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「アリーナ、今後について話し合いましょう? 今日は外で食べますよ」
どうやらアリーナはすんなりと帰してもらえないらしい。
「無理です。まだ仕事があります」
「あら。明日提出分は終わらせたって言ってたでしょ」
ガイナーの一言に、ああ!とアリーナは小さく苛立つ。
「さあ帰りましよ」
やっぱりガイナーの余計な一言がライをアリーナを連れて帰る気満々にしてしまったとアリーナは憤慨する。
「まだ仕事があります」
「アリーナたまには早く帰りなさい。いつも言ってるでしょう? 室長命令がいい?」
「…帰ればいいんでしょう? でも家に帰ります」
「アリーナ、もう仕事着などの着替えは預かってるんですよ。だから私の家で大丈夫です」
…は?
アリーナはライの腕の中で向こう1分思考が止まった。
「ライ、それなんだ? パレ侯爵も公認ってことか? 確かアリーナ嬢は結婚を断るって言ってなかったか」
アリーナが問いかけるより前に、シェスがライに問いかけた。昨日の騒ぎは既にシェスの知るところらしい。
「ええ。でもパレ侯爵は結婚の話には乗り気ですから」
そのライの答えに、アリーナは両親に結婚を取りやめたいのだという話をし忘れたのを思い出した。今朝はまだダニエルに怒っている状態で、両親にライとの結婚の話をしなくてはならないことを完全に失念していた。だが一体いつライがアリーナの両親にコンタクトを取ったのか、そして仕事着まで運んできてもらったのか、アリーナにはさっぱりわからない。
今日はアリーナの父が城に来るような予定はなかったはずで、確か領地に行くような用事もなかったはずだから家にはいたんだとは思うが、それでも、この1日のうちにそんな算段がされるとはアリーナには信じられない。
だが、アリーナも必死である。
「それは! まだ私の両親が知らないからよ! 私の意思がないことが分かったら、そんなこと言わないはずだわ」
「いえ。昨日のことを伝えた上で、パレ侯爵は、アリーナも一度は同意したのだから話し合いの余地があると。だから存分に話し合いをしてほしいとおっしゃってました。そのために私の家にいくら滞在してもいいとの許可も得ています」
パレ侯爵も必死である。
「はぁ!?」
アリーナの叫び声が薄暗い廊下に響く。
「アリーナ嬢、諦めな。もうこうなったライを止められる奴なんていやしない」
ついさっきまで、アリーナと似たような思考をしていたシェスの言葉に、アリーナは唯一の味方を失った気分になる。
「嫌よ、嫌! どうして私の意思が尊重されないわけ?!」
「アリーナは、自分の気持ちに気付いてないだけですよ」
ライはアリーナの耳元でそうささやくと、よいしょ、とアリーナを抱き上げた。
「ちょっと、辞めてよ! こんなところで横抱きとかないでしょ」
「ですが、担ぎ上げるとアリーナのその顔がさらされて、アリーナに興味を持つ輩が出てきても困ります。きれいに着飾った姿は私だけに見せてくれればいいものです。…ところで、この顔を見たのは、ガイナー室長以外の男性はいませんね」
「いないわ。ねぇ、アリーナ。」
しらっとガイナーが嘘をつく。アリーナは一瞬考えて、答えを出した。
「あの時間にはまだ部署の人間は全員残ってましたし、私が化粧してもらったのは金庫番の会議室でしたし、どう考えても会議室から出てきたのを部署の人間は見てるでしょうね。それに部署はこの廊下みたいには薄暗くないですから、見えないわけもないでしょうし。」
ガイナーなど、ライから攻撃を受けるがいい、と。八つ当たりの類ではあるが、アリーナは事実は曲げていない。真実を伝えただけなので、何も痛みはしない。
「いやだアリーナ。冗談ばっかり言って。ライ様に嫉妬してもらって愛を確かめたいのね」
だが、ガイナーも負けてはいない。ガイナーもライの絶対零度の視線は浴びたくないらしい。
「そのつもりはありませんけど。そもそも同じ部署の人間にも嫉妬するとか本当にありえないんですけど」
「そうだぞ、ライ。嫉妬するのはいいけどな、ちょっとぐらいにしとけ。過度の嫉妬は嫌がられるぞ。」
「嫌がられる…。」
どうやらシェスの言葉はライに届いたらしいと、アリーナはシェスに感謝を覚える。
「部署の人間と関わるなとか関係先と関わるなとか、そんなの私に仕事するなと言ってるようなものです。そんな人と結婚したいと思うわけがありません」
ぴしゃりとアリーナが言い切ると、ライが少しふらつく。
アリーナが、ん? と思ってライの顔を見上げると、ライが苦し気に顔をしかめている。珍しく攻撃力があったらしい。今までも似たようなことは言ったような気がしたが、今まで効いている気が全くしなかったのだが、シェスの言葉の後ということが効果を与えたのかもしれない。
「そうだ。嫉妬を嫌がって逃げられることもあるぞ。」
シェスが追い打ちをかける。
「逃げられる。」
ライが目を見開いた。団長グッジョブ、とアリーナは最大限の感謝の気持ちを伝えたい気分になった。
ちょくちょく感じるライの過剰とも思える嫉妬がアリーナにはとても気になっていた。それを諫める人間が…諫められる人間が今までいなかったので、ライはその異常さに気付いてはいなかったらしい。…本当に百戦錬磨と呼ばれた人間とは思えない。
「アリーナ、嫉妬は…嫉妬する気持ちは止められませんが、できるだけ表には出さないようにします。ですから、結婚してください」
でも結局結論は一緒か、とアリーナはため息をつく。
「嫌です」
「じゃあ、帰って話し合いましょう。今日は外で食べるつもりでしたが、嫉妬する姿を見せるわけにもいけませんから何か買って帰りましよ」
「嫌だって」
「アリーナ嬢、諦めたほうがいい。」
「そうよ、アリーナ。求められて愛される方が幸せだって言うわよ」
全くもってアリーナの味方になりそうな人間が見当たらない。
「あ、眼鏡! 眼鏡がないと困るから、部署に戻ります」
アリーナは良い言い訳を思い出したと、声を上げる。
「ええ。じゃあ、行きましょうか。」
ライが進行方向をアリーナの部署に向ける。
「ちょっと下ろして」
まさかこのままいくつもりじゃないわよね、とアリーナはライを睨む。
「私が嫉妬しないためにも、このまま行きます」
やだー! というアリーナの心の叫びは、そのまま廊下に響いた。
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その場に残されたシェスとガイナーは顔を見合わせる。
「ライのあんな姿を見ることがあるとは思わなかったぞ。」
「ライ様も本物の恋を見つけたのね」
「ガイナー、そろそろその女言葉どうにかならないか。」
「やだ、シェス無理よ」
この二人、10ほど年は離れているが、幼馴染である。
「ダナと結婚公表したら戻すのかと思ったんだがな。」
「だって、ダナがこれが面白いって言うから」
「…お前もダナも変わってるな。」
「まあね」
「お前のところももう8年だろう? 子供は…考えてるのか?」
「やだ、それは人様に言うことじゃないわよ」
「悪いな。だが、今後の人事とか考えてのことだ。妊娠したとなれば、警護の仕事を続けさせるわけもいかないだろう? まだ妊娠した後続けるのがいないから、どういう配置にしたらいいかは考えてはいるんだが、実際に対象になる人間もいないしな。それで、参考までにお前のところはどうかと思って」
「ダナは警護の仕事が好きだからねぇ。…一時的に事務官にして、出産後警護に戻すって言うのはど」
「…体力的にどうだろう。それに夜勤があるぞ。子供はどうする?」
「…そうねぇ。その間私が頑張るしかないんでしょうけど、私も仕事をポカするわけにもいかないしねぇ。乳母みたいなの雇うしかないんでしょうねぇ。でもうちの収入だったら別にいいけど、他の下っ端の家だと収入面から見ても人を雇うって躊躇しちゃうでしょうね」
「…だから他の部署も仕事辞めるのか? うちは体力的な問題で難しいって本人たちにいつも言われるが。」
「いいえ。あれは違うわよ。どこかの頭の固い上司がねちねちねちねちやるのよ。戻ってきてもお前の仕事は雑用だけだぞって」
「何だそれ!」
「そうでしょう? 貴族様は頭が固くて困るわ。女性は家にいるのが当たり前、仕事の能力があるなんてこれっぽっちも思ってないからそんなことできるんでしょうけど」
「…そうか、金庫番はまだ結婚後の仕事継続は認められてなかったな。」
「そうよ。でもあんなにライ様に求められてるのを見ると、応援するしかないわよね」
「お前、明らかにアリーナ嬢じゃなくてライの応援してるだろう。それでいいのか?」
「良くはないわよ。アリーナに辞められると相当痛手よ」
「アリーナ嬢はそんなに優秀なのか。」
「そうね。…言っちゃなんだけど、女の子なのが惜しいくらい。女の子じゃなければ、私の後を継いでほしいくらいよ。だから、重要な案件がアリーナに集まりやすいのよねぇ。残業するなって言っても、あれじゃ無理だと私にもわかってるわよ」
はぁ、とガイナーがため息をつく。
「マリア嬢もダメだったらしいな。」
「そうなの。マリアも仕事ができるのよねぇ。まあ、できると思える女の子じゃなければ、渋るファム公爵を説得する労力なんて掛けないけどね。…本当に惜しいわ」
「ガイナーは前から即戦力しか入れる気はないって言ってたな。俺はまあ、鍛えがいがありそうなやつを取るからな。」
「うちは少数精鋭だから。騎士団は数がいるでしょ。だから、人を育てる余裕があるのよ。本当はそういう余裕も欲しいんだけど、何しろ仕事量が多くて、そんな暇がないのよね」
「取り合えず、うちは妊娠したから雑用な、とは言わないぞ。ダナならそうだな、団長決済の印鑑押してもらってもいいぞ。」
「…それ、完全に自分が楽したいだけでしょ。ダナに変な仕事振らないでよね」
「分かったから、睨むな。…だが、女性が働き続けるのは、大変だな。」
「そうね。もっと女性が働きやすい職場になってほしいものよ」
ライとアリーナがいなくなった廊下に、2人のため息が小さく響いた。




