01.この身に宿した悪魔の力
金髪の女は地面から足を離しながら、その場でクルクルと回転して見せた。それは余裕っぷりを見せつける行為であり、かつ私達への明らかな挑発でもある。
ただ、一つ分かることがある。
――どーせ、この後死んじゃうんだから。
彼女は……私達を本気で殺しに来ているに違いない。私が狙われるというのはすなわち、私が村の襲撃を生き延びたことが国にバレているということを意味する。しかし、そこで血を流しながら倒れている男はこう言った。「コイツらかぁ? 今回の標的ってのは」と。
この場にいたのは私とミラだけ……そう、ミラも狙われているのだ。私達の共通点のうち襲われる原因になりえるものは、その力なのではないだろうか。レイクロック学園の生徒の内、脅威になりそうな人を国が排除しようとしているのならば合点がいく。
「ほらほら、一発くらい攻撃を当ててみなさい」
空中を自由に動き回るというその能力の特性上、ミラのような遠距離攻撃は向かないだろう。私なんてもってのほかだ。とはいうものの、上空にまで逃げられてしまえば近距離攻撃すら当てられない。できる限り速く、そして範囲の広い攻撃手段が必要そうだ。
「……時間の無駄みたいね。もういいわ」
攻撃にでる。そんな意味を孕んでいそうな言葉を聞いて、前方を警戒する私達。しかし、それを見た女はフワフワと浮いたまま何もせず、ただニヤリと笑っていた。
「っ!」
隣から聞こえた、声にならない声。そしてドサッという音。咄嗟に首をそちらに回す。
「ミラ!!」
そこには、脇腹に手を当てながら地面に突っ伏しているミラの姿があった。真っ赤な液体が緑の制服に染み込み、そのどす黒さが増している。
その近くにコロコロと転がっている透明の玉を見て、私は理解した。この玉が、私が先程避けたものと同じだということを。
「急所は外れてますから……なんとか……」
力を振り絞って声を発するミラ。大丈夫だと言っても、出血が止まるわけではない。とうとう布が吸いきれなくなり、煉瓦の上に広がり始めていた。
いやだ。死んじゃうなんて、いやだよ。もう喋れないなんて、一緒に帰れないなんて、手料理を食べれないなんて、いやだよ。
ミラは私が「死んでほしくない」、そう思った初めての人だから。
「はぁ、やっぱりつまんない子供たちね。あんまりいたぶるのは好きじゃないんだけど……」
そう言うと金髪の女は、地に足をつけぬまま動き始めた。その体は徐々に加速し、倉庫のような建物の壁に「横向きに」立って止まる。
「知ってるかしら。建物って地面の上に乗っかってるだけなのよ?」
横向きのまま腰を下ろし、一度手の平を倉庫の壁につける。再び立ち上がると、そのまま壁から浮き上がった。
「何か、来ます……エルさん、僕を置いて逃げてください……」
「いやだよ! 逃げたりなんてしないから!!」
この女の能力が見抜ければ、対抗策だって練れるのに!
「それじゃ、死んでちょーだい」
彼女が言葉を発した直後、微かに何かが割れるような音が耳に届いた。その源は確実に倉庫の方で……。
ピシッ。
建物の壁に幾つもの大きなヒビが一斉に走る。
崩壊を始めたコンクリート。誰もが下方向に落ちていくと思うだろうそれは、内側に入れられた鉄骨とともに私達の方へと飛んできたのだった。
避けなければ。それは分かっていたが、間に合わない。倉庫の壁は私達から逃げ場を奪う程に大きかったのだ。
迫りくるコンクリート片を目にして、あの時の記憶が脳裏を過ぎる。降り注ぐ瓦礫を粉砕し、私の命を救ってくれた一人の悪魔。私は彼女との約束を、こんなところで破ってしまうのだろうか。
いやだ、死にたくない。
誰一人、殺させない。
生きて、この手で神を殺してやる。
そんな思いが、消えかけていた私の心の炎を再び燃え上がらせたのだった。
* * * * *
たった今、アタシの目に映った光景は夢ではないだろうか。いや、そうだと信じたい。思いっ切り頬を抓った結果、そこにじんわりと痛みが残った。でも、そんなはずは……あの子の力は炎を操るだけだと聞いていたのに……。
砕け散った壁の破片を全て吹き飛ばしてしまうだなんて。
倉庫に置かれていた木材やら鉄パイプやら、燃料の入った缶やらが辺りに散乱していた。粉塵が落ち着き、その先に立っていた少女を目が捉える。その姿を見て、驚愕した。
さっきまでそこにいたのは、金髪で青い目をした女の子だったはずだ。それなら、アタシの正面に存在する人間は一体誰なのだろう。その銀色の髪は海風に靡き、その赤い瞳はこちらを睨みつける。
髪型だって、服装だって変わっていないのだから同一人物なはずだ。ただ、それを受け入れられない、いや違う、受け入れたくなかったアタシの手は、ずっと頬を摘まんでいた。
* * * * *
不思議と赤みがかった私の視界。広がる風景が少し歪んで見える。
私達を押し潰すはずだったコンクリートの塊は、砕けて地面に転がっていた。
熱い。気が付いて、最初に伝わってきた感触はそれだった。痛いわけじゃない。自らの炎で火傷することはないのだから。
ただ、右手から物凄い熱を感じたのだ。
恐る恐る、その方向へと首を向ける。私が握っていたもの、それは……一瞬たりとも同じ形になることはない、炎を纏った一本の剣だった。
長さは私の身長をゆうに超え、重さはまるで何も持っていないようで……火がついただけの剣ではない。
一体、こんなものがどこから現れたのだろうか。金髪の女の攻撃を吹き飛ばしたのは、私なのだろうか。いや、そんなことを気にしている暇はない。
持ち手を正面に寄せ、空いていた左手を右手の下に添える。
「な、なんなのよそれ!」
彼女のポケットから無数の玉が飛び出し、透明な弾丸となってこちらへ向かってくる。先程とは違い、少し軌道を乱しながら。
焦りからなのか、そういう器用なことができるが故の作戦なのかは分からない。ただ、そんな小細工も今の私には通用しないだろう。
シュッと剣を振り下ろす、それだけで。
「一振りで!? 信じられない!!」
それを見て、目を丸くする金髪の女。正直、驚いているのは私も同じだ。だが、どうして一撃で弾き飛ばせると思ったのか、その理由はとても単純なことだった。
視界の端にチラリと顔を出す銀色の髪の毛に、視界に影響を与える赤い目。私はその「持ち主」を知っている。そして、私はその「持ち主」を信じている。だから、この剣を信じた。
「エルさん……どうしちゃったんですか……」
後ろからミラの声が聞こえる。それを振り切るかのように、一歩ずつ、女の方へと近づいていく。天使のように舞い降りてきたこの女の羽をもぎ取り、地に叩き落とすために。
「あなたが倉庫を壊して作りだしたこの状況、私が有利だってことに気づいてる?」
備蓄されていた燃料が、衝撃で歪んだ金属の缶から溢れてできた黒い海。その上には、まだまだ無傷の缶が幾つも転がっていた。
「っ!!」
剣の先を地面に突き立てるとたちまち燃料に引火し、辺り一面に広がっていく。
「残念だけど、死ぬのはそっちみたい」
凄まじい爆発音が鼓膜を揺らしたのとほぼ同時に、私の意識はプツリと途切れたのだった。