07.神が導く最適解
今、目の前にどんな光景が広がっているのだろう。私には分からない。剣を振り下ろすと同時に目を瞑ってしまったから。
怖い。さっきまで生きていて、私と戦っていた人間が、私の手によって動かなくなっているとしたら……怖すぎて目を開けられない。
剣の先がガツンと硬いものに当たった感触はあった。体を斬り、床に到達したのだろうか。それとも骨でつっかえているのか……どちらにせよ、殺してしまったことには変わりない。
このまま立ち去ってしまいたいところだが、そうはいかない。この建物の構造を完璧に把握しているはずもなく、さらには橋も崩落していて瓦礫だらけ……目を閉じたままここを抜け出すなど不可能だ。嫌でも前を見なければならない。
それに、この場でもたもたしている場合ではない。こちらがコゼットの本体であることは間違いないだろうが、リーンの方に行った分身はどうなっているのか、まだ分からないのだ。消えているとは思うが……万が一のことも考えなければならない。
「……はぁ」
思いっきり息を吸いこむ。
落ち着け。下を見るな。臭いを嗅ぐな。
何も考えずに歩けば……ん?
人を斬ったら、そりゃ大量出血するだろう。距離を考えれば、私だって返り血を浴びるはずなのだが……手には特に湿った感じはないし、顔も、足も……あれ?
もしや、死んでなかったり――
「おいエル! 何突っ立ってんだよっ!!」
背後から脇に腕を突っ込まれ、気づけば足が浮いていた。
「なんで戦ってる途中に目ぇ閉じてんだバカか」
「いや、ちょっと……」
うーん……「怖かった」とか言えないしなぁ。リーンなら、話題がちょっと跳べば忘れてくれるか。
「ねえ、今どんな状況?」
「あ? 分身っぽいやつをボコってこっちに戻ってみたら、エルがなんかヤベぇやつの前にいたから助けたんだが?」
「あ、ありがと……」
なんかヤベェやつ……ってことは、コゼットが!?
先程までの不安感は一気にどこかへ吹き飛び、ぱっちりと目を開く。そして視界に映ったのは……とんでもない化け物だった。
混沌とした色の巨大な五枚の羽。紙札に書かれた星と同じ形の紋章が、体を取り囲むように浮かんでいる。白に近かったコゼットの髪の毛は真っ黒に染められ、伸びた前髪の隙間から気味の悪い目を覗かせていた。
「なんだよアレ!!」
「私も分からない! だけど……」
コゼットの体がこれ以上持つとは思えない。となると、一つ思い当たるものがある。
「今の私と、同じなんじゃ……」
同じ……いや、それとは次元の違うものかもしれない。私はリーンの力の一部を借りたにすぎない。だから、不完全な悪魔のようなもの。でも、あれは違う。
まるで、神そのものだ。
絶対的な力で世界を統べる、まさに天帝。
常に最適な力を行使されれば、こちらに勝利などないのだ。
「さぁて、どうするんだ。エル」
コゼットの流れ弾が当たってヒビの入った、今にも崩れそうな橋の上に着地すると、リーンは抱きかかえた私の目を見てそう問うた。
作戦を立てろという意味なのだろうが……。
「どんな攻撃をしても防がれて、どんどん強くなっていく……あんなのに勝つ方法なんて……」
ない。そう言い切る前に、ふと一つの疑問が浮かび上がる。
「……リーン、聞きたいことがあるんだけど」
「なんだ?」
「さっき、あの分身をどうやって倒したの?」
リーンは「分身っぽいやつをボコって」と言った。分身とはいえ、極端に弱いとは考えにくい。もしそうだとしたら、時間稼ぎにならないからだ。私たちをできるだけ長時間引き離さないと分身の意味が無い。
それなら、分身の方もカタリアの力を使える可能性が高い。リーンの攻撃は物理的なものばかり……圧倒的に不利なはずなのだ。それでも、彼女は分身を倒してきた。
「どうたって? そうだな……いや、よく分からんが、オレがぶん殴ろうとしたら羽がこう……閉じてだな。弾かれるのかと思ったんだが、なんか腕が羽を通り抜けて……一撃で仕留めたって感じだな」
「……は?」
「オレだって分かんねぇんだよ。だが、この腕で殴れたのは事実だ」
あの羽を貫通……どういうことだ。私の場合は盾として機能していたはず。
私とリーンの違い、それは――
「人間と悪魔……」
同様に、コゼットとカタリアも人間と神の関係だ。あの化け物の中心にあるのはコゼットの身体。それを包むのはカタリアの羽。
もしかしたら……神と悪魔、それも違う宗教のものだったら、互いに干渉できないのではないだろうか。
「ねえ、最初にリーンが戦ってたとき、体に攻撃受けた?」
「いや、全部避け切ったが……っ! 屈め!!」
そんなことを言われても即座に体を動かせない私を抱え込み、その場に伏せるリーン。腕の隙間からガガガガっという音と共に、何か小さな物体が連射されているのが見えた。
そしてその一発はリーンの頭を撃ち抜いた時……いや、通り抜けたとき、確信できた。
異教には干渉できないのだ。
私たちはずっと天使と戦ってきたから知ることができなかったが、そうに違いない。神や悪魔はこの世界の物や人間、そして同じ宗教上の存在にのみ干渉できるが、違う教えの神や悪魔には干渉できない。
もし、これが正しいとすれば――
「リーン、勝てる方法……見つけたよ」
「よし、どうやるんだ?」
「それは……」
リーンの腕の中で、よく聞こえるように少し口を耳に近づけて、呟いた。
「『リーンが自分の強さを信じて、あの化け物を思いっきりぶっ飛ばす』だよ」
普通なら、聞き返したくなるような私の作戦。正気の沙汰とは思えないだろう。だけど、リーンは私の言葉を聞いて、クスッと笑ったのだった。
「……なるほどな」
私を通路側の死角に降ろし、射撃によって崩れる寸前の橋の欄干に飛び移る。化け物が動く度に生じる風も恐れずに。
リーンは両拳をバキバキと鳴らし、バッサリと切れた銀色の髪を靡かせながら、目の前の強大な標的を見つめていた。
「そこで待ってろ、エル。今アイツをぶっ飛ばしてくるからなっ!!」




