プロローグ
能力がないなら、作ればいい。
透村麗奈は放課後の学校が好きだった。
「全能学園」の放課後は特に好きだ。
体育館からコーラスの音がかすかに響いてくる。感応能力者たちの歌声は歌わなくても、直接聴くものの脳に語りかけてくる。なんとも心地よい。
窓からみえるグラウンドでは、活気にあふれた部活動生の声がきこえる。夕日を浴びてオレンジ色に変わったトラックにそって、陸上部が練習している。足の裏から空気の塊や炎を吹き上がらせながら、さながらブースターのように駆ける生徒たち。
透村はその様子をみながら、ちょっと羨ましい気持ちになる。
「陸上部、今年全国出たんだって」
となりを歩く形無裕子がいう。
「いいよねえ、華があってさ。あたしも空中浮遊能力者とか発火能力者だったら、ぜったい運動部入ってたもん」
「ミステリ研究部は不満?」
「まあ、となりの芝は青いってことで」
透村はけらけらと笑った。
「ところで、ほんとに念堂先輩、部室にいるのかなあ?」
「私のいうことは絶対だからね」
二人は廊下の角をまがり、手前の教室の前で足を止める。ドアにはわら半紙で書かれた「ミステリ研究部室」の文字。教室のなかを見ることができるのは、ドアの上にある窓だけだ。そこには今、黒いカーテンがかかっていて、中をのぞくことはできない。
念堂稔が部室にいる証拠だ。
「ほらね」
勝ち誇った顔の透村に、形無も白い歯をみせて応じる。
「これ、準備してきて正解だったね」
そういって、形無は自分の着ている服のえりをひっぱった。女子生徒の制服ではなく、大人の男モノのスーツ。それも、薄いカーキ色で、どうも年寄り臭い服。
「先輩、びっくりするかなあ?」
「するよ。絶対」
「じゃあ、あたしそろそろ……」
形無は目をつぶると、両手で顔を覆った。
数秒後、手を離したその顔は、形無の顔ではなかった。50代くらいの初老の男性。髪にわずかに白髪が混じっている。
形無裕子の能力――変身能力者だ。
「うわ、なんか臭そう!」
「からからないでよ、もう。ニオイまで真似できないからね」
「じゃあ、いくよ」
「うん」
透村と形無は二人で顔を見合わせて笑うと、部室のドアをノックする。
「おい、念堂居るか?」
形無の口から、かすれた大人の男の声が発せられる。
「おい! そこにいるのはわかってるんだ」
透村は口元を抑えて必死に笑いをかみ殺す。
「まさか校則違反でもしてるんじゃないだろうな」
返事はない。
部室内に耳をそばだてる。不思議と物音ひとつしない。何度呼び掛けても反応はない。そこにいるはずなのに、居留守を使っているのだろうか。それとも、念堂は本当にいないのだろうか。
透村がゆっくりとドアノブに手をかける。
「あれ?」
開かない。内側からカギがかかっているのだ。部室の入り口はここしかない。
怪訝な顔の形無が、
「開ける?」
透村はゆっくりと頷く。形無の手がアメーバーのようにぐにゃりと原形をなくし、液状となった指がドアのカギ穴へと滑り込んでいく。やがて、かちゃりと音がするのを確認してから、形無がそっとドアを開けると、半身をドアの隙間にすべりこませる。透村もあとについていくかたちで部室へと入っていく。
部屋に入った途端、たばこのにおいが鼻をついた。透村の思っていた通り、念堂はここで教師に隠れてたばこを吸っていたのだ。テーブルの上の灰皿には吸い殻が何本か入っている。閉まったドアの向こうに視線を向けて、透村ははっとする。
どうして――。
「きゃあ!」
そのとき、形無が悲鳴を上げた。何かを指さしながら、腰を抜かして床にくずおれる。
「どうしたの?!」
形無が指さす方向――。
そこに誰かが横たわっている。
頭から血を流して――。
それは、まぎれもない。
ミステリ研究部部長・念堂稔の死体だった。