33
「そっか。私は無理ね。今やめたら後悔しかないわ」
「ライ様との結婚の話?」
マリアからも聞いたんだろうが、この話は城下でも広まっている話だろうとアリーナは思っている。何しろ、伯爵家から担がれて出てきた上に横抱きの姿をたくさんの人に見られている。広まらないほうがおかしい。
「そう。結婚したら今の仕事はやめないといけないから。それだけは絶対いや。」
「…結局子供ができたらやめることになるんでしょ」
「…そうね。結婚すら考えたこともないのに子供とか考えたこともないけど。一応結婚しても辞めなくてもいいって
部署は、妊娠しても続けていいんだって話だけはあるみたいだけど、続けた人は誰もいないわけだしね」
目をつぶって。とルルが時おり出す指示に従いながら、アリーナは結婚してからも仕事をしていた女性たちが妊娠したとたん判を押したようにやめていく話を思い出していた。
「戻ってきたら雑用係になるからって言われて仕事を続ける人間がいるわけないじゃない。学院で一緒に勉強してた男性が仕事を任されるのを見ながら雑用しかこなせないなんて。本当に呆れちゃうわ」
ルルの話に、目をつぶっていたアリーナはつい目を開けた。
「どういうこと?」
「…アリーナさんは知らなかった?まぁ、大っぴらには言われないらしいけど、妊娠したってわかったとたんに、役立たずって認定されるらしいわよ。ほら、目をつぶって」
アリーナはしぶしぶ目を閉じる。
「うちの部署はそもそも結婚した時点で続けられないし、同期たちはみんな結婚してやめちゃったから、そんな話は聞かなかったのかも。」
学院卒業生はほぼ全員城勤めをする。その中には女性が割合的には少ないが存在している。アリーナの同期はルルを含めて10人いた。だが、今城に残っているアリーナの女性の同期はいない。ほとんどが結婚を機にやめてしまった。唯一の例外がここにいるルルで、結婚などする前に自らやめてしまった。ここは私が働きたかった場所じゃないと言って。
誰だって、新しい仕事を始めるときには、夢や希望や向上心がいっぱいだ。だが、この国の特に城勤めをする女性は、その夢や希望や向上心を早い段階でへし折られることが多い。結婚したら続けられないのにどうして働きに来ているんだと直接言ってくるような輩もいる。それは直接言ってくる分、まだいい。最悪なのは、女性が事務官や武官として働くことに拒否的な上司だ。そういう上司がいたら、どんなことが起こるか。…女性に仕事をさせないようにするのだ。無言の圧力。毎日毎日、男性と同じように登城するにも関わらず、与えられる仕事は雑用だけ。先ほどの妊娠云々の前の時点ですでにそれは始まっている部署もあるわけだ。
だが、おしなべて妊娠したとたんに女性が辞めていた理由がそれだとわかって、アリーナも納得した。
どうして女性だというだけで、仕事を続けさせてもらえなくなるんだろう。
閉じた瞳の中で、アリーナは今まで辞めて行った同僚や同期の顔を思い出していた。
****
「はい、できた」
そう言ってルルから鏡が差し出されたが、アリーナには見えるはずもない。
「見えないんですけど。眼鏡頂戴。」
「…出来映えを邪魔するんだけど、見えないなら仕方ないわね」
ルルが眼鏡をかけてくれる。
「…誰?」
鏡に映った顔はアリーナではなかった。だが、アリーナの口が動いた通りに口許は動いている。
「どう?美人になったでしょ」
「…美人って言っていいんでしょうけど、誰が見ても私だってわからないわよ」
自分で言うのもおこがましい気もしたが、アリーナにとっては鏡の中の人物は自分とは違う別人だ。
家族が見ても気付かないに違いない。
それほど別人だ。
アリーナの乏しい表現力で表そうとすると、先ほどルルを初めて見たときとそう変わらない表現しか出来ない。だが、元のパーツの関係か、ルルの化粧の腕によるものか、アリーナの顔はルルとはまた違う種類の美人に仕上げられていた。
「飾ればこれだけ美しくなるってこと。誰だって大なり小なり化粧の力に頼ってるんだからなにもおかしいことはないわ」
いやでもこれは変わりすぎだろうと、アリーナは鏡の中の変わり果てた自分の顔を見つめる。
これはまるで…。
「他人の顔を被せたみたいだわ」
「いえ。これは紛れもなくアリーナさんよ。見る人が見ればわかるものよ」
鏡の中のルルがニッコリと笑う。
「少なくとも、今日会ったショパー侯爵の娘さんはわからないでしょうね」
アリーナだって、自分の顔とは認識できない。自分の顔として映している鏡にこの顔が映っているから、この顔がアリーナの顔に違いないと思えるだけで、頭と顔の解離に少々混乱している。
「あ、アリーナさん。下着は全部買い換えてくださいね。胸が可愛そうですから」
顔をいじられ終わって、終わりだと思ったアリーナをルルは何やらおもむろに背中や脇を触った。そしてルルから服を脱ぐように言われた。アリーナは抵抗した。抵抗したが、下着のサイズが合ってないからきちんとあったサイズにしようと言われ、渋々脱いだ。
あっという間に背中やお腹や脇から肉を集めてきたルルは、アリーナがもともと着けていた下着のサイズより2つほど上のサイズを選んでつけた。
今の今まで存在していなかった胸の谷間が出来たことに、アリーナは本気で驚いた。ルルは魔術師に違いないと。
だがルル曰く、合わない下着を着けていたせいで肉が流れていただけで、何ら魔術のようなことはしていないと。
アリーナは素直に頷いた。背中についてきたと思っていた脂肪が実は胸の肉なのだと言われるとは思いもよらなかったが、胸の肉と言われれば、胸の肉として人生を全うさせたい気がした。




