絶望に満ち溢れた青年
今日も清々しい朝だな、外はこんなに快晴なのに僕の心は雨雲のように薄暗く淀んでいる。
僕は地元の病院系列のグループホームで介護職に就いてるのだが決して周囲の人達から慕われたり期待もされてない冴えないただの青年だ。
いつも先輩や上司、一部の利用者からパワハラ等の虐めを受けている。
僕が何故介護職に就こうと考えたかと言うと、僕は高校卒業後自宅から徒歩で5分以内で通勤できる金属加工の工場に就職するも物覚えが悪いせいか僕の配属された部署のリーダーから「病気あるの?」「君はあほね?」と心無い言葉を突き付けられ僕は我慢できずリーダーにため口を使ってしまい、総務部長から事務所に呼び出され「お前のようなボンクラの相手をしている時間はない!」「始末書をかけ!」と命令され僕は入社1週間目で失態を犯してしまった。
それから僕の身も心はかなりボロボロになり自尊心を失いかけており、毎日偏頭痛が起きるようになったのだ。
時々僕は小学校の頃お世話になった元担任のおばちゃん先生に相談しに行くことがあり、残業と休日出勤の少ない仕事はあるのか尋ねてみると、介護はどうかな?と先生は僕に提案してくれた。
1月の正月明け、僕は今の会社を3月末で辞める旨を伝えリーダーと係長に退職願を提出。
工場を丁度一年働き退職後、介護士を目指すなら職業訓練校で介護の勉強を半年学び無事修了したら実務者研修の資格を取得出来るとのことで職業訓練校に4月から入校することにした。
分厚い教本を4~5冊程配布されそれを半年で修了ってかなりムリゲーだと思うし講師の人達の話はさっぱり分からないし、予習プリントも出ないし、ホワイトボードに細かく書いてくれるわけでもないしこれなら中学、高校教師の方がずっといい教え方してるんだと今更ながらありがたみを感じる。
何だかんだで課題をこなしてはいたけど校外実習で介護施設で実際に日頃授業で行っていることを施設で体験させてもらうんだけどデイサービス、訪問介護は無事にこなしたけど特別養護老人ホームでの実習が一番最悪だった。
実習先の特養の主任が同じ訓練校出身で僕がお婆さん利用者の口腔介助を行っている際、お婆さんの舌を綺麗に磨こうとするもすぐに口を閉じてしまうため上手く口腔介助ができず、何度も優しく声掛けを行っていると「あんた私ば使って遊んどるとね!?」
とお婆さん利用者が僕に怒鳴りつけるため「そんなことはありませんよ、そんなことする為に僕は此処に来ているわけではありません」
柔らかい表情でお婆さんに状況を説明すると「玉置君、利用者の言葉を否定したいかんよ!」
「いえ、僕は説明を…」
「違うて否定しとったやんね!」
「す…すみません…」
「利用者の前で泣かんよ!」
悔しかった、特養てのはこうも理不尽なことが罷り《まかり》通るのか、それから僕は不満に思うことはありながらも無事に実習を終了することができた。
10月になり職業訓練を修了し、介護事業所をいくつも面接を受けてみたが不採用続き、おんどりゃあ!何が介護は人手不足じゃ!人を雇わないから足りないだけじゃないか!と僕は嘆きハローワークでオープン一年目のグループホームに面接を受け無事採用が決まった。
やっと念願の介護職に就けるんだと夢と希望でいっぱいだった僕は上手く介助ができなかったりと先輩の足を引っ張ることはあったけど最初の2~3ヶ月は大変ながらもやりがいを感じていた。
僕が介護にやりがいを感じなくなったのは、ある一人の番場というお婆さん利用者が全ての元凶だ。
その利用者は2月末に僕が配属されてるフロアへ入所し最初の2~3週間は僕の声掛けにも応じてくれる少し寂しがりやなお婆さんだったのに認知症の進行が進んだからなのか、急に僕の声掛けに応じてくれることは無くなり、フロアのリーダーからそのお婆さん利用者について上手く介助ができないことをいいことに「人任せにするな」「新人じゃないんだからしっかりしろ」難癖をつけられる毎日。
その頃から僕は介護の仕事をしていても全く楽しくなくなった…
一体僕が何をしたっていうんだよ!
寄ってたかってみんなで僕を虐めやがって!
今頃なら僕の計画では先輩上司、利用者からも「君はこの施設にはいなくてはならない人間だ」
と期待される新人介護職員になる筈だったのに、全部あの利用者が入所してから俺の歯車が狂ったんだ!
ネガティブなことをさっきから言ってるけど僕に優しく接してくれる丸子というお婆ちゃん利用者がいてその人は若い頃は小学校教師をしていたらしく茶道の先生もしていた方で僕はそのお婆ちゃんの居室で茶道を教えてもらうのがとても楽しくてお婆ちゃんとのレクリエーションが終わるとやっと解放されたと思う気持ちともっとしたかったなあと思う気持ちになったりと複雑な気持ちになっていた。
グループホームに勤務して1年目くらいに松木という78歳のお婆ちゃんが入所してきた。
そのお婆さんも精神が不安定になりやすく安定剤を毎日服用していないといけないほどだけどそんな素振りを見せず僕達介護職員だけでなく他の利用者にも優しいお婆さんだった。
茶道を教えてくれる丸子さんとは家が近所らしくてかなり仲良く食器吹き等も一緒にするなど関係は良好だった。
勿論僕もこのまままた仕事が楽しくなればいいなと思ったけどやはり現実は渋い。
夜勤が16時間あって番場の居室などの巡回に行きトイレ声掛けなどを行うも敵意剥き出しでパッド確認の声掛けも拒否するし杖で僕を殴ったりと最悪だ。
「女のきゃくされんごとしてからはよ消えんか!」「杖でうっ叩くぞ!」と暴言を吐きこれじゃ仕事ができないじゃないか!
僕は番場の僕に対する仕打ちを記録に書留めるも誰も記録をちゃんと見ていないのか状況は全く変化なし。
挙句の果てに管理者とリーダーに呼び出され何事かと思ったら番場の件で色々とまあ最悪だ。
「玉置さん、番場さんの介助拒否が酷く目立ってるけど玉置さんの声掛けに問題があるんじゃないの?」
えっ?何でそういう答えになるの?僕は先輩方から番場への声掛けや介助の仕方をアドバイスしてもらってその通りに頑張ってるのに何で僕のことをそんなに否定するんだよ!
利用者の発言を否定したらダメなのに僕ら職員の意見は否定なんて理不尽だ!
僕達はあんたらの奴隷でも下僕でもないんだぞ!
もう辞めたい…
一年半過ぎた頃くらいから僕の顔はかなり窶れ精神状態も不安定で病院に受診したら双極性障害と診断された。
医者からは精神安定剤の薬を処方してもらいながら介護の仕事を継続していたがやはり番場、リーダー、管理者からの虐めやパワハラは日に日にエスカレートしていた。
「このままだと精神状態も危険だから休業できるよに診断書を書いておくよと」
と医者に言われ診断書を受け取り僕は管理者にそのまま診断書のコピーと退職願を提出。
何で辞めるの?と引き留められるどころか「えっ?」て言われるだけだった。
当然だよな、番場のせいで施設で一番仕事のできない職員認定された僕なんかが必要な存在なわけないんだから。
相談しやすかった先輩に「しばらく休業してからの復帰でもよかったのでは?」「玉置君辞めないでほしなあ」と心配する先輩二人がいたけど休業しても上司や番場たちの虐めは無くならないし、もしかした利用者に虐待す可能性があったので自分から身を引くことを決意した。
出勤最後の日、僕は勤務時間が終わり上司や先輩、今までお世話になった丸子さん、松木さん、他の利用者にお別れの挨拶を済ませた。
出勤最後の日も結構あっさりと終わりを迎えた、長い道のりだったよ、よく二年間介護の仕事を頑張った自分で褒めていた。
僕は自宅に帰宅し風呂に入り、夕食を済ませ寝床に就寝しようと寝床に就くもなかなか眠れない。
明日から僕も無職、早く新しい仕事を探さなきゃと頭がいっぱいだったけど眠気も出てきてそのまま眠りについた。
この世界で最後のねむりに。