01.悪魔の奇跡
顔のあたりにグイッと、一点に集中して力が加えられる。そして、それが幾度となく繰り返されるのだった。
頬を指先でツンツンされるのは、別にいいのだが……リーンは力加減というものを知らないのだろうか。それとも、できないくらい不器用なのか。
「……痛い」
「何回やっても起きねぇからだろうが……」
寝ぼけた私の顔を目にしたリーンが、呆れて溜息をつく。
実は「ちょっと前から起きてたんだけど、リーンにツンツンされたかった」ということは秘密にしておく。
辺りを見回すと、見覚えのない煉瓦造りの建物の中だった。よく考えたら、村の建物は全て木造だったし、村から出たことすら無かったのだから、見覚えがある訳無いのだが。
「エル、お前……小屋出てからずっと寝てただろ。しかもオレの背中で……全力で走ってたのに、よく眠れるなぁオイ」
「ご、ごめんっ!」
どうやら私達の逃走劇は、「夜の闇の中を駆け抜ける少女と悪魔」ではなく「冷たい夜風を切るように走る少女を背負った悪魔」になっていたようで。
というか、走ってる人の背中って大分揺れるはずじゃ……むしろ何故眠れてしまったのか、自分でも聞きたいくらい。
それにしても、煉瓦の壁よりも前に強烈な違和感を覚えるものがある。さっきまでの真っ黒な恰好とは逆の、白地の服を着ているリーンだ。
「どうしたの? その恰好」
私の問いかけに、彼女はもう一度深い息を吐いて、人差し指を私に向ける。その角度を見るに、私の顔を、恐らくは口元を指していた。
寝ていた、服、口元……まさか……。
「なんで他人の背中にヨダレ垂らせるんだか……」
「すみませんでしたっ!」
ここは潔く謝っておく。一年前くらいには、ちゃんと口を閉じて寝られるようになったはずなのに……。
振り返ってみると、私が座らされていた椅子の背もたれに、当該の黒い服が掛けられていた。
丁度口が当たっていたであろう、肩の少し下の辺りが濡れている。
「そこだけ水で流して、干してたんだよ。ああもう、この恰好落ち着かねぇ……」
白い服は、多分内側に着ていたものだろう。
先程までは毛先が隠れていた、銀色の髪の全てが露わになっている。その髪型は、まるで剣でバサッっと切り落としたかのようだった。
リーンから見て左側は腰の辺りまで伸びているが、右端は肩にかかるくらい。斜めに揃えられた毛先に強烈な違和感を覚える。
私があまりにジロジロと見ていたからか、それを察したリーンが口を開く。
「オレたちはな、何もかもディザニークの聖典に……なんていうか、そう、依存するんだ。姿も、力も……な」
ディザニークに対する存在として生み出された三人の悪魔。人ではないからこそ、彼女らを恐れる人々は皆、違和感のあるような容姿を思い浮かべる。
だから、赤い目や銀の髪、そして変わった髪型なのだ。
そして、リーンが私との復讐を考えたのは……一人ではディザニークを絶対に倒せないから。それは「聖典にそう書かれているから」だ。
ディザニークは悪魔たちを倒した。その記述は絶対に覆らない。例え残り二人の悪魔が居ても、神には敵わない。
だからこそ、神への信仰心の無い、則ちディザニークに依存することのない、私を選んだのだろう。
「ちょっと待って……私の目的はファイザー。だけれど、リーンはディザニークをどうにかしたいって……復讐の対象が違うんじゃ……」
ファイザーは神官であり、神であるディザニークに最も近い存在ではある。だが、「ファイザーを倒すこと」と「ディザニークを倒すこと」に繋がりはあるのだろうか。
「エル、知らないのか。神官は必ずあの一族が継ぐって決まりがあってな。ほら、見たことあるなら分かるだろ。あいつ、まあまあ歳いってんじゃねえか」
ファイザーが村に来て、初めて目にしたとき、確かに高齢であることはすぐに分かった。七十前後と見た。
「あいつ、他の親戚は誰も生き残ってないようだ。おまけに独身。もう分かるだろ」
つまり、ファイザーを倒せば一族の血は絶たれ、神官も居なくなる。でも、神官の存在とディザニークに関係は……。
「ディザニークは、その代の神官に直接憑りついて、神官を通して力を振るんだよ。エルはファイザーを倒したいみてぇだが……裏で操っている、全ての黒幕はディザニークだ」
「そっか……私とリーンの目的は少し違うけど、最終的に目指すところは一緒なんだね」
復讐。
曖昧だったその言葉の指すものが、明確に定められた。
ファイザーの命を絶ち、憑りついたディザニークをこの世界から切り離す。
それが、私の……いや、私達の復讐だ。
* * * * *
「私って何の役に立てるの?」
思ったことをそのまま口にする。リーンは凄く力が強いし、戦いは得意なのだろう。破壊の悪魔と名乗っていたのもそれが所以なはずだ。
でも、私はどうだろうか。手から炎を放てるわけでもなく、喧嘩が強いわけでもない。
リーンの足かせになってしまうのではないか。そんな心配があるのだ。
「エルが役に立たなかったら、初めから憑りついてなんかねーよ。その辺の人間より、いや、もしかしたらオレよりも強くなれるはずだ」
私が、リーンよりも……?
「お前の村を襲ったあいつら……炎出してただろ。あれ、どんな仕組みか知ってんのか?」
私は無言で首を横に振った。
最初は目を疑った。人間が火球を撃っているのだ。そんなの、ありえないことじゃないか。
「村の外を知らなすぎだな……あれはディザニークを信じる気持ちから生まれる神の奇跡だ」
奇跡……その言葉だけだと、妙に良い印象に感じる。しかし、神の与えた奇跡も時には犯罪に使われるのだ。
信仰心によって、現実ではありえない現象を起こす。言わば、神による人々への還元だ。
「それで? 私は何も信じてないもの。だから、何もできないでしょ……」
立地的に外部との繋がりが少なかったあの村には、そのような概念自体が存在していなかった。だから、神を信じている村人なんて居なかった。
「いいや。もっと柔軟に考えてみるべきだ」
「柔軟に?」
信仰の対象となる神、ディザニークは……絶大な力を持っている。そして、それを信じる人間に神の奇跡が与えられる。つまりは「強い力」と「信じる気持ち」、この二点が奇跡の正体なはず……。
「神の反対は?」
「それは……悪魔でしょ」
「じゃあ、『神の奇跡』があるんだから……『悪魔の奇跡』があってもいいよな」
立ち上がったリーンが、座ったままの私の前で立ち止まる。そして腰を曲げ、私達の顔と顔が同じ高さに並んだ。
「エル……オレを信じてくれるか?」
私の金色の髪にぽんと手を乗せた、リーンの顔に笑みが浮かぶ。返すようにフフッと微笑み、意を決した私はこう言った。
「ええ、あたりまえじゃない」