が悪くてね。10年ぶりにアリーナを味見してみたくなったんだよ」


 最低。アリーナはその一言が口をつきそうになって、慌てて飲み込む。

 年が若いから感じる力が乏しいわけではないと思う。相手が反応しないのは、ハリーが…。


「何をしているの」 


 どこかで聞いたことのある声に、アリーナはハッとする。天の助けかもしれない。


「大人の関係に口を出さないでくれるかな、お嬢さん?」


 ハリーが振り向いた瞬間に、アリーナも助けを求めるつもりで顔をそちらに向ける。

 だが、目が合った相手に、アリーナは絶望を感じてしまった。どうしてこのタイミングで、としか思えない。


「大人の関係ですって」


 憤慨するその声は、アリーナが数日前に女官長の部屋で聞いたその声だ。

 そう、現れたのは、リリアーヌだった。

 数日前、まだライに思いを残している様子だったリリアーヌだ。仕事上の嫌がらせはあれ以降なかったし、あの後すれ違うことすらなかったが、たった数日でライへの気持ちを諦めたとは思えない。アリーナは、現れたリリアーヌが助けになることはないと諦めた。


「ああ。だから、見なかったことにして去ればいい。…別に言いふらしてもらってもいいがな。」


 もしかすると、ハリーにとっては、辺境伯の娘との付き合いも、別に結婚を望んでのものではないのかもしれない。だから、こんなことが言えるのだ。アリーナは辺境伯の娘のことがハリーの抑止力にもならないことが分かって、ますます絶望する。

 カツカツカツ、とさっきまでは気にもしていなかったはヒールの音が、廊下に響く。

 リリアーヌはきっとこのまま去るだろう。そして、ここにはアリーナとハリーの2人だけの空間になってしまうはずだ。きっとそうなれば、アリーナはハリーの成すがままだ。こんな廊下で最後までことを成すとは思えないが、キスや体を触れられることは逃れられないだろう。


「アリーナお姉さまを離して下さる?」


 アリーナたちの前まで移動してきたヒールの音が止まる。


「な…何だ、何の権限があって」


 ハリーは予想外のことに驚いているようだが、アリーナだって驚いている。


「アリーナお姉さまは、ライ様と結婚されるのよ? あなたごときが触れていい人ではないわ」


 リリアーヌはハリーが誰かわかっているのだろう。わかっていて、その爵位をもってハリーを見下したように話していることが分かる。だが、アリーナが見えたリリアーヌの指先は少し震えている。だから、この行動はリリアーヌの素ではなく、勇気を持った行動なのだと言うことが分かる。

 どうして数日前に会っただけのライバルのために、ここまでしてくれるのかはアリーナにはわからない。


「…だから、どうした? 私がここでアリーナと関係があるとわかれば、その結婚など白紙にできるだろう? …そもそも相手も新しい相手を見繕っていたようだし、私とアリーナが結婚すればいいだけの話だろう?」


 どうやらハリーはライが先ほど抱きつかれていたのをしっかりと見ていたらしい。そしてどうやらアリーナがハリーにとって新しい結婚相手として見られているのだと言うことがようやくわかる。


「私はハリーとは結婚しない。…ライ様が他の人と結婚するからって、私も誰かと結婚しないといけないない決まりなんてないわ」


 たとえアリーナがハリーの好きなようにされようと、アリーナは今度こそハリーの求婚を突っぱねる気持ちでいた。ライとの1週間があったからこそ、アリーナはハリーとの結婚がアリーナにとって何も生みだすことのない、むしろアリーナのためにはならないものだと理解できたと言える。

 好きだと思う気持ちは大事だが、好きでなくても尊敬できないむしろ嫌悪感しか抱かない相手と結婚生活を送るなんてアリーナはごめんだ。


「あれは! あれは違いますわ」


 慌てたようなリリアーヌの声に、アリーナはありがたいと思う。

 アリーナは何がどうして“アリーナお姉さま”とリリアーヌから呼ばれるに至ったのかは分らないが、リリアーヌが勇気を出してこの状況を打破しようと手伝ってくれていることに感謝しかない。

 その否定の言葉が真実なのか真実でないのかは、もう重要ではなかった。


「アリーナ嬢! 大丈夫か!?」


 新しく加わった声が自分を助けてくれるものだと理解して、ホッとしたのとは別に、それがライの声ではないことに哀しんでいる自分に、こんな状況なのにずいぶん余裕があるとアリーナは苦笑した。

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