04.天使の務め
廃工場というだけあって、機械部品や鉄筋むきだしのコンクリート片やらがそこらじゅうに散らばっている。一度でも触れることができればアタシの武器になるけど……アギルの警告を無視してしまうのはマズいだろう。それに、そんなガラクタを思いっきりぶつけたところで空気の壁に阻まれてしまうに決まっている。
こんな相性の悪い相手と戦うのは避けたい。
扉までの距離を考えれば、ギリギリ逃げることはできそうだ。レティを切り捨てれば、アタシはほぼ確実に助かる。万が一、拷問されたとしても心配はない。相手が普通の人間だとしたら、国家機密を漏洩しかねないけれど……アギルは天使だ。レティの知っていることなど、ほとんど既に頭に入っているだろう。
……なんて、ちょっと前のアタシなら考えていたかもしれない。だが、今は違う。この子がアタシについていきたいだとか、尊敬してるだとか、そんなことを思っているかは分からない。声が出せる状態なら、「私を置いて逃げてください」とか言いそうだけど……アタシはアナタを見捨てはしない。そう決めたの。
それがあの子に負けた原因だから。
それがアタシに足りないものだから。
そして――
――それが天使の使命だから。
「時間の無駄だな。そろそろ答えは決まっ……!?」
その時、アタシは駆け出していた。入り口とは真逆、瓦礫が積み上がった壁側へと。力の有利不利を覆せるほどではないが、なんとか捻りだしたその場しのぎの作戦……これを試すしかない!
「俺の警告を無視するか……まあいい。人を斬りたい気分ではなかったのだがな」
見えない。だけれど、確かにアギルは空気の剣を振りかざしている。お願い、間に合って!
「貴様も天使と仕事をしていたのだ。悪魔の世界に堕ちないことを祈ろ……っ!!」
空気でできた透明な剣でも、その位置を確認する方法がある。そう、何かを斬った瞬間だ。大量の瓦礫を集めただけの継ぎ接ぎの盾、それが幾層にも重なりレティへの道を塞ぐ。アタシの力によって、壊された盾はすぐさまくっつき、アギルの行く手を阻むのだ。
勿論、いつまでも続けられるわけではない。瓦礫はどんどん細かくなって、盾はボロボロになっていくし、アタシの体力にも限界が来るだろうし……今のところ、打開策はなし。だからこそ、この状況を打開できるかもしれない人が来るまで、絶対に耐えなければならない。
アタシがアギルに対抗するために声をかけた人。敵がどんなに硬い鎧を着ていたとしても、貫通……いや、無視して攻撃できる。空気の盾など、無防備に等しいのだ。
「そろそろ諦めたらどうだ? いくらやっても無駄だ。シャノン、貴様の攻撃は俺には届かない」
「……ええ、そうかもしれないわ。でも、アタシはねぇ……ここで止まるわけにはいかないのよ!!」
塊の数が増えれば増えるほど、体力の消耗も激しくなる。だが、一瞬でも気を抜いたら、こんな即席の盾など容易くぶち抜かれてしまうだろう。お願い……早く!!
「切断したところでキリがないか……ならば、こうするのみ」
そう呟くと、剣の動きと合わせて振られていた右手を一度降ろし、拳を握りしめて一直線に突き出した。
「なっ!?」
物凄い風音が耳に届くと同時に、瓦礫の盾のど真ん中に大穴が開いた。構成していたコンクリート片が小石のように姿を変えて散乱する。
「俺が剣だけで戦うとでも思っているのか? 何度斬っても蘇るのなら、槍でこじ開けるのみ!!」
アギルはアタシの能力を知っている。その上での隠し玉……!
中心部を消し飛ばされてしまっては、核から組み立て直す必要がある。しかも、ここまで粉々にされてしまっては……。
「この方法で妨害されることなど、初めから想定していたに決まっているだろう。そうでなければ、廃材など残しておくわけがない」
「……ずっと手のひらで転がされていたってことね」
「初めから死んでくれれば、こんな手間をかけずに済んだのだがな」
再びアギルが腕を振りかぶる。レティが真っ二つになるところなど見れるわけがない。アタシは思いっ切り目を瞑ってしまった。
……風切り音が一向に聞こえてこない。いや、むしろ聞こえてくるのは……アギルの声?
「くっ! 何なんだ!! 出てこいっ!」
覚悟を決めて目を開くと、アギルが尻もちをついた状態で、片手で頬を抑えながら絶えず目を上下左右に動かしていた。何が起きているのか分からないのだろう。アタシも何が起きているのか、さっぱり分からない。
いや、違う。分からないんじゃない……見えないんだ。
「っ……何故だ!? 何故、俺の力がうぐっ……」
目に映らない。そして、空気の盾を無視できる。そんな能力を合わせ持った人間など、アタシは知らない。だけれど、それが可能な二人なら知っている……レティとレオンなら。
正体不明の敵から顔面を殴られ続けるアギル。冷静さを欠いている今こそ、打開策を考えなければ……。
今の状況だと、アギルは常に空気の盾を展開している。盾といっても、全身を防御できるよう球状だが。だから、このままではアタシがトドメを刺すのは不可能と言っていい。どんなものをぶつけたって弾かれるだけだ。
それなら、盾を削ぎ落すしかない。どんな人間だって……天使だって、力には限界がある。アギルの場合は、単純に考えれば操れる空気の量に限界があるのだろう。つまり、最大量の空気を攻撃に回している間は、防御が疎かになるはず……。
その攻撃こそ、さっきの槍に違いない。でも、同じように巨大な瓦礫の塊を作り直すことはもうできそうにない。一度だけでいい。あの攻撃をさせる方法はないものか。
……そうだ。アギルの狙いはアタシなはず。もしも、アタシが身を差し出せば確実に殺しに来る!!
一か八か、丸腰のまま突撃して、上手く背後にでも回れればポケットの拳銃で……。
本当に、これが正解なのだろうか。二人を助けるために、危険を冒す。組織のリーダーとしては当然の行為なのかもしれない。でも、アタシがここでやられてしまったとしたら……あの二人はどうなる?
それでも……何もしないよりはマシよね。
一度目を閉じ、深く息を吸って、吐く。見えないように引き金に手をかけ、前へと踏み込む……その瞬間、アタシは目を疑った。
視界の中心には確かに、アギルの元へ走ってゆくアタシがいた。自分が先程まで思い浮かべていた光景。それが、そっくりそのまま現実で起きている。
その時、倒れているレティの口が動いた。離れていて声は聞こえない。もしかしたら、声すら出ていないかもしれない。それでも、口の形から何と言ったのかは分かる。
「死んじゃイヤです」
確かにそう言った。
あの二人だって、アタシが必要じゃないか……。
じゃあ、互いに道具として見ているのか……それも違う。アタシが間違ってたんだ。
アタシたちは……互いに必要とし、必要とされている人間だ。
「やっぱり、こんなところで死ぬわけにはいかないわ」
壁伝いに飛び上がり、天井を走り抜け、もう一人のアタシを上から追い越す。
「ハッ! 自ら死にに来たか? いいだろう。貴様など一撃で沈めて……」
その言葉とともに、アギルが再び同じ動作に入る。そして右手を突き出すと同時に、アタシは引き金を引いた。
銃声と風切り音が重なり、地下空間に響き渡る。もう一人のアタシはその場で佇み、アギルは驚いた顔のまま硬直していた。間髪入れず、残りの弾全てを心臓に叩き込む。
「そ、ん……な……」
起きたことを理解できないまま、ドサッとその場に崩れ落ちた。六発の銃弾が作った傷口から大量の血が噴き出す。
「アナタは弱い。アタシだって弱いわ」
まだ意識があるのかは分からない。それでも話し続ける。
「それでも結果がこうなったのは、自分に足りなかったことに気づけたから。それだけの違いなのよ」
アギルはこう呼ばれていた。『虎狼の元帥』と。残忍で、だけれど狡猾で……。何でも一人でこなしてしまっていた。アタシと同じで、部下を道具のように使っていた。信じることなどなく、命を預けることなど到底できたものじゃなかった。
それができたアタシが一枚上手だった。ただそれだけのことだ。
どうせ、心臓を撃ち抜いただけじゃ死にはしないだろう。能力が働くことで出血は抑えられ、呼吸は止まらない。ファイザー様に命令されていない以上、正当防衛であっても天使であるアギルを殺せない。頭を撃ち抜かなかった理由はそれだ。
「ほら、レオン。レティを担いで。早くここからでましょう」
「は、はいっす!!」
レティの能力で隠されていたレオンが姿を現す。慎重に彼女を抱き上げ、背中に乗せていた。
螺旋階段の横を浮上し、すっかり暗くなってしまった夜の町を歩いてゆく。
「あの、シャノンさん……ありがぼふっ!?」
レオンの口を手で抑えつけ、首を横に振る。感謝をするのはそっちじゃない。アタシの方だ。
「だって、リーダーが死ぬ気で仲間を助けるのは当然のことでしょう?」