第三話「馬上教室」
突き抜けるような青い空、遠くを見れば大きな入道雲が日の光を受けて輝いている。見渡す限りの草原は青々として、地平線まで続く赤土の轍道は俺の心を揺さぶった。
「なんかこう、胸が熱くなるよな。遠い日の残照というかさ、記憶の木漏れ日というかさ……うーん、ノスタルジィ……」
「う、うむ」
アリアーヌに酷く困った顔をされた。いや、わからないかなぁ、この見渡す限りが自然に囲まれているありがたさ。子供の頃に田舎のおじいちゃん家に遊びに行った時のワクワク感と、湧き上がる郷愁――いわば心の原風景なんだよ、この景色は。
「ありがたいなぁ……」
「あー、タロウ、話を戻すぞ。世界情勢についてだ」
そうだった、今は彼女と情報の交換をしていたのだった。
俺が今どこにいるのかといえば、アリアーヌと共に王都セントレア行きの馬車の中だ。調査隊として派遣されていた兵士たちも馬に乗って隊列を組んでいる。本来なら彼女も騎乗するので馬車は使わないらしいのだが、俺のために用意してくれたらしい。
(にしても、朝一番に告げられたのが王都行きだものなぁ)
もっとも石室で手に入れた荷物はひとまとめに出来ているので、調査隊の面々よりはかなり身軽だ。それでも、昨日の今日で即時出立とは思わなかった。詳しいことは馬車の中で話す――そう言って足早に部屋を出て行った彼女に、俺は頷くことも出来なかった。
「おい、タロウ。貴様、話を聞いておらんだろう」
アリアーヌに鋭い目つきで睨まれた。
「いやいやっ、このセントレア王国と、アスヴェア山の東側にあるグランツ帝国とは昔から争いが絶えず、今も小競り合いが続いているってことだろう?」
「なんだ聞いていたのか……その通りだ、だが正直に言って我が国は旗色が悪い。元々国土で劣っていたところに帝国の軍拡が進み、東側諸国の中には同盟国や属国となった国も多い。おそらく数年内に東側を平定して、そのあとは山を越えてくるだろう」
「西側の他の国はどうしているんだ? セントレアが負ければ自分たちもただで済まないのはわかっているんだろう?」
「うむ、それこそがこの国一番の悩みの種なのだ」
マリアーヌは心底気に入らないとばかりに腕を組んだ。
「歴史を紐解けば、西側の国の多くは元々セントレア王国の一部だったのだよ。それが二百年前の内紛により南方のクローネ公爵領と西方のポートラル伯爵領が独立した。その六十年後には、北方のシルベニア地方が他国の侵略を受け占領されることになる。当時はまだ小国であったエキストバニアにだ。それからそれぞれが分裂や合併を繰り返し、今現在の地図に落ち着いたのだ」
そう言って、簡単な手書きの地図を渡してくれた。なるほど、これによれば、この大陸はひょうたんを横たえたような形をしているらしい。くびれの場所にアスヴェア山があり、そこから西がセントレア、東がグランツとなっている。グランツとセントレアの国土はおよそ3倍と言ったところだろうか……これほどの差がありながら、よく対等に戦争していられるものだ。
それ以外は彼女の説明の通りで、王国の南端から海岸線までがクローネ公国、王国西端から西の海岸線までがポートラル公国、クローネの左とポートラルの下には2つの小国があり、お互いに助け合っているらしい。そしてエキストバキアだが……
「北にあるこの島が本土なのか?」
大陸西側の上部には、海を挟んでそこそこ大きな島が描いてある。大きさはざっと見て大陸西部の三割ほどだろうか。そこから大陸北部の一部を国土としている。
「そうだ。その島はかなりの寒冷地でな、島の北部ともなれば分厚い氷が大地を覆い尽くしているそうだ。南部であっても冬季の寒さは厳しく、作物の実らぬ痩せた土地が多い。それこそが、百四十年前のエキストバキア南進の理由と言われている」
豊かで暖かな土地を求めた、と。なるほど、地球でもよくある話だ。北方の国にとっては食料問題も重要だが、軍事的な意味では、冬でも凍結せずに年中使える港が必要だったりもする。
「にしても相手は当時そこそこ力のあったセントレアなんだろう? 一部とは言えよく奪えたものだ」
「うむ、表向きには魔法技術の供与と引き換えにシルベニア地方を割譲したことになっている」
「実際のところは?」
「その最新の魔法技術を活かした戦術に敗戦を続けたセントレアが、エキストバキアの要求をほとんど一方的に飲んだ形だ。魔法技術の供与というのも、エキストバキアにある魔法学園都市市民権の取得と、同学園の入学試験への参加を認めるというものだ」
「つまりは軍事的な技術供与ではないということか……」
腕を組み、重々しくうなづくマリアーヌ。
エキストバキアからの侵攻を受けた当時は、それほどまでに余裕がなくなっていたということか。
「短期決戦に徹した彼らの作戦勝ちということだな。一連の攻防戦での立ち回りは、敵国であった我々から見ても感服せざるを得んよ。間者による情報の錯乱と、消耗を抑えた短期での戦争終結、そしてその後の抜け目ない外交交渉は、当時の常識を覆すものであったそうな」
「今現在、両国の関係性はどうなんだ。それだけしてやられればセントレアも穏やかではいられないんじゃないか?」
聞く限り歴史と伝統に誇りを持ってそうなセントレア王国なら、いつまでも黙っていられないのではないかと思うのだが……地球で多くのヨーロッパ諸国がそうであったように。
「うむ、言わんとすることはよくわかるが、実のところそれほど関係は悪くない。エキストバキアの北部侵攻が鮮やかだった事と、双方の人的・物的被害が驚くほど少なかった事により、エキストバキア側はもとより、セントレア側でも国民レベルでは悪感情が出なかったのだ。無論、当時の国王と軍部中枢は煮え湯を飲まされたような気分だったろうがな。ま、そこまで含めて彼の国が一枚上手だったという事さ――」
そういう理由で、百年以上経った今では友好国にもなっている――嬉しそうに話す彼女の顔を見るに本当にそうなのだろう。
「ということは、悩みの種はクローネとポートラルか」
「そういうことだ……両国独立とその後しばらくは随分と揉めたらしくてな。未だに根深い傷を残している」
西側の事情はおおよそ把握した。そこで気になるのがやはり東側だ。
「なぁマリアーヌ、グランツ帝国以外の国が描かれていないようだが、これはどういうことなんだ?」
そう、グランツ帝国東部の国境線ははっきりしているが、そこから先が大まかにしか描かれていない。国名が入ってないものもいくつかあるようだ。
「実はな、我々も東側については詳しく分かっていないのだ……」
彼女の話をまとめるとこういうことになるらしい。
もともと大陸東部は雨が降りやすく、そのほとんどを深い森林で覆われている。それ故に近代になるまで人の手の入らぬ場所が多かったそうな。特に東側の海岸線から大陸東部の中心にある大クレーター周辺までは多くの種族が入り乱れているため、国境という国境はないらしい。その上どの種族も保守的なようで、国交があるのはごく一部に限られているのだとか。
「陛下も最低限の情報は入手しておられるようだが、距離が離れていることもありあまり鮮度は良くないとのこと。この辺りは信仰が異なる以上、教会の情報網に頼ることも出来なくてな」
なるほど、なんというかこの国は色々な点で不利だな。帝国からすれば、歴史的な観点からもこちらの状況を推測しやすいが、その逆はない。帝国がいつ東部平定するかは、実際のところその直前になってみないとわからない。なぜなら、東部の半分以上を統べる帝国に対して、その他の小さな国や部族はあまりに無力だからだ。主要な種族が負ければ、残りは降伏する可能性が高いだろう。
「というかさ、良いのか? 随分踏み込んだところまで聞いてしまってるみたいだけど」
さらっと流してきたけど、割と国家機密に近い内容も知ってしまった気がする。陛下の情報網の限界とか。
「問題はない、こちらにも考えあってのことだ。それより驚くべきは、タロウの物覚えの良さだ。もしや元の場所ではやんごとなき身分であられたのか?」
「いやいやまさか、ただのサラリーマンでしたよ」
「さらりーまん?」
小首を傾げるアリアーヌ、凛とした彼女がそんなかわいい仕草を見せるとは思わず、つい口元が緩んだ。
「ぷふっ」
「む、なんだタロウ、人の顔を見て吹き出すとはいささか無礼であろう」
ムスッとした目で睨まれた。
「いや申し訳ない、君の仕草が知人によく似ていてね、彼女を思い出して思わず笑ってしまった」
もちろん嘘だ――唐突だが、これから社会人になるという人がいたら是非覚えておいてほしい。人間、緊張する場にいると唐突な笑いには弱くなる。もちろんそのほとんどは耐えられるのだが、緊張が緩んだ瞬間につい笑ってしまうことがある。
こういう時には本音は言えず、かといって謝るだけでは相手も気分が悪い。ならば、適当にそれらしい嘘をつくのが手っ取り早くかつ効果的だ。かつて職場の先輩は、お得意先のブサイク顔を見て笑ってしまったところを似たような手段で切り抜けて、その顧客の担当を全て任されるまでに気に入られたことがあった。
ようは、失敗からのリカバリーが重要で、デキる営業の多くは口先が非常に上手いのが特徴だ。
「ふむ、そういうものか? まぁよい……して、そのさらりーまんとは一体なんだ」
「個人に雇われる労働者を指す言葉です。我々の国では、職務内容こそ千差万別ですが国民の大半がこの立場にありまして……言ってしまえば、ありふれた一国民なんです、私は」
「触りの情報だけで国の情勢を理解するお主が一国民とは解せぬが、そういうものとして納得しておこう……まったく、この国の貴族連中にも貴殿ほどの理解力があれば言うことはないのだがな。どうにも私利私欲を優先し過ぎるきらいがある」
国が敗れてからでは遅いと言うに、あの鈍亀どもめっ――どうやらアリアーヌにも思うところがあるらしい。歪んだ表情からは、彼女の不機嫌さが伺える。
「隊長、失礼します」
馬車の窓からクレインさんが声をかけてきた。
「もう着いたか」
「はい」
「よし、次の街までが遠い、少し長めに休憩を取るとしよう」
一つ頷いてから離れていくクレイン、隊員たちに知らせに行ったのだろう。
「タロウ、聞いての通りもうすぐコルネ村というところに到着する。自由に休んでもらって構わないが、念のため部隊からは離れないようにしてくれ」
「あぁ、わかったよ」
「……タロウのことも詳しく聞いておきたいが、王都までは数日掛かる、その間にゆっくり聞くとしよう」
俺は軽く頷いて、馬車の窓から顔を出した。草原の向こうには青々と茂った畑が見え、その奥には木造の家屋が密集している。
(アスヴェア山の麓の村は、どちらかと言えば軍事施設のような雰囲気だったけど、ここは典型的な農村って感じがするなぁ)
見れば陽もかなり高い、朝から馬車に揺られ続けていたと思うと急にお尻が痛くなってきた。うん、ゆっくり休ませてもらおう。
話を聞いただけではなかなか現実味がないが、こうして遠目から村の様子を見てもやはり印象は変わらない。地球の欧州でも田舎に行けば未だに似たような暮らしをしている人たちは多いので、既視感のようなものがあるのだ。空も大地も山も木も、地球と変わりがない。
「ここは本当に別の星なのかね……」
そっと溢れたつぶやきを草原の風がさらっていった。
今日はもう一話投稿します、次回はいよいよ(執筆的な意味でも)初めての戦闘です。目は細めて読んでやってください。