06.片眼鏡の研究者
網目状に張り巡らされた通りを彷徨うこと数十分、やっとのことで目的の建物に辿り着いた。煉瓦造りの街並みに馴染まない、白い石で組まれた壁が極めて異質だ。
格子の入った門は閉ざされており、その間からは敷地内を歩く子供たちの姿が見える。統一された深緑色と深青色の服装が、少し不気味に感じた。
「そこの君達、何をやっているのかね?」
突然、後ろから声をかけられビクッと体を震わせる。振り返ると、そこに立っていたのは白い衣を纏った青髪の女性。ポケットから取り出した片眼鏡を裾で拭き、左目にそれをかけた。
「えっと、あなたは……」
今までじっとしていたリーンの目が瞬時に変わる。
ここに来るまで彼女と話してたことだが、レイクロック学園は国が建設した、言わば公共機関である。村から私が逃げたことは、奴らも分かっているはず。だとすると、影で捜索されていてもおかしくはない。
できる限り、国と関係のある場所に踏み入れるのは避けたいところだが、指名手配されていなければバレないのではないか……と、正直言って、危険な賭けである。
「まあまあ、そう怖がるな。私はここで教鞭をふるっている者だ」
言い換えれば、この女性は生徒に勉強を教える「先生」という立場である、ということ。無論、近くにそういった施設が無かったため、私はお父さんに教えて貰っていた。とはいうものの、読み書きと計算、あと簡単にこの国のことを教わったくらいな気がする。
「その様子だと、編入試験を受けに来たのだろう?」
後ろに立っているリーンに顔を向ける。目線で「え? 試験なんてあったの?」と伝えようとするも、「なにそれ初耳なんだけど」という顔を返された。
「は、はいっ!」
断る方が無難なのだろうが、ここで止まってしまっては折角の機会を逃してしまうかもしれない。そう考えた私は、覚悟を決めて頷いた。
「その前に名前を聞いておかないとな」
「ラキュエル=アイザッティ……です」
もしも私の名前が、国に関わる人々に知れ渡っているとしたら、ここで捕えようとしてくる可能性が高い。堂々と名前を告げたのは、その判別の為でもあるのだ。
一応、バレていたとしたらすぐにリーンが飛びかかるよう、ここに着くまでに話をつけてある。
「ではラキュエル、こちらに来たまえ」
そう言って、一人歩みを進める女性。だが、私達はついていかない。というよりも、ついていっていいのか分からない。リーンはどうすればいいのか、言われてないからである。
「……ああ、後ろの方は?」
どうやら気づいてくれたようで。ところで、リーンは何なのだろうか。私に憑りついている悪魔だし、復讐の共犯者にもなるだろうし……。
いや、それは絶対に言えない。そうだ、リーンは明らかに私より年上じゃないか。
「その……保護者です!」
別に親でなくとも、私を守ってくれる存在であることには変わりないのだから、間違ってはいないだろう。学園ということもあり、保護者と言っておけば何かと融通が利きそうだ。
背後からの視線が怖いが、ごちゃごちゃとしたやり取りをしている暇はない。年齢については一切触れていないからね、私。
「保護者の方でしたか。それならどうぞご一緒に」
すると女性は重厚な門を開き、敷地の端にある小さめの建物まで私達を案内した。
* * * * *
幾つものガラス製の容器が並べられた棚。黒い机の上には、私には到底理解出来なそうな計算式が書かれた紙が積み重なっていた。
「私はイルカナ=グロート。ここの教師だ」
部屋にある数多の道具といい、部屋に充満している鼻につく妙な臭いといい、彼女は「理科」という科目を教えているのだろう。科学技術を理解するのに必要だと聞いたことがある。
「さて、編入試験の内容だが……」
ゴクリと唾を飲み込む。一体、どんな難しい試練が待っているのだろうか。筆記試験なら不合格確実なのだが……。
「私と戦ってもらおうか」
「え?」
予想だにしなかった言葉にきょとんとしてしまったが、この学校の存在意義を考えてみれば明白な理由だった。
レイクロック学園は、子供たちに有用性があるかないか、選別するための篩だ。頭の冴える者は技術開発のような高度な仕事ができ、はたまた戦闘に長けた者は国家を守る軍に入れる。どちらも生活に困ることはないだろう。
教育機関というのは、ここ以外にもそこら中にあると聞く。落ちぶれた者は、相応の場所へ。網目をすり抜けられなかった大多数は捨てられるのだ。
つまり、ミラから聞いたあの大会とやらも、目的は一緒。学園内で最も強い者を引き抜きたいという訳だ。
「分かりました……」
「おい、エル。戦ったことないのに、いけるのか?」
リーンの問いに対し、無言のまま首を縦に振って返す。「自信があるのか」と言われれば、ない気がする。ただ、やってみたい。不安よりも好奇心の方が勝っていた。
「それじゃ、外にでようか」
* * * * *
その建物から一度出て、裏へ回ると、校舎の方からは見事に死角となる広い空き地があった。障害物は何もなく、足場は普通の土。戦ったことがないので分からないが、特殊なものではないことは理解できた。しかし、それは逃げ場も存在しないということである。
「君の力、私に見せてみな。別に、君が勝てるとは思っていないが」
教師という立場から言っているのかもしれないが、私はそれを挑発として受け取った。
彼女の立っているところへ、一直線に突っ込む。距離をつめたところで、右手から炎を放った。
「おっと、危ない。火か……厄介だな」
後ろにピョンと飛び跳ねてそれを交わすと、彼女は腕を服の内側に入れ、なにやらゴソゴソと探り始めた。
「あったあった。さて、避けられるかな?」
指で挟んだ何かがシュッと上空に向かって投擲される。それは、先程の部屋で見たガラス製の管だった。薄黄色の液体が内側で揺れている。
これがどんな攻撃なのか見当もつかなかった私は、取り敢えず躱そうと着弾地点から離れようとした。
きっとガラスが割れるだけ。そう思っていたのが間違いだった。
地面についた瞬間、パァンと激しい音と共に爆発したのだ。砂埃が舞い上がり、キラキラとガラスの欠片が散乱している。
あんなのが直撃したらひとたまりもない。どうすれば……。
「ほらほら、諦めるなら今のうちだぞ?」
いかにも余裕そうな口調で喋るイルカナ。今現在、その姿は煙の中にある。キョロキョロと見回していると、どこからか、微かにガラスの擦れる音がした。
マズい。どこから攻撃が来るのか分からないこの状況を打開するには、この砂埃を掃う必要があるが、彼女が攻撃する度に爆風が起きてしまう。負の連鎖だ。
作戦を捻りだそうとするのを邪魔するかのように、煙の少しだけ晴れた隙間にガラス管が顔を出す。
「うわっ!」
咄嗟に後ろに下がろうとするも、十分な距離に達する前に地面に着いてしまう。爆風をもろに受け、勢いよく吹っ飛ばされた。
「いてて……」
気が付けば、腕から少し血が流れていた。破裂したガラスが作った切り傷だろう。
「これで、終わりかい?」
またしても、カキンと管同士がぶつかる音がした。いや、さっきまでとは何かが違う。音のなり方が複雑で……まさか、何本か同時に……!?
視界不良の状態で、降り注ぐ爆弾。避けようにも、飛んでくる軌道が直前まで分からない。
……待てよ。爆弾って、普通は火から遠ざける必要があるはずだ。
半ばヤケクソな気持ちで、目いっぱいの炎を四方八方に乱射する。もうどうにでもなれ!
すると、私の丁度右上、空中で爆発音がした。そして、少し遅れて同方向から二回。宙に向かって物を投げれば、普通なら真っ直ぐに飛んでいくはず。それなら、軌道をたどれば投げた人に辿り着く!
その方向へと身をかがめて駆け出し、そこにあったものの広い面に手を当てた。
「しまった……!」
「私の勝ちです」
このまま炎を放てば大やけど。勝負は決まったも同然である。
煙が晴れ、手を乗せた場所が背中だと分かり……ん? なんか感触が違うような。確かに平べったいところに当てたはずなのに……。
「な、なんてとこ触っているんだ!!」
私が手を置いた場所、それは……何度見ても胸だった。あー、マズい。どうしよう……ここは正直に言っておいた方が良さそうだ。
「いやあ、ぺたんこだから背中かと……」
「ぺた……き、君よりはあるからな!?」
十三歳の私と張り合うとか大人げないですよ、先生。