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 しばらく会っていなくても、話をするとすっかり昔お茶会をしていた時のことを思い出したように、アリーナと昔からの友人たちの話は弾んだ。

 ああいうふうに、無邪気に友人たちと話をして楽しんでいただけの時代もあったのだと、かわやにいって少し熱の冷めたアリーナは思う。きっとハリーと関わることがなければ、あの無邪気さはもう少し長く持ち続けたものだったのかもしれない。

 そう思って、もう思い出したくないとアリーナは首を振る。折角楽しい気持ちになっていたのに、すっかり台無しだ。


 それもこれも、ダニエルがハリーがこの会場にいるなんてつまらない情報をアリーナに与えたせいだと思う。ダニエルはダニエルで、気をつけろよ、のつもりで言ったんだろうが、アリーナからすればもう二度と思い出したくない名前だったし、どうやら辺境伯の娘に狙いを定めているわけだから、女子力の低い、しかも結婚適齢期も逸しているアリーナになど見向きもしないだろうと思っている。

 アリーナの女子力が低いと詰るだけ詰って、自分には非はないと婚約すること自体をなかった話にさせたあのハリーと比べると、女子力が低くて何が悪いのかと、アリーナをそのまま受け入れてくれているライは、確かにダニエルが言った通り天と地との開きがあるのかもしれない。…あれはアリーナの態度、と言う話だったが、アリーナの態度だって相手の態度に左右されてしまうことは当然だろうと思う。


 …そもそも、平々凡々なハリーと頭の切れるこの国を左右するほどの能力があると認められるライを比べること自体が間違っているだろうが。

 それに、アリーナはハリーに不感症だと罵られたが、あの指摘が間違っているんじゃないかと言うことにアリーナはこの1週間前の出来事で、うすうす気が付いていた。でなければ、初対面のライの口づけに、アリーナがあんなに反応するわけもない。…しかも童貞の。

 つまり、ハリーは…。


 そこまで考えて、アリーナは通路の先の窓辺にライがいることに気が付いた。多分ライはアリーナがいることには気付いていないだろう。なぜなら、ライの向かいには背の低い令嬢が、どうやら父親らしき男性と母親らしき女性と立っていて、ライがその令嬢たちと熱心に会話しているからだ。

 どうして平民である騎士団副団長が貴族の親子と話をするのか。…その目的は、アリーナは一つしか知らない。

 アリーナはぎくりとしながら、その通路に佇んだままライとその親子の姿を見守る。


 アリーナが今日かけている眼鏡は、仕事用の眼鏡とは違う。仕事用の眼鏡は近いものが見えやすく疲れにくいように、幾分度数がやわらげられているものを使っている。

 だが今日の眼鏡は、この広い会場で遠くにいても相手の顔が見えるようにと、少し度数を強くされていた。だから、離れたところにいるライの表情も良く見えた。

 そのライの表情は困っている風でも嫌がっている風でもなく、むしろ、嬉しそうに見える。

 いや、嬉しそうではなく、正しく嬉しいという満面の笑みをたたえている。

 その、心は。


 ヒヤっとした気持ちに、いやいや、ついさっきまで、アリーナに愛を囁いていたはずだ。とアリーナはひとりごちる。

 そうひとりごちて、アリーナはなぜそんなことを考えるのかと思う。

 結婚したくないはずだったのに。

 このことをもっと考えたほうがいいのか、考えずに流してしまった方がいいのか、戸惑っている間に、アリーナに衝撃が走った。

 ライが令嬢に抱きつかれている。

 こんな公な場で、令嬢が相手に抱きつくなど、よほどのことがないと起こらない。

 ふらり、と体を揺らしたアリーナは、ライの視界に入らないように、その通路の他の出口を求めて歩く。


 結婚するつもりがなかったんだからライに新しい相手ができて喜ばしいことではないか、と頭のどこかでアリーナを慰める声もする。

 でも、それを上回る、ザワザワしてモヤモヤしてイライラしてムカムカして心の中をぐるぐる回る吐き出せそうにないこの気持ちが何なのか、アリーナだって気づかないわけではない。

 それに何より、ライが令嬢に抱きつかれているという事実がショックで仕方ないと言うことが、アリーナの気持ちを物語っている。あのライの笑顔からして、ライもまんざらではないはずだ。

 自分の気持ちを自覚すると、途端にアリーナは泣きたい気持ちになった。

 本当に今更だと、あんなにライを袖にしておいて、ついさっきまで結婚をしないと言い張っておいて、失うとなって初めて、その大切さを実感することになるなんて、と。


 別の出口を抜けると、庭園に出るドアが目の前にあり、アリーナは外に出ようとドアに手をかけた。それが単なる現実逃避にしかならなくても、少しでも気持ちを落ち着けてから、ライの口からその事実を…心変わりした事実を聞きたいと思ったからだ。

 ライの性格上、心変わりしたからと言って、フェードアウトするようなことはないだろうとアリーナだってわかる。その辛い事実を笑顔で何でもないことのように承諾するには、少し時間が必要だ。

 本当はもっともっと時間が必要だが、この公の場であのように堂々と抱きつかれているのを許しているということは、もうすでにライの気持ちはアリーナよりその令嬢の方が重きが多いだろう。アリーナに与えられた時間など、ほんの少しだ。


「アリーナ。」


 そう呼び止めたのは、アリーナが望んでいた声ではなかった。

 ギクリと体がこわばる。

 聞かなかったことにして、ドアを開けようとすると、それを引き留めるように体が抱き留められる。 

 ぶるりと体が震えて、体がこわばる。


「やめて」


 振り払おうとしたはずの手は、そのままガシリとつかまれて、アリーナの意思に反して向かい合うようにドアの隣の壁に囲い込まれる。

 ハリーの身長はそれほど高いわけではないため、ライと違って顔の位置が近くなる。アリーナはふい、と顔を背けて、反対側の壁に視線を向ける。


「騒がれると困るな。」


 耳に吹き込まれるハリーの声も、アリーナの鳥肌を立たせるばかりだ。もはや心が拒絶しかしていない。


「一体、どうして」

「嫌だな。婚約しようとした仲じゃないか。」


 そんなもの既に時効だし、白紙に戻したのは自分じゃないか、とアリーナは怒りに打ち震える。そもそもあの婚約の話も、アリーナは全く望んではいなかった。ただハリーの押しに負けて諦めた結果でしかない。


「私に興味がなくなったのはご自分の方でしたよね? どうして今更私にこんなことをする意味が?」


 もはや嫌がらせでしかない、とアリーナは思う。

 いや、とアリーナはダニエルとした会話を思い出す。辺境に行くことになったことを逆恨みしているかもしれないとダニエルは言っていた。つまり、逆恨みによりアリーナはこんなことをされている可能性が高い。アリーナの醜聞を立てて、アリーナの結婚を邪魔しようとしているのかもしれない。 

 そう考えが至ると、アリーナはどこか冷静になった。


 性には鷹揚だとは言え、結婚を控えた女性が婚約者以外と体の関係を持つことなど良しとされるわけはない。でも邪魔されようとしている結婚の話は、もうないに等しい。たとえ醜聞が立ったとしても、結婚云々を心配する必要はない。ツキリと痛む胸を感じながら、アリーナは自嘲する。

 16の時、仕事に生きると決めたのだから、それを貫けばいいだけの話じゃないか、と。

 結婚の話など、そもそも女子力の低いアリーナには存在するはずがなかった話だ。

 それでも、アリーナにはハリーの性的な行為を受け入れたくないという気持ちはある。だから、どうにかしてこの状況を打破できないかと、冷静になろうと自分に言い聞かせる。


 失恋して辛い気持ちを味わうのは、この状況を抜け出してからでもいくらでもできると。

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