02.赤色の瞳と銀色の髪
景色が、ぼやっとしている。目の焦点が上手く合わせられない。
霧のかかった視界の先で、真っ黒な何かが素早く動いていた。
剣だろうか、どこかに当たってカキンと金属音を発する。その直後、黒いもののいる方から、グチャッという鈍い音がした。
突如、歪んでいた風景がパチリと元に戻った。私の左右には、先程目の前に迫っていた一際大きな瓦礫。それが真っ二つに割れて転がっていたのだ。
そして、目の前に立っていたのは――
「お、やっと起きたか」
真っ黒な服と真っ白なズボン。こちらに鋭く向けられた緋色の目。頭に深く被せた布から、銀色の髪を覗かせている。
その声は……そう、さっき頭の中に響いてきた、あの少し掠れた声だった。
「お前が願ったから、助けてやったんだ」
そう言って、その人はこちらを向いたまま指で後ろを差す。
そこには紺の衣に包まれたモノと、剣が転がっていた。深紅の……血だまりの中に。よく見ると、粉々に砕けた黒い欠片も散乱している。
どう考えても奴らの中の一人、その死体だ。さっきの鈍い音は、多分コレが壁に強く打ち付けられた時のもの。
そして、やったのは……。
「あなた、一体何なの?」
その人はニヤリと笑みを浮かべて、こう言った。
「破壊の悪魔……アイリーンだ」
* * * * *
悪魔。その存在を、私は神の対となるものだと教えられた。
この国、ワーロミューでは主にディザニークという神が信仰されている。だから別に信じていなくとも、少しは中身を耳にすることもあった。
いや、少し……というか「ディザニークという神が三人の悪魔を倒した」ってことしか知らないのだが。
「あ、ありがとう……でも、何で私なんか助けたの? アンタ、悪魔なんでしょ?」
存在してもおかしくはないと思ってはいたが、いざ悪魔であると面と向かって言われると……正直、信じられない。
「悪魔は良いことをしちゃダメってか? 別に、そんなのは人間どもの勝手な妄想だ。でもまあ……」
その人は一度言葉を切り、私の背中と脚に手を回し、持ち上げて胸元に寄せた。
「お前を助けたのだって、悪いことをするのに必要だからなんだよ」
そう呟いて、瓦礫の山の裏から飛び出し、唯一の逃げ道へと駆けだした。
私みたいにコソコソと……ではなく、奴らが生き残りを探そうと目を光らせている、村のど真ん中の一本道。そこを堂々と走り抜ける。
「いたぞっ!!」
異変に気付き、私たち目掛けて無数の弾が放たれる。それをいとも簡単に片腕で薙ぎ払い、バラバラに崩れてただの燃料と化した家の上を飛び越える。
「ちょっと我慢してろよ?」
「わっ!」
私をひょいと背中に移し、最後に待ち構える二人の見張りへ飛びかかる。
片方が撃ち出した炎をいとも簡単に払いのけ、もう片方から振り下ろされた剣には側面から拳を一発。見事なまでに、ぐにゃりと曲がっていた。
それを一瞥すると、スッと下に回り込んでお腹に向かってもう一発。その体は燃え盛る火柱の中へと飛んでいった。
腰が抜けてへたり込んでしまったもう一人を見下すように睨みつけると、容赦なく頭に向かって回し蹴りを入れた。
すぐさまギュッと目を瞑る。どうなっているのかは何となく想像できるが、見れたものじゃない。
黒い仮面の乾いた音と重なって、何かが割れる音がした。
怖くて……目が開けられなかった。
* * * * *
「おい、着いたぞ。いつまで目、瞑ってんだ?」
悪魔アイリーンは背中から私を降ろし、優しさを感じないような声で、それでも優しそうな口調で問いかけた。
目を閉じている間、風を切る音とアイリーンの呼吸音だけがずっと耳に聞こえていた。誰かに助けられるのなんて、初めてだった。本当に悪魔だったとしても、例え悪いことをするための途中過程に過ぎなかったとしても、嬉しかった。
瞼を開けると、真っ先に目に入るのは木で出来た壁。あとは単純な作りの机と椅子が一組だけ。小屋、と呼ぶに相応しい建物だった。
「お前、名前は?」
「ラキュエル……エルでいいよ」
大抵の場合、「キュ」が言いにくいという理由で、最終的に「エル」と呼ばれる。そうなることを見越して、先に言っておいた。まさか「ラキュ」と呼んでくる人はいないだろう。
「そうか、エル。ならオレのことはアイでいいぞ」
「その、私……ラキュエル=アイザッティだから、アイだと分かりにくい」
「じゃあリーンでいい」
意地でも愛称で呼ばれたいのだろうか。それともアイリーンと呼ばれたくないのだろうか。
テキトーな感じだと思っていたが、謎の拘りがあるようだ。
「ねえ、ちょっと聞きたいんだけど……」
「あ? なんだよ」
この高圧的な返答もだが、リーンの口調は荒っぽい。一人称も「オレ」だった。その上、奴らを吹っ飛ばす程のパワーもある。
でも、明らかに感じた。さっき抱きかかえられた時、私の腕がリーンの胸に当たって……。
「リーンって、そんな感じだけどさ……女の子だよね」
「え……あ、そ、そうだよっ! な、なんか悪いかっ!!」
一気に顔が紅潮するリーン。悪魔だと聞いて、そしてその力を目にして、恐怖の感情を抱いていたが……その正体は、強くて頼りがいのある、だけど意外と可愛い女の子だった。