02.燃え上がる復讐心
そんな回答を聞いたリーンは、私の髪をわしゃわしゃと撫でた。そろそろ乾いたであろう椅子に掛けられた黒い服を取り、綺麗な髪を揺らしながら腕を通す。
「『悪魔の奇跡』ってのは、少し『神の奇跡』と違いがある。神の方は、人間どもの神への信仰心が源だが……悪魔の方は、悪魔の力で自分を神の立場に上げるんだ」
自分を神の立場に。その部分がよく分からない。誰かに信じられる対象という意味ではないだろうし……。
「神ってのは勿論、強い力があるだろ? そいつを信じてる奴に分け与えてるだけだ。確かに悪魔にも力はあるが……良い意味で信じられてる存在じゃないからな。流れはしない」
「やっぱり分かんない」
率直な意見をぶつけて、話を一旦止めさせる。このままじゃ埒が明かない。だが理解できないままでいるのも問題だ。
「そうだな……オレは今、エルに憑りついた状態だ。だから、お前が悪魔の力を持ってるとも見れるよな?」
この説明の中で、初めて頷く。私から見れば、リーンの力は彼女のものだが、外から見ればその力は私が所有権を握っている。多分、そんな感じだろう。
「つまり、お前は強い力を持ってるわけだ」
あっ、と小さく声が漏れる。やっと理解できそうだった。
その奇跡に必要なのは、「強い力」と「信じる気持ち」。
この二つを、「悪魔の力」と「自分を信じる気持ち」で代用する。
「……分かったみたいだな」
復讐という信念を貫く、固い意志。そして信頼関係のある人間と悪魔。これらの条件が、私を偽りの神の立場へと持ち上げてくれる。
「それじゃあ早速やってみるか。取り敢えず、『復讐してやる』とか『絶対殺す』とか、そういうので頭を埋めつくせ……ば、いけるんじゃねーか?」
まさか、言い出した本人がやり方を知らないとは……。しかも最後、「憑りつく」と言ってきた時くらい、いやそれ以上に私を不安にさせた。
だって、何が出るか分からないんだもん。
とはいえ、やってみるしかない。
覚悟を決めて瞼を閉じ、再び燃える村を、あの惨劇を、そしてファイザーの憎たらしい顔を思い浮かべる。
頭の中で荒れ狂う、負の感情の嵐。
掻き立てられた波によって堤防が決壊したその時――
ボオッという何かの燃える音と、パリンという何かの割れる音が、同時に聞こえた。
「エル、お前……」
目を開けると、部屋に一つだけあった小さな窓のガラスが辺りに散乱していた。そして床には、一直線上に焼け焦げた跡。
「な、何が起きたの……?」
視界を閉ざしていた私には分からなかったが、それを目にしたリーンの顔は強張っていた。
「今、確かに見えた……紫に燃える、炎がな」
炎。
一度噴き上がれば簡単には消えない、その熱と光で何もかもを焼き尽くしてしまう圧倒的な力。
そして、奴らと同じ力……。
色が違うからいい、なんてことはない。私が恨み、必然的に復讐の対象となるであろう黒ずくめの実行犯たち。
奴らと私は違うじゃないか。それなのに、力が同じだなんて……。
「エル!!」
またもや闇の大海に沈みかけた私を、リーンの一声が吊り上げる。
「お前は……絶対に使い方を間違えるな。自分の強さに酔ったやつは、必ず破滅するもんだからな……」
「うん……」
リーンは窓の外を確認して、今度は大きく安堵し「ふぅ」と息を吐いた。
「ここは偶然見つけられた空き家だ。流石にここまで追ってきてないだろうが……目立たない方がいいかもな」
「ご、ごめん……」
そう言いながら彼女は、散らばったガラス片を一つ一つ丁寧に拾い上げていた。「破壊の悪魔」でも、壊れたものはきちんと集めるようだ。
「ほら」
後ろから、黒い布が背中にかけられる。よく見ると、先程までリーンが着ていた上着だった。
「窓ねぇと風入ってきて寒いだろ? 色々あって疲れてるだろうし……オレが見張ってるから、エルは寝てろ」
村が襲われた時点から、数時間逃げていたとしても今は真夜中。彼女の背中で少し寝てしまったとはいえ、眠気は感じていた。
「ありがと……」
私達を照らしていた使いかけの蝋燭に、リーンがフッと息を吹きかける。
小さな灯が消えてもなお、私を包み込む一枚の布は温かかった。
* * * * *
「おい、エル……」
目を覚まさせたのは、可愛い小鳥のさえずりでもなければ、近所の優しかったおばあさんでもなく、一夜で聞き慣れてしまったハスキーな声。
もうすこし寝ようと開きかけた瞼を再び閉じようとするも、軽く一発、上から拳が落とされた。
「いたっ……」
「はぁ……何でまたヨダレ垂らすんだよ……」
慌てて口元を手で拭うと、微かに湿り気が。そして包まっていた服に目を落とすと、明らかなシミが一つ。あ、雨漏りでもしたのかなぁ……流石に辛い言い訳だった。
リーンは私からそれを取り上げると、部屋の隅にあった水道で同じように洗い流し始めた。ちゃんと口を閉じて寝る。そんな、ろくでもない今後の課題が追加された。
ここに着いた時には闇に包まれていた町の景色が、朝になってその正体を現す。数え切れない程立ち並ぶ煉瓦造りの建物に、村では考えられないような人々の往来。
割と大きめの町のようだ。通りに面していないこの部屋の小さな窓からでも、それだけ見えるのだから。
そんな私の期待を汲み取ったのか、リーンは濡れた服をバサッと広げ、気にせずそのまま羽織り、部屋の扉を開いた。
「追手も来てないみてぇだし、少し外行くか?」
「うんっ!」
* * * * *
扉を少し開け、隙間から誰も居ないことを確認し、建物の外に出る。少し狭い路地を道なりに進むと、ガヤガヤと人々の活気のある声が近づいてくる。
視界が開けると、そこにあったのは大通りに沿って連なった幾つもの店。並べられた木箱の中には大量の野菜やら果物やらが詰められていた。
客が硬貨を渡し、店主が品物を渡す。当たり前なのかもしれない買い物の様子だが、私にとっては初めて見るものだった。
多からず村の外から仕入れなければならない物があり、お金自体は家で見たことはあるけれど、基本的には自給自足、村人との間では物々交換。だから、私がお金を使う機会が無かった。
「金、無いからな」
「分かってるよ……」
とはいえ、私は人間だ。食事をとらなければ死んでしまう。安全そうだったら、どこかで働く必要があるかもしれない。
それも復讐の過程の一つだろう。
人混みをかき分け、流されないようにリーンの服の裾を軽くつまみながらついていく。
「それにしてもさ、作戦とか……あったりするの?」
「あ? あるわけねぇだろ」
返ってきたのは予想通りすぎる回答だった。リーンって、どこかテキトーなところがあるんだよなぁ。
どうせ考えたところで、突撃以外の選択肢が思い浮かばなそうだ……。
「そうだな……ファイザーが目の前にいなきゃ話になんねぇし……誰かにでも聞いてみっか?」
「いいかもね、それ」
復讐を実行する前提条件として、何らかの形でファイザーに近づく必要がある。周りの頑丈な警備体制を考えると、無理やり接近しようとするのは自殺行為に等しい。
だったら、本人公認の場で会うことができればいいのだ。
「でもさ、そんなこと……あるの?」
「安心しろ。『普通の人間』に聞くわけじゃねぇから」
いやいや、それ全然安心できないんだけど。