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まだ来て一時間もたたないのに、席についたアリーナはどっと疲れが出た。
昨日の出来事が要因とは言え、長年の勘違いがさっきまでの会話を複雑にした。
ガイナーが単純にあんな男には引っ掛かっちゃ駄目よ、と言うだけで、あの会話の複雑さが減ったんだと思うと、アリーナは長年ガイナーを乙女として扱いきれなかった罪悪感をキッパリ忘れようと思った。
この話を複雑にしたのは、たぶんガイナーだ。たぶん。
アリーナはふと、ダナはガイナーのどこが良くて結婚したんだろうと思いかけて、それは人の勝手だな、と思い直した。
取り敢えず今日も仕事は山積みで、それなのに9時半時以降仕事場に残るのはガイナーによって禁止されているし、休憩をきちんと取らないと作業効率が上がらないとガイナーにどやされる。つまり、アリーナの時間には限りがある。
アリーナが朝の7時半に来てるのも仕事に時間を使いたいからなのだが、同じ時間には既に来ているガイナーは仕事の進捗状況を把握するための時間だと言って、何だかんだと邪魔してくる。
計算する時間がいくらあっても足りてないのにガイナーとダナの恋バナに時間を割くわけにはいかない。
ここが滞ると、城の…ひいては国のお金が滞る。
ここは城にある金庫番という名の計算のスペシャリストが集まった部署だ。
朝から晩まで計算に明け暮れる。
「アリーナさん!」
ハッと意識が切り替わる。
アリーナは仕事に集中しすぎてよく周りが見えなくなることがある。まあ、この部署の人間にはままいるタイプではあったが。
「えと、何、マリア?」
隣の席のマリアはアリーナがそうだと知っているため、昼食と夕食を始めとした2、3時間に一回は設定された休憩時間に必ず声をかけてくれる有り難い人物だ。アリーナより4つほど若いが、この部署に来てからアリーナの性質を知って甲斐甲斐しく声をかけてくれる。
「何じゃないですし」
マリアは呆れた様子でアリーナを見ている。
「え~と、もうお昼?」
アリーナの体感時間としては、まだお昼には早いと思う。つまり、お腹がまだすいてない。
「違います。あれ」
マリアがそっと視線を向けた方向を見れば、ガイナーとライが何やら会話している…いや、言い争いをしているように見える。
「何あれ?」
アリーナの防衛本能により巻き込まれたくないとヒソヒソとマリアに 問いかけると、マリアが更に呆れた表情になる。
「変態副団長様がアリーナさんを探しに来たからですよ」
変態副団長様という呼び名は、ガイナーからライの話を聞いた結果、マリアが付けた呼び名で、この部署で他に使う者はいない。マリアはライへの興味のなさなら、この部署でアリーナと一二を争うくらいだ。
「…何でガイナー室長がライ様と喧嘩してるの」
「何言ってるんですか!アリーナさんを変態から守るためじゃないですか」
マリアも既に朝からされたあの話を知っているらしい。とうとう敬称も略された、とアリーナはマリアの呼び名の変化をやれやれと思う。
「で、私はどうすればいいわけ?」
「とにかく目立たないようにしてください。昨日はどんなかっこうしてましたか」
「えーっとドレスで髪は下ろしてた」
「今の超ストイックな格好じゃ全く気づかない可能性も高いですかね。眼鏡は?」
「外すと見えないからかけてるしかないよね」
アリーナはド近眼だ。
「眼鏡はこれ?」
「そうだね。これ以外にいらなくない」
「その眼鏡、本当に実用にしか向いてない眼鏡ですけど、ドレスを着るとき向きのもう少しお洒落なのありますよ」
マリアは豪商の娘でマリアの実家では服飾雑貨の類いも扱っている。
「見えればいいから要らなくない」
「アリーナさんならそうでしょうね。とにかく…昨日も眼鏡ならばれやすいですね。眼鏡は外しておいてください」
「仕事するなって話?」
「ガイナー室長が変態を追い返すまでです。ガイナー室長から許可は降りてます」
…どんな許可だ。
「いやだ。仕事させて。ライ様に呼ばれても気づかないってことでいいんじゃない」
「…じゃあ、アリーナさんの素晴らしい集中力に期待して、仕事の邪魔をしないで下さいと追い返す作戦Bに変更します」
「あ、そ」
最初からそれでよかったんじゃないの、とアリーナはちらりとライを見て、肩をすくめるとまた仕事に戻る。
数字を見つめていると胸が躍ってあっという間にアリーナは集中する。
ライの来訪などすぐに忘れた。




