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布団に入り目を閉じた瞬間、アリーナは、あれ? と思う。
城から家に帰ってきて眠るまで。
今日はカレーの話で盛り上がって、結婚の話は馬車の中でしただけ。
身体的な接触は、馬車に乗るときと降りた時だけ。
精々馬車に乗った時にあった指先へのキスが、アリーナを動揺させたぐらいで。
ライにキスをされたのは、それこそいつだったか考えなければ思い出せない。
最後のキスは確か、城の廊下で。出会って2日目のことだ。確かに散々文句は言った。そもそも職場でキスなど言語道断だと思う。
そしてそれからアリーナはライとのキスはしていないのだと言うことを思い出す。
今日がライと出会って6日目で、つまり4日間、アリーナはライからキスをされてないことになる。
別にそれが寂しいとかそういう気持ちがあるわけではない。単に、あんなにアリーナに接触したがっていたはずなのに、ほとんどと言っていいほど濃厚な接触をしてこなくなったライに、いや、昼食や夕食も一緒に取らないライに、違和感を持っただけだ。
そう、違和感だ、とアリーナは正解を導き出したような気分になる。
話し合いをしようと言われていたけど、その話し合いらしい話し合いも、ここにしばらく住むことになった初日にしただけで、あとは普通の会話をしているようなものだ。
勿論、ライはその端々にアリーナへの執着をみせるものの、初日に初めてキスをしたときのような情熱的な態度は薄れてきている。
この6日間の間に、間違いなくライの色々な策略のせいで、ライとアリーナの結婚は外堀が埋められてきたと言っていいだろう。アリーナ以外にこの結婚を止めようとする人間は誰もいない。マリアも帰り際に、ライの気持ちを信じてもいいかもしれないと言い出した。今日の出来事が原因なのは間違いない。
結婚の話がほぼ現実的となったために、ライはアリーナに情熱的な態度を取る必要がないのかもしれない。
アリーナ本人を口説き落とす方が結婚への近道だったはずだが、アリーナ本人が結婚を承諾する前に、その権利があると言ってもいいアリーナの両親はこの結婚に大乗り気だし、それを覆すことを手伝ってくれるような人間は皆ライとアリーナの結婚を認めている。
アリーナが結婚できない理由として挙げた仕事上の問題は、今日解決した。
それ以外にアリーナが結婚できない具体的な理由は挙げていない。
つまり、もうアリーナ本人を口説き落とす必要がなくなったと見ていい。だから、ライの接触は最低限で済んでいる可能性があり、アリーナも身の危険を感じないわけだ。
そこまで考えて、アリーナは何だかムカムカしてきた。初日と二日目、あれだけアリーナを翻弄しておきながら、結婚できる手筈が整いだした途端に、ライはアリーナに触れることが少なくなった。
つまり、あれだけ情熱的にアリーナを口説いていたのは、ふりだった、とも考えられるわけだ。
でも何のためにそんなふりをしたのか、と言われれば、アリーナもわからない。
……この結婚にライのメリットがあるのか、についてもアリーナにはわからない。
何しろ、王太子や議会の前で、この国での地位を失ってもいいと言い切れる人間が、パレ侯爵家の後ろ盾や、ダニエルの王太子とのつながりを欲しているとは思えないからだ。
そもそもアリーナと結婚などしなくても、ライは騎士団副団長として十分に王族からも一目置かれているわけだし、将来的には騎士団長になると言われているくらいだから、何らかの権力が欲しくて動いているとは考えづらい。
たった1日で王太子などの王族を巻き込んで議会の意見をまとめてしまう、などという人間離れした所業は……一体何のためなのか。これについてだけは、純粋にアリーナのためにやってくれた、とも考えられるが。
初日のライの様子と、最近のライの様子の格差に、ライが純粋にアリーナのことを好きだから結婚したいのだと思っていいのか、アリーナはよくわからなくなった。
そこまで考えてアリーナははっとする。
そもそも、ライと結婚したいと思っているわけでもないのに、何でそんなことを考えているんだろうと。
確かに状況は不利だし、このままいけば結婚するしかない状況ではあるが、まだ一発逆転の何か、があるかもしれないのだ。
ものすごく希望的観測でしかないが。
むしろ、なぜライと結婚したくないのか、と問われれば、もう意地のようなものかもしれない。
これ、と言って説明はできない。でも何かがモヤモヤしている。
アリーナは暗闇に向かってため息を吐く。
何にため息をついたのかは、アリーナ自身もよくわからなかった。
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「アリーナ」
昼食のため食堂に向かうアリーナを呼び止めたのは、ライだ。
「何? ……今日は一緒に食べるの」
一緒に歩いていたガイナーとマリアは二人で先に行ってしまった。
「いえ。この後出かけなくてはいけなくて、食事は済ませたんです」
「そう」
1週間前であれば、きっと清々した、と思っただろうに、そんなことを思わない自分にアリーナも驚く。その理由は深く考えないことにした。きっと、ライがいることが当たり前になってきただけだ。
「今日の帰り、なんですが」
「帰り?」
「ええ。今日はパレ家に帰って下さい」
「……え?」
ライの思いがけない言葉に、アリーナはあっけにとられる。
「私の家に一緒に帰れなくて寂しいですか」
ニコッとライに笑われて、アリーナは我に返る。
「そんなわけないわ」
「そうですか。寂しいと思ってもらえるかと思ったんですが」
「己惚れないで」
「残念ですね」
ニコニコしているライが、本当に残念だと思っているか、アリーナは怪しいとすら思う。
「……明日は?」
アリーナの問いに、ライが、おや? と眉を挙げる。
「用事がありまして。……何か、ありましたか」
「いえ。ないわ」
アリーナは視線を落とす。自分だけが覚えているようで悔しかったためだ。
「それでは、私はこれで」
あ、とアリーナが思ったときには、もうすでにライは離れて行ってしまっていた。
その小さくなる背中に、アリーナはひとりごちる。
「カレー作ろうって言ったくせに」
アリーナは想像以上に、その約束を楽しみにしていた。




