02.足りないもの
白と黒の二色で統一された無機質な部屋。この仕事を始めてから、ずっと拠点にしている場所だ。金は足りているのに仕事の特殊さ故、業者か何かに頼めず、壁紙を自力で貼ったのは今ではいい思い出となっている。それから数年が経過し、角は剥がれかけているが。
紅茶を飲みながら思いを巡らせていると、そんなアタシをノックの音が現実に引き戻した。
「シャノンさん、新しい依頼と前金です」
「二件あるのね。じゃあ書類はそこに広げて、お金は金庫に……あ、ちょっと待ってレティ」
報酬が払われないみたいな事態になると面倒だから、依頼者には先に報酬の半分を払わせている。半分といっても、かなりの大金だ。ここに届く依頼の殆どは殺人だもの。
「はい、なんですか?」
振り向いた彼女から黒いケースを取り、ぎっしりと詰まった札束の一つを出してその手に乗せた。
「これ、近くの賭場で……そうね、十倍くらいに増やしてきなさい。いつも通りに、ね?」
この町をあてもなく彷徨っていたレティを迎え入れたのは、工場をクビになった彼女がかわいそうだと思ったからではない。その力の使い勝手が良かったから、ただそれだけ。アタシにとってが「道具」にすぎない。
そんな彼女の力は「光を曲げる」というもの。だから、カード系の勝負なら負けることは殆どない。彼女には死角なんてものが存在しないからだ。
「バレないように気をつけなさいね」
「分かりました。行ってきます」
最初に頼んだ時は一瞬たじろいでいたが、もう十数回目。誤魔化し方にも慣れた頃だろう。まあ、捕まったらアタシの力で賭場ごと潰してしまえばいいだけの話。できるだけ手間は増やしたくないが、彼女はそれだけ貴重な存在なのだ。
「またレティにそんなことやらせてるんすか?」
「……レオン、何か問題でも?」
「い、いや……なんでもないです……」
レティが出ていった方とは逆、部屋の奥から出てきた男を睨みつける。いつも強気なくせにアタシが睨むだけで縮こまるのだが……そんなに高圧的じゃないと思うのだけど。
その威勢も勿論、彼の能力に由来している。なんと表現すればいいのだろう……遠くから敵を殴れる……みたいな感じか? ある程度の距離があったとしても、殴ったり蹴ったりしたときの力を与えられるのだ。
脳筋なところが残念だけれど、アタシの欠点を補えるという長所が大きい。
「ん? これ、この前近くにできたばかりの工場じゃないですか」
「そうなの? なら、警備が厄介そうね。だって今回の標的は……」
名前と顔写真、その他の個人情報がずらりと並べられた紙を持ち上げ、レオンに見せつける。
「ここの社長さんだもの」
「やっぱり、そうっすよね……」
標的は主に二つに分類できる。一方は、民間企業の要人。もう一方は……ファイザー様の意向に逆らう団体の構成員。
実は、万が一ヘマをしたとしてもアタシが捕まることは有り得ない。だって、直接国と繋がっているんだもの。怒られはするでしょうけど。
とはいうものの、そのこと自体が国家機密事項なのだ。この情報が民間に流れてしまうのだけは絶対に避けなければいけない。その時は全員の死刑が確定するだろう。
だから、常に万全の作戦を立てるようにしている。写真を見たところ、かなり大きな工場みたいで……最近、業績を上げ始めた感じだろう。そういう場所の多くは防犯対策に力を入れていることが多い。警備員がそこかしこに常駐しているだけでなく、標的の周りにも護衛する人間がいるはずだ。姿を見られてしまった場合には標的でなくとも絶対に仕留めなければならない。たった一人でも逃がしそうになったら、最悪、アタシの力を使って工場ごと倒壊させる必要がある。設計ミスと判断され、全てが無かったことになるという寸法だ。
「えーと……俺は留守番すか?」
「そうねぇ……」
レティの力を使えばアタシたちの姿を見えなくすることができる。レオンの力を使えば敵に近づかなくとも物理攻撃ができる。二人に任せてしまうこともできるのだが、閉じ込められたりしたらこれまた面倒なことになるだろう。しかも、工場を崩すことになってしまったら助けられる保証がない。開けた場所だったら二人だけでも良かったのだが……。
「……アタシ一人で行くわ」
使われなければ、それは道具ではない。用途がなく、ただその場に存在するだけだとしたら、アタシならそんな邪魔者はとっくに排除している。まあ、そうね……しっぽ切りしたときに犠牲になることくらいはできるでしょう?
「大変そうっすけど……でも、列車のときよりはマシですよね」
「そういえば、そんな依頼もあったわね」
一年くらい前だろうか、国から変な依頼が届いた。いや、滅茶苦茶な命令、という方が正しいか。ファイザー様の意向に背く訳にもいかず決行したものの、アレ以来、アタシたちと軍隊の関係は捻じれてしまった。
『本日正午にこの橋を通過する列車を川に沈めろ』
紙に書かれていたそんな文言がはっきりと頭に残っている。その命令の通り、アタシは列車を浮かせ、そのまま横に落とした。しかし、その列車というのが軍用列車だったのだ。
ワーロミュー軍元帥、アギルに問い詰められた。「何故列車を落としたのか」と。アタシは「ファイザー様の命令だったから」と答えた。それを聞いた彼は一瞬目を丸くし、そして血相を変え反論した。「軍隊はあの列車を厳重に警備するよう、ファイザー様に命令された」と、確かにそう言ったのだ。
そうなれば、「どちらかが嘘をついている」という考えに行きつくのが妥当だろう。治安維持を行う軍隊と、秘密警察のようなアタシたち……相互に協力すべきだろうが、その信頼は崩れ落ちてしまった。
ただ……今になってみれば、アギルが嘘をつくとも思えないのだ。ファイザー様の命令を改ざんして伝えてくるはずがない。すると、一つの答えに辿り着く。
『ファイザー様は意図があって、アタシたちと軍隊をぶつけた』
アレが何のためだったのかは未だに伝えられていない。けれど、そうだとしか考えられないのだ。でも、それに何の意味がある? 重要な二つの国家機関を揉めさせてどんな利益があるのだろう。
アタシには答えが出せなかった。「ファイザー様の意向であるのだから、最終的に利益が生まれる。きっとそうだ」と割り切って、考えるのを止めた。
「シャノンさん、どうしたんすか? ずっとだんまりして……」
「あ、ああ……ちょっと考え事よ。気にしないで」
椅子にかけられたいつもの黒い服を着て、机の上の書類をまとめて手に取り、外への扉を開け放った。日が傾き、冷えた外気が肌を指す。
「それじゃ、行ってくるわ。二件目も近いみたいだし、まとめて一度に……ね?」