第一話「第一村人との遭遇」
改めて石の部屋を出てから、しばらくは絶景に眼を奪われていた。
思えば、ここ数年は仕事に追われてまともな休みも取れていなかった。大学卒業と同時に入った会社は、世間で言うところのブラック企業だ。そこで日夜働き続けて、ようやく余裕も出始めたのが最近の話。最後に旅行に行ったのはもう何年も前になるのか。
「綺麗だなぁ」
なればこそ、四方を雲海に囲まれたこの景色に心奪われるのは当然と言えよう。
「ぶえっくしょい!」
どれほど見惚れていたのかわからないが、そこそこの時間ぼーっとしていたらしい。雲の上ともなれば、標高は4千メートル近いだろう。
そういえば今のこのワンピースみたいな服だが、神のお手製なのか、体温を適温に保つ機能がついていた。それでもさすがにこれだけの高所ではくしゃみの一つも出るらしい。
「おりょ? あれは――」
石の部屋で暖を取ろうと踵を返したら、やや下の方に似たような石の建物がある。あれも何かの間なのだろうか。
「んー、入り口はないな」
やはり神の作ったもののようだ。こう言う時は神眼を使おう。
「っと、やっぱり吹き飛ばすしかないらしいな」
外からだと術が読み取りづらいが、おそらく状態保存の術だろう。このワンピースと似た構成であるのが見て取れた。入るには、継承の間と同様に吹き飛ばすしかない。
「んだこらっ、ああん!?」
ビシビシッと言いながら、石の壁に大量のヒビが入った。よし、先ほどは全力で睨んでしまったために壁を完全に吹き飛ばしたが、睨み具合で威力も調整できた。普段はガン飛ばす程度に留めよう。
多少の力を込めて押せば、石の壁は容易く崩れた。小さい破片が足に当たって痛い、気をつけよう。
「おお! おおおお!」
中をのぞいて思わず歓喜の声が出た。
「ありがたいなぁ、服も装備も一通り揃えてくれてるんだな」
神は随分気の利く性格だったらしい。石室の中は倉庫になっており、冒険するのに都合の良さそうな物が一式並べてあったのだ。
文明レベルに合わせてあるのか、簡易的な下着に麻の服、革製の軽鎧に頑丈そうなブーツ、隣にはポーチと荷物入れ、水筒まである。そして一番の楽しみは……
「見事なマントだぁ……」
え、剣? 違う違う、剣もあるけど大して興味はない、そんなものよりこのマントのデザインが最高にクールだ。
サラリーマンのおしゃれというと、基本的にはネクタイやハンカチやコートなのだが、俺はとりわけコートが好きだった。特にセミロングコート。その点この外套の意匠と丁寧な作り込みには感動すら覚える。まぁコートとはつくりが違うのでなんとも評し難いのだが、この裏地を見る限りは寒冷地用なのだろう。暖かく着心地も良さそうで、さらに程よい厚みから布団代わりにもなってくれそうだ。
「素晴らしいな、これら全てに神の加護がついている」
神の加護といっても、厳密にいえば粒子レベルでの風水のようなものなのだが、便宜上そう呼ぶことにした。
当然のことながら、これらの装備品は傷ついたりすれば石室同様に加護を失う。便利な防御機能がないあたりは、おそらく、この装備程度守ってみせろ。あるいは、作れるようになってみせろ。ということなのだろう。神なら壊れないようにだって出来たはずだし。
「何はともあれ、これで本格的に活動できる。一先ずは人のいる場所に向かおう」
折角標高の高い山にいるので、神眼で村や町を探してみる。と、早速遠くの山間や盆地にいくつか大きめの街が見えた。そこを当面の目的地として、一旦すぐ麓にある村へ降りることにする。
「そうと決まれば行きますか! えいおー!」
あれから数時間が経った。端的に言えば、俺は山というものを舐めていたのだろう。あんだけ高いところに居たんだから、そら降りるのにも時間がかかるでしょ、って話である。そしてすんなり村まで行けるはずもなく、今は麓の森の中だ。
慣れない山道に慣れない服装、そこに鎧を着て剣を穿いているとなればそこそこの重量なのだ。自衛隊さんみたいに訓練していたら案外問題ないのかもしれないが、こちとら都会のサラリーマン、しんどいにもほどがある。
「不味い、さすがに陽が暮れるのは不味い」
石室を出たのは昼前なのに、すでに陽が傾いている。急がねば、と歩みを進めたところで、木々の合間から村の周りを囲う柵が見えた。
金太郎がまだ森の中を歩いていた頃、麓の村では、幾人かの兵士が忙しそうに動き回っていた。そこへ村の門を二十名ばかりの兵士がくぐって行き、広場の前に作られた天幕に集まる。ちょうど山から戻って来たところなのだろう。
その天幕のさらに向こうには立派な建物があり、開け放たれた入り口からプラチナブロンドの女騎士が出て来た。
今朝から山の様子がおかしい。
古くから立ち入りを禁じられた聖域アスヴェア山は、歴史の転換点には必ず不可解な現象が起こるという。その現象をいち早く察知し、国へ報告をする。この村は観測所としての側面もあるのだ。
「隊長、森林・山岳の両調査隊が帰還しました」
背の高いクレイン副隊長が窮屈そうにテントの下から声をかけてくる。
「あぁ、皆ご苦労だった。調査班長は報告を、それ以外は好きに休んでくれ。クレイン、地図とペンを」
「こちらに」
すでに用意していたらしい。身の丈に似合わずよく気の利く男だ。そこへ調査班長の2人が報告に来た。
「麓の森林については特に異常はありません。動物の異常行動なども見受けられませんでした」
「そうか、妙な魔力を感じたりもなかったか?」
「いえ全く、静かなもんですよ」
森林の調査班長は肩をすくめながら答えた。
「では山の方はどうだ」
今度は山岳の調査班長に問いかける。
「それが、いくつか気になる点がありました」
「というと?」
「はい、まず初めに、朝の雷鳴と厚い雲ですが、やはりアスヴェア山の頂上付近で発生したものとみて間違いなさそうです。そして、中腹部の砂地には山頂から森林に向かって人間1人分の足跡が残っていました」
「何! 足跡だと!」
思わず声を荒げてしまった。というのも、この山は聖域指定されているため、一般人は麓の森林地帯でさえ立ち入りを禁じられているのだ。ましてや山の中腹など、調査隊でさえも有事以外は立ち入らない。
「森林には異常はなかったんだよなぁ?」低い声でクライン副隊長が問い詰める。
「はい、森林の各調査ポイントでは何の異常も確認出来ませんでした。道中も同じです」
つまりそれらしい人影は見なかったと……何れにせよ山向こうにあるグランツ帝国からの密入国とは思えんな。わざわざ監視の厳しい山を越えてくるバカもいるまい。となると……
「隊長、これはまさかっ」
「あぁ、その可能性は高い。クレイン、全員で森林捜索に出るぞ。私は村長とババ様に伝えてくる」
「了解……全員集合! これより森林地帯の捜索に出る! 各員準備を急げ!」
テントでは隊員たちが大慌てで装備を付け直している。疲れているところに悪いが、彼らにはもう一働してもらおう。何せ――
神の御子が降りたのかもしれないのだから
「日が暮れる前には――」
準備を完了し、女騎士を筆頭に駆け足で出発した調査隊は、門を出たところでその足を止めることになる。
「あらぁ……えっと、ハロー?」
この夏場に、厚手の外套とフードまで被った謎の不審人物によって。