01.季節外れの寒風
開いた、いや、正しくは私が割ってしまった窓から、冷たい風が部屋へと吹き込んでくる。毛布の一枚もない今、外が暗くとも寝付けそうにない。
「塞ぐ板とかあればなあ……」
昨日の夜はここまで寒くなかったはずだ。たった一晩の違いとは思えない程の変化である。
「それか、何か暖をとれるものとか……」
所詮、ここは空き家。来た時には既に誰も住んでいなかった場所だ。前の住人は、便利な道具は全て持っていったのだろう。
「ん? さっきの蝋燭使えばいいだろ」
「もう使いきった」
はぁ、と溜息をつく。私の力では、まだ長い間維持できないし、上手く制御できなければボヤ騒ぎになりかねないし……結局、私が寝られないし。
リーンの上着に目線を移す。古い服一枚だけの私に比べたら、断然暖かいに決まっている。昨日みたいに貸してくれないかな。
「露骨に貸してアピールするな。オレだって寒いんだ」
「え? 悪魔でも寒いの?」
「まったく、その辺は人間と一緒なんだよ……」
これでもまだ、彼女と出会ってから二日も経っていない。リーンについては分からないことばかりだ。
改めて部屋を見回してみたが、驚くほど何もない。椅子と机一つずつと割れたガラスの山、解け落ちた蝋、そして今日貰った紙袋……あ、そう言えば紙袋の中に……。
「貰った制服、上から着れば……」
新品の制服を広げ、腕を通す。大きさは体にピッタリで、少し生地は硬め。防寒着ほどではないにしろ、無いよりはマシだ。
スカートは……掛け布団にしかならなそうだ。
「……おやすみ」
「ああ」
微かな月明かりが窓際にいたリーンの顔を照らす。私が眠りにつくまで、彼女はずっと外を眺めていた。
* * * * *
部屋に射し込む日の光が、私を目覚めさせる。寝起きを襲うのは全身に突き刺さるような寒気。小鳥たちも元気がないのか、鳴き声は聞こえてこない。
そして、何故だか右肩が重い。寝違えたのか、それともただの疲れなのか……とも思ったのだが、横に首を回し、その状況を理解した。
リーンが私に寄っかかって寝ていた。そしてこれは本能なのか、寝顔を見ると無性に悪戯したくなってしまう。しかし、顔に落書きでもしようものなら容赦なく拳を食らうのが目に見えている。第一、書くものがない。
仕方なく、頬をつつくことにした。
「……おい、やめろ」
声色が本気だった。寝起き悪すぎないかな。
「いつの間にか寝ちまってた……てか、すげぇ寒いな」
一晩で季節が変わったかと思うくらいだ。時折ある異常気象なのだろうが、体調を崩す人は多そうだ。
「それじゃ、オレは出掛けてくる。エルがレイなんとかに行くんだろ?」
きっと、リーンの目的は昨日話していた二人目の悪魔を見つけることだろう。道順は頭に入っているから、学園に一人で行くことはできる。
正直言ってサボりたい。私の目的は賢くなることではなく、大会で勝ち残ること。勉強より、戦闘訓練の方が役に立ちそうだ。
しかしながら、欠席するのもなあ……イルカナがお金出してくれたみたいだし……相変わらず、他人からの厚意には弱い。
リーンが部屋を出ていった後、私も準備を始めた。準備と言っても、特に持ち物はないので着替えるだけだ。
上はいいとして……スカートの下にズボンを穿いたままでは怒られるだろうか。普通は下着だと思うが……この寒さだ。きっと許容してくれる。
外に出ると、風を防ぐ壁を失い一層寒く感じられた。ギュッと縮こまってしまう。それにしても、人通りが少ない。ああ、なるほど……結構早い時間なのか。
部屋には時計がない。だから、時間が分からないのだ。近くに時計台でもあったら良かったのだが。
大通りに出て少し歩くと、昨日ミラと出会った裏路地への入り口が見えてくる。あの後リーダー格の男はどうなったのだろうか、なんてどうでもいいことを考えていたその時だった。
ドン。
狭い道を進んだ先、リーンが戦闘を繰り広げた辺りから、全身を揺さぶるほどの音がした。それに続いて、路地から数人の男たちが駆けていった。こんな朝っぱらから一体何をしていたのだろうか。
気になる……が、別の厄介事に巻き込まれるのも困る。頭の片隅に入れて置き、その場を後にした。
* * * * *
「開いて……ない!?」
校門というのは、押せば開くものだと思っていたのだが……ほら、昨日もイルカナがそうやって開けていたもの。それとも、鍵が掛かっているのか……?
「ラキュエル、早すぎだ」
後ろから声がかかる。白衣を着ていなかったから一瞬判断に困ったが、その青い髪と片眼鏡からして、イルカナだった。
「まだ始業の2時間前だぞ」
おっと、自分でも驚くほど早く来てしまったようだ。何をして暇を潰せばいいのだろう。
「どうせ授業なんて受ける気なかっただろうに……私の研究室に来なさい」
「あはは……」
何も言い返せず、笑って誤魔化してしまった。こちらの思惑がとっくにバレていたとは……。先生の観察眼の鋭さがうかがえる。
イルカナは肩に掛けていた鞄から鍵を取り出すと、門の中央にある鍵穴に差し込んだ。やっぱり閉まっていたようだ。
「まあ、君がこの学園に入ってきた理由は何となく分かるさ。時期的に、例の大会に出たいんだろう?」
静寂に包まれた学園の中を歩いていると、隣のイルカナが問うてきた。
「はい……」
「それなら、私が特別訓練をしてやってもいいが、どうする?」
イルカナの研究室に着き、中に入ると、相変わらず薬品の臭いが充満していた。数日経てば慣れるだろうか。
すると彼女は壁にピンで留められていた一枚の紙を剥がし、私の前に置いた。
「もしかしなくとも、想定外だったかな? 今日はここだ」
幾つものマス目で区切られた領域に数字と文字が書いてある。日付と予定だ。イルカナが差した場所には「参加申し込み締め切り」とあり、その三つ右隣には……「大会一回戦」。
ま、まさか……。
「大会って三日後だったり……」
「やはり知らなかったか」
まだ自由に炎を操れるようにもなっていないのに、それだけの期間しか残ってないなんて……大丈夫だろうか。
「それ以前にルールも知らないだろう? これを読みなさい」
渡されたもう一枚の書類はびっしりと文字で埋め尽くされていた。近くの机に一度置いて、目を通す。
まずは参加について。申し込みの期限は今日で、学園の生徒なら誰でも参加できるようだ。「何があろうと自己責任」という付け足しの文が恐ろしい。
次に勝負のルール。戦う会場はランダムに選ばれ、戦闘には物理攻撃と能力、会場の地形のみを利用できる。道具の持ち込みは禁止。どちらかが気絶なんかで戦闘不能になるか、自ら負けを認める、後は先生たちに中断されない限り、試合は続く。「ただし殺害してはならない」と記述されている。こんなのが公営の教育機関で行われていいものなのか?
そして、勝った人は二回戦、三回戦と進んでいき、決勝戦の勝者のみがファイザーと会うことができる、と。
「まあ、結局は勝てばいいのだよ。それを読んで怖気づいたか?」
「……やるに決まってるじゃないですか!」
「そう言うと思ったよ。申し込み用紙は用意しておいた、後はここに君が名前を書くだけだ」
持っていた二枚の紙を机の端に避け、ペンと用紙を受け取る。怖い、なんて感情を持っていたら復讐なんて成し遂げられるはずがない。
ファイザーと顔を合わせる時の、周りの状況を考えるのは容易なことだ。厳重な警備体制を敷かれた場所で暴れるのと比べたら、こんな大会など怖くもなんともない。
ドン。
ペンの先を紙に乗せた瞬間、来る途中に聞いたものと同じ爆音が、すぐ近くから聞こえた。学園の中だろうか。
「この音……」
「そうだな。君が決勝戦まで勝ち残っていたら、確実に当たる相手さ」
その言葉を聞いて、瞬時に理解した。そう、この音を立てた生徒こそ、イルカナの言っていた「レイクロックの大型弩砲」だ。
「あの、弩砲って何ですか?」
一応、聞いてみた。リーンも疑問に思っていたみたいだし、力の正体も分かりそうだし、聞いておいて損はないだろう。
「弩砲っていうのは、弓を発射する兵器のことだよ。固定式のそれを、どこかの国では『バリスタ』なんて呼ぶらしい。銃とか戦車とかがある今はもう殆ど使われてないが」
えっと、つまり、二つ名が軍事兵器ってこと? なにそれ、やっぱり怖い。