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 エリック夫妻が去ると、次はダニエルが近づいてきた。ダニエルたちは同じ家に住んでいるが、来た馬車は別々で、会場に来てからは話していなかった。ダニエルの子供はアルス王子と同い年のため、遊び相手として呼ばれたらしく、ダニエルの妻エレナはそれについているようだ。


「母様、アリーナは私が責任もって預かりますから、どうぞご歓談ください」


 ダニエルの言葉にアリーナの母は頷くと、近くにあった歓談の輪に入っていく。


「兄様、責任もって預かるとか何ですか? 私、そんなに子供じゃありませんよ」

「私だってそう思っているけどね。約1名、ものすごくアリーナに対して過保護な人間がいてね。少しでも気を抜くのを許してくれないだろうし、気を抜いたら最後、私の存在すら抹消しかねないからね」


 ウインクするダニエルを見ながら、ダニエルの存在を抹消できる人間が本当に存在するのだろうかとアリーナは思いつつ、その誰かが誰を指すのかなんて言われずとも分かる。


「…だったら、私をエスコートしておけばいいじゃないの」


 ここにいないくせに、とアリーナは小さく不満を口にした。

 ライが隣でエスコートしておけば、たいていの人間は恐れてアリーナには手を出そうとはしないだろう。

 クスリ、と笑われて、笑った相手を睨みつける。


「随分、ライ殿に懐いたんだな」

「懐いたって…猫じゃないんだから」


 プッ、とダニエルが噴き出す。


「そうだな。アリーナは猫だな」

「違うって言ったでしょう。…別に懐いてなんてないわ」

「そうかな? ハリーに対する態度と比べると天と地ほど違うぞ。」


 アリーナはダニエルに思い出したくない名前を出されて、ドキッとする。


「……自分ではわからないわ」

「さっき、ハリーを見かけた」


 小さな声で伝えられた内容に、アリーナはヒヤリとする。


「……もう関係ないもの」

「アリーナはそうかもしれないがな。相手はどう思っているか。」


 苦々しそうに話すダニエルをアリーナは疑問に思う。


「どういうこと?」

「あいつを辺境に追いやったのは、私だと思っているだろうね」


 ダニエルの言っていることは最もで、アリーナとの婚約騒動があった後に辺境に行くことになったとなれば、王太子の側近であるダニエルが何らかの圧力をかけたと考えるのが妥当だろう。しかもあんな場面を止められた相手だ。


「……単なる逆恨みじゃない」


 アリーナのため息とともに吐き出されたのは、ハリーの人間としての器の小ささに対するやるせなさだ。

 本当にどうしてハリーと婚約をしようとしてしまったのか、今となってはアリーナは自分の馬鹿さ加減に呆れるほかはない。


「もしかしたら、逆恨みで何かするかもしれないから、気をつけろ。…まぁ、ガラ辺境伯の娘といい仲らしいから、感謝されてるかもしれないがな。」


 ガラ辺境伯ならば、それなりの権力がある家だ。ハリーは現状に満足しているかもしれない。


「……そう。なら、大丈夫じゃない?」


 ガラ辺境伯の令嬢についてアリーナは知らないが、アリーナよりも女子力が高いことは間違いない。ハリーがアリーナに執着する理由など何もないはずだ。


「アリーナ、遅れてすみません」


 ふいに入ってきた声に、アリーナはムッとする気持ちを押さえきれなかった。


「何よ……」


 振り向くと、そこにはライが間違いなくいたのだが、いつものライと違う様子にアリーナはドキリする。対するライはアリーナを見て顔をほころばせている。


「アリーナ……美しい。」


 そう言ってライはアリーナの顔に手を触れる。


「こんなアリーナを誰にも見せたくはありませんでしたが、今日は仕方ありません。我慢しましょう」

「……仕方ないとかあるとかどうせライ様が連れてくるように手配したんでしょ」


 自分もいつもと違う格好をしておいて何を言うのだ、とアリーナは憤慨する。

 ライはいつもの騎士服ではなく、ダニエルと同じようなモーニングコートを着ている。

 それがまた似合っているのがアリーナの癪にさわる。

 何でいつも通りの格好じゃないのか。いつもと違う格好にドキリとさせられるし、周りの令嬢の視線が一斉にライに向かったことにも腹が立つ。ライ様は私の……

 そこまで考えて、アリーナは我に返る。

 ……私の何だと言うのだ。と。


「ばれてしまいましたか」

「こんなことするの、あなた以外にいないでしょ」


 この一週間ライに振り回されてきた自信のあるアリーナはライを睨み付ける。

 そして、先ほど考えていたことを中断できたことに、どこかでホッとする。


「でも、眼鏡をはずした姿もアリーナのありのままの姿も私だけのものですから、それで我慢します」


 顔を寄せて小さな声で囁くライを、何がでもなのだとアリーナはイラつく。


「そんなこと言っても……しないんだから」

「何が足りないんでしょうね?私はこんなにアリーナを好きなんですが」


 困ったように笑うライの言葉を、ダニエルの咳払いが中断する。


「いちゃつくのは二人きりの時にしてくれ。ライ殿、ではまた」

「ええ。アリーナを守って頂きありがとうございました」


 ライはするっとアリーナの腰に手を回すと、ダニエルにお辞儀した。


「ちょっと、兄様!」


 アリーナが呼び止めるのに肩をすくめて、ダニエルは去ってしまった。


「アリーナ、ほらファリス妃殿下のところに行きましょう」

「恐れ多くて行けないわよ」


 アリーナはファリスを見て、本人とその周囲がきらびやかなのを見てしり込みする。


「何を言ってるんですか? 元々小さい頃からの友達だったんでしょう? それにアリーナは一緒にいて何らおかしくない身分じゃないですか」

「もう10年は会ってなかったから」

「この間、旧交を暖めあったと聞いています。遠慮する必要はありませんよ」


 ライはアリーナの答えは待たずにファリスに向かっていく。


「目立ちたくないの」


 小さな、しかしはっきりした声でアリーナはライに告げる。


「今日のアリーナは、あの中にいても目を惹いてしまうでしょうね」


 ほぉ、とため息をつくライに、アリーナはクラっとする。いくら恋は盲目とは言え、ライの目は本当に腐っているとしか思えなかった。あのきらびやかな中で、アリーナが目立つわけがない。ただ、あの目立つ中に入れば、嫌でも目に入るだろうとは思うが。……ハリーの目にも入ってしまうのは嫌だった。たとえ、関わることがないとしても。




****


「ダニエル兄、ハリーがいるぞ」


 アリーナたちと別れたダニエルに、エリックが近づいてきた。


「ああ、知ってる。あいつは逆恨みしてるだろうな?」

「……逆恨みも何も、恨まれるようなことしただろう。」


 クククとエリックが笑う。


「確かに、あいつが辺境に行くように圧力は掛けたがな」

「何でわざわざそんなことしたんだ?」


 エリックはまじまじとダニエルを見る。エリックからすれば、手間である。


「かわいい妹を同意もないのに襲おうとしてた男を許せるわけがない」


 予想していた内容だったからか、エリックはあまり驚くことなく頷いた。10年前は知らされなかった事実だったが、ダニエルが想像以上に怒っていたため、何かがあったのだろうとはエリックも想像はしていたのだ。


「だがな、そんな私的なことで権力をかさに着て圧力をかけていいのか?」


 辺境に飛ばすなど、王太子の側近がしているとなれば、王太子の品位を疑われかねないことでもある。


「私の圧力なんて大したことはなかったさ。だから、私の圧力だけだったら、あいつは辺境へは行かなかったかもしれないんだけどね」

「……他に誰が圧力をかけたって言うんだ?」

「ノエルだ」


 ダニエルがつい、と父親の隣に立つノエルを見る。


「……何でノエルが?」


 急に出てきたもう一人の妹の名前に、エリックが首をかしげる。


「アリーナを好きでもないのに恋愛結婚を偽装しようとしたのが気に食わなかったらしいぞ。」


 ノエルは恋愛脳のため、その偽りが気に食わなかったのかも、と、エリックも思わなくもない。だがである。


「ノエルがどうやって圧力掛けるんだ?」


 ノエルが嫁いだのは子爵家の長男で、権力とは無縁とも思える相手だ。


「第二王子に貸しがあったらしい」


 一体どうして第二王子に貸しなど作れるのか、エリックには疑問しかない。


「…おまえらよくやるよ」


 エリックは呆れたため息をつく。


「……辺境に足止めしてたエリックには言われたくない」


 ダニエルがエリックを睨む。

 たとえ辺境勤めになったとしても、5年もすれば中央に戻ってくるのが普通だ。ハリーが辺境に行ってもう10年は経つ。


「何のことだ?」


 エリックが首をかしげる。


「おまえ、人事番で、辺境の人事評価を確認する仕事してただろう? あれで、あいつの仕事ぶりが平凡の平凡だが、辺境では人間関係良好だって過剰に評価上げて、辺境から戻ってこれないようにしただろう?」

「何のことだ?」

「辺境に飛ばされた人間は腐ることも多い。だから、辺境で人間関係がうまくいかなくて辞める人間が多いと聞く。その中で仕事ぶりは平凡でも特に人間関係作るのが上手い人間がいたら、中央に戻さないだろう?」

「……そうかもしれないな」

「別に誤魔化さなくてもいい。他の部分が優秀ならそれでも中央に戻ってこれるだろうが、人間関係のみが優秀っていうのなら、辺境で役に立ってもらおうと思っても仕方ないだろうからな。」

「それ以外に使い道はないだろう?」


 エリックは誤魔化すのを辞めた。ものすごく冷え冷えした視線でハリーを射貫く。


「まあ、かわいい妹を簡単に袖にしたっていうことに俺は怒ってるからね」

「それこそ、権力をかさにきて、ってやつじゃないのか?」

「いや、俺がやったのは、あいつの評価を上げることだ。感謝されることはあれ、恨まれる理由はないと思うぞ」

「辺境から帰ってこれないだけで恨むだろう?」

「……そもそも、俺だけが理由じゃないだろう?」


 エリックが会場の中にいる姉に目を向ける。


「……サーシャな。」


 ダニエルが肩をすくめる。


「どうもサーシャはあいつとアリーナの関わりが利にならないと判断したらしく、今持てる権力で圧力をかけてるらしい」


 続けられたダニエルの言葉に、いやいやそんなの無理だろうと、エリックは思うが、ダニエルの顔は大真面目だ。


「サーシャ姉様の領地は確かに栄えているけど、圧力をかけるほどの力があるとは思えない」


 エリックが首を横に振る。


「ルトワック家の領地が交通の要所と呼ばれているだろう? だから、僻地の領主たちに、優秀な文官がいるんだと仄めかすらしい。具体的な名前は言わないが、そう言われたら領主も探すだろう?」

「いや、だったら中央に戻れるんじゃないの」

「それを却下してたのがエリックだろ」

「……まあ、そうか。だけど…あれ引き抜いた領主は姉様に抗議するんじゃないのか?」


 ハリーの方に視線を向けたエリックが皮肉気に笑う。


「可もなく不可もなくだからな。だが、サーシャは名前を告げないし、そうらしいと聞いただけと答える。そうなれば、もしかしたら自分が気づいてない才能があるかもしれんと思って使い続けるわけだ。そのうち他の領主から請われて目立った成果もないからあっさり手放すわけだがな」

「……どちらもけなしてる訳じゃないし、抗議は受け入れられないだろうな。」

「だろうな。今いるガラ辺境伯の娘とのいい仲らしいから、サーシャとエリックには感謝してるんじゃないか?」

「……そうか。」


 エリックのどうでもいいと言いたげな返事に、ダニエルが乾いた笑いを挙げる。


「ま、あんな奴は、どうでもいいがな」

「ああ。そうだな。アリーナはライ殿と幸せになるだろうしな」


 ダニエルとエリックの視線の先には、イチャイチャしているようにしか見えないアリーナとライの姿があって、ダニエルとエリックの顔には自然と笑みが浮かぶ。


「なあ、ダニエル兄? アリーナとハリーのこと、ライ殿は知ってるのか?」


 エリックの問いに、ダニエルはゆるりと首をふる。


「正直わからん。だが、知られたら、ハリーは二度と中央に戻ってこれないだろうね」


 エリックもその通りだろうと頷いた。

 俺ら兄弟より、たった一人のライの方が怖い。

 エリックはそんなライに見初められたアリーナに祈りをささげた。

 俺らにとばっちりが来る前に、観念して結婚を承諾しろ、と。

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