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案の定、彼の声が聞こえたらしいあのグラタンの惨状を一度は目にした人間の忍んだ笑い声が聞こえてくる。
まだあの惨状を見てない人間は、何事かと近づいて行って、その惨状に眉を顰める。
……一応は、あのグラタンはまずいだろうと、作り直しもしてみたのだ。だが、なぜかオーブンが許してくれなかった。作り直しのためにオーブンに入れた物体は、なぜか爆発した。オーブンは使い物にならなくなった。
そのせいで、それ以上の作り直しはできなかったし、この会場に来るためには料理を一品持っていく必要があったから、アリーナはあのグラタンもどきを持ってこざるを得なかった。
……多少、これで両親の言いつけは守ったし、結婚の話など二度と出ないだろうと小躍りしたい気分で来たのは、アリーナの両親には秘密だ。ただ、この会場に来て侮辱され続けると言う苦行があることはすっかり頭から抜けていたのだが。
「ライ様、おやめになった方が……」
物思いにふけっていたせいで、アリーナは彼の動向に気付いていなかった。その言葉が耳に届いてそっと隣をもう一度見る。
ライ様、と呼ばれたのは騎士団副団長をしている美丈夫だ。会場にライが入ってきたときに女性陣は喜びで男性陣は落胆でざわめくぐらいに、この国では有名人だ。まあ、騎士団副団長をしている時点で有名ではあるのだが、きちんとした仕事もあり、美丈夫で、身分は平民ではあるけれど、騎士団副団長という肩書があれば、貴族とも結婚は可能で、騎士団の中でも団員たちに慕われていると言われているけれど、そんな好物件であるはずの彼が…婚活パーティーでは必ず誰かとカップルになるような彼が、34になる今もいまだに結婚に至らない、というこの国の不思議な話として広まるくらいに有名なのだ。
異性にも結婚にも興味がないアリーナですら知っている。
そんな有名人が、アリーナのグラタンもどきのスプーンを救……掬っている!という衝撃の場面に、アリーナだけではなく、その周りにいた人々や、あの惨状を目にした人間がかたずをのんでライを見守っている。
「これは……シチュー? ……だが、上が焦げてるのは何でだろう?」
ライが救った…掬ったスプーンからは、たらたらと白みの強い茶色っぽい液体が皿に落ちていく。
……ああ、見るだけでまずそう。
アリーナはこの先の展開が恐ろしくて、目を逸らした。
「これは……かぼちゃと鶏肉……」
かちゃり、と皿にサーブ用のスプーンが戻されたらしい音がして、ほっとしてアリーナがライを見ると、ライは皿に取り分けてしまったらしいグラタンもどきの具にフォークを突き刺そうとしているところだった。
……掬ったのか。……食べるのか?
止めてあげたい気分ではあったが、あいにくアリーナは、この料理の作者です、と名乗り出る勇気は全くない。主催者たちはあれがアリーナの作ったものだと知っているけれど、それを明かすのはマナー違反だから、名乗りださなければ大体ばれることはない、はずだ。
「生、ですね」
やっぱり、とかぼちゃを突き刺して呟くライを見て、食べない方がいいですよ、と心の中で呟く。アリーナの精一杯の親切心だ。……もちろん相手には全く伝わることはないが。
「ライ様。お止めになった方が」
ライを止めるのは、近くに居た令嬢だ。アリーナは、心の中でその令嬢に礼を言った。よくぞ止めてくれた、と。
「あの、こちらを食べてはいかがでしょう?」
その令嬢はその二つ隣にあった皿を勧める。多分、間違いなく令嬢の作った料理なのだろう。アリーナも心の中で頷く。21番ほどではなかったけれど、確かにあれもおいしかった。アリーナの作った料理を食べるくらいなら、あれを食べたほうが絶対良い。
「折角皿に取ったのだから、味くらいは見させてください」
そんな探求心を今発揮しないで! というアリーナの心の声はライに届くわけもなく。ライはベシャメルソースになり切れなかった茶色っぽいスープを口に含む。
一瞬でその顔が歪む。
……どんな味なんだろう、味わいたくはないけど、とアリーナはライの言葉を待つ。
「……焦げた味しかしない……。……味は……ついてるの、か?」
その言葉に、アリーナはハッとする。
塩も胡椒もにんにくのひとかけらさえ、味が付きそうなものをあのグラタンには投入していなかったことを思い出して。
……そりゃ、味はしないだろうなぁ。……味見しなくて良かった。
自分で味見しなかったことをホッとしたアリーナは、ライに少々申し訳ない気分を持ったものの、あんな食べられそうにもないものを食べようとした方が悪いと思いなおして、21番の皿に向かう。
私はおいしいものが食べたい。
もうライの起こしたひと騒ぎは、アリーナの中でなかったことになった。