05.社会を模した演奏機構
二杯目の紅茶を飲み干して、受け皿の上に戻す。正面に座っているミラが「おかわりは?」と言いたげな顔をして、ポットを片手に構えている。流石にガブガブと飲み続けるのも良くないと思い、開いた右手を左右に振った。
いつの間にか、数枚は残っていたはずのクッキーが消えている。お洒落な空間に酔ってしまい、知らぬ間に食べ進めていたのかもしれない……ということはなく、ただお腹が減っていただけである。
何か聞き出さねばと、あまり視界に入っていなかった店内をキョロキョロと見回す。テーブルとクロスの同じ、白く塗られた壁と焦げ茶色の木材を使った床。落ち着いた空間の端で、違和感を放つ機械にふと目が留まる。
「何か気になるものでも?」
「あ、いや、あそこの音鳴ってるやつ……」
どうも、私は機械というものに疎い。閉鎖的で、かつ交通の不便なあの村には、最新の技術など入ってくるはずもなかった。別に、機械が無くても生活に困らなかっただろうけど。
「ああ、これのことですね。ちょっと見てみますか?」
立ち上がり、正体不明な装置に近づく。その上部には何やら回転している金属の円盤。さらに、そこに無数の突起が付けられている。
それを覆うように取り付けられた部分から、このポロンポロンという音が鳴っているようだ。
「この細かいのが、中に付けられた薄い板を弾いて音が出るんです。別のものに取り換えれば、曲も変えられるんですよ」
「へぇー」
続いて下側から覗き込む。円盤に繋がる幾つもの歯車がグルグルと回っているようだ
そんな光景を眺めていると、突然音が鳴りやんでしまった。
「止まっちゃった……」
「ここ、巻けばまた流れますよ」
そう言って彼が指差したのは、機械の横に飛び出た平べったい部品。言われた通り、親指と人差し指で挟んで回してみる。
すると、カチカチと音を立てながら、その先に繋がれた板が巻かれていくのが見えた。
ある程度巻いて、今度は手を離す。その部品はゆっくりと逆回転を始め、内側の歯車たちに動力を伝えていた。そして上の円盤は、力を取り戻し演奏を再開する。
「おーっ!」
多分、私が巻いた部分は力を溜めるための機構なのではないだろうか。
こういったものを思いつく人間は、本当に凄いと思う。
「機械とか、苦手なんですか?」
「うん、昔から機械に触れる機会が無くて……あっ、今の偶然だからっ! 狙ったわけじゃないからねっ!」
「あっ、はい。大丈夫ですよっ! よくあることですし……」
はあ……わざと言った訳ではないのに、キメ顔で言った時と同じように沈む空気。これだから嫌なんだよ、駄洒落は。何気ない会話で自爆しかねないもの。
規則的に回転を続ける複数の歯車。巻いた部品からの力を機械全体に伝動する。
だが、私にはその構造が別のものに見えてしまった。
そう、この社会全体だ。
中心となる者の言う通りに、その下部の者が行動する。絶対的な規則に囚われた国民は、その機構に抗うことなく生活を続けるのだ。
一つでも歯車が欠けたり歪んだりしたら、その先の全ては動きを止めるだろう。故障した部品は、見つかり次第取り除かれ、新たな部品で置き換えられる。
きっとファイザーからは、私とリーンは噛み合わなくなった歯車に等しいだろう。きっと何らかの行動をとった次の日から、指名手配でもされて居場所がなくなるのがオチだ。
逆に、ファイザーを倒すという私達の復讐は、動力源を破壊することと同じだ。大きな視点で見れば、それは国の機能を停止させることとなるだろう。
そう考えると、私達のしようとしていることが、いかに壮大なものなのかがよく分かる。
「あの……」
「あ、ごめんごめん! ちょっと考え事してて……」
再びテーブルに戻り、自然と向かい合う形になる。そういえば、今だに有用な情報を聞き出せていないような……この時間は一体何だったのだろう。
「さっき、ファイザーと会う方法、聞こうとしてましたよね?」
「……うん」
私が最も聞くべきことは、もう知っていたようで。そりゃ、目の前でリーンが問いただしてたからなあ。あれは理不尽な拷問に近い気もするが。
それにしても、てっきりディザニークを信じる人達は皆、あいつのことを「ファイザー様」と呼ぶものだと思っていた。信者でも意外とその辺はテキトーだったりして。
「近づく方法なら、一つありますよ」
「えっ、ホントに!?」
ヒントは何も得られそうにないなあ。そう思っていた中でのミラの一言。
「簡単……ではないですが……」
「いいよ、どんなものでもいいから教えて!」
まず、ファイザーのところへ辿りつくのが簡単なはずがない。どんな方法だって大変だし、かなりの危険が伴うに決まっている。
「レイクロック学園で開催される大会で、一位になることです」
へ? どこ、それ。そのレイなんとかって……。
「私、外から来たからあまり詳しくなくて……」
「ワーロミューの人なら知ってて当然な気もしますが……この町のど真ん中に建ってる学校のことです」
学校。主に子供に教育を施す施設のことだ。存在自体は知っているが、これもまた、私が触れる機会などなかったものだ。
「そこで、まあ一部ですけど、生徒同士が能力で戦う行事があるんですよ。その優勝者が、ファイザーとの食事会に呼ばれるんです」
彼の言葉の中にあった聞き慣れない単語。そう、能力。
推測するに、リーンの言う「神の奇跡」のことではないだろうか。だが、神を信じる人が「神」という文字を外すはずがない。
もしや……この国の人々は皆、あの力が信仰心を還元したものであると知らないのでは。リーンが間違えているという線は有り得ない。悪魔とはいえ、神に最も近かった存在なのだから。
多分、「奇跡の力」は生まれ持った何かだと考えてられているのだ。だから「能力」という呼称が付いたのだろう。
「そっか、今日はありがと。じゃあ、そろそろ……」
別れを告げて席を立ち、扉の取っ手に手をかける。店を出ようとしたその時、ミラは相変わらずの小さい声でこう言った。
「良かったら、また……来てくださいね」
* * * * *
「遅せえよ……」
店を出てから空き家までの、最初の十字路を曲がる時、後ろからガシッと衣服を掴まれた。
「なんでここにいるの!?」
言うまでもなく、私を待ち構えていたのはリーンであった。さっき、「先に帰ってる」って言ってたはずじゃ……。
「どうせ時間かかるだろうと思って、少し町をぶらぶらしてたんだけどな……それでも帰って来ねえから迎えに来たってわけだ……」
えっと、それは「私を心配してくれた」と捉えて良いのだろうか。気のせいか、優しさをいじられるのを嫌うくせに、時々自滅してるような……。
「それで、何か聞き出せたか?」
「一応……」
この町の施設や地形なんかの知識が乏しいから何とも言えないが、ファイザーへ近づくための第一歩であることには変わりない。
「そうか……エル、ちょっとこっち来い」
寄っかかっていた壁から背中を離し、歩きはじめたリーン。どこに連れて行くつもりなのだろうか。
あれ? この道は確かさっき通った……。
「よし、背中に乗れ」
「へ?」
あの荒くれもの達と戦った裏路地で彼女は足を止めた。彼らはすでに撤収していたようで、人気は感じられない。
何が目的なのか理解しかねるが、明確な理由があるのだろう。素直に負ぶわれることにした。
私の体重を支えるように両手を後ろに回すと、いきなりバッと飛び上がった。複雑に絡み合った配管の間をすり抜け、ほんの少ししか幅のない窓枠を足場にし、建物の屋根に着地する。
「……ヨダレ垂らすなよ?」
「わ、分かってるよ!!」
平らな屋根の上を駆けながら、それを聞いた彼女はフフッと鼻から息を漏らし、微笑んだ。
* * * * *
「おお、これが……」
「海……」
私達二人の前に広がる、終わりの見えない青い世界。大きな水たまりだなんて教えられていたが、そんな表現に収まるような規模ではなかった。
「歩き回ってたときにな、地図ってのを見つけたんだ。下の方に青で塗りつぶされたところがあったからな、水とかだと思って来てみたら……当たりだった」
石で覆われた海岸線に打ち付ける、これが波。
何かと漂っていた特異的なにおい、これが潮の香り。
なにもかもが初体験だった。
光を反射してギラギラと輝く海を眺めていると、柵に頬杖をついていたリーンが口を開く。
「さっきの話だが……勝てばいいんだから、かなり上等な方法だと思う。だが……後戻りはできなくなるぞ。エル、覚悟はできてるか?」
復讐が成功しても失敗しても、その後の人生がどのようなものになるのかは分かり切っている。国中に顔が知れ渡り、死ぬまで逃亡生活をするか、ひっ捕らえられて死刑に処されるか、そのどちらかだろう。
「あはは……」
考えるだけで笑みが零れる。何が面白いのか、自分でも分からない、。だけれど、その笑いは簡単には収まらなかった。
「ふぅ……」
一度、深呼吸をして、海の方へと右手を突き出す。
私の手の平から、負の気持ちの結晶である紫色の火柱が、激しく火の粉を撒き散らしながら噴き出した。
「私、決めたの……この復讐の炎で、あいつを……跡形もなくなるまで燃やし尽くしてやろうってね」