迷宮の絵画
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「お姉さま……!」
ライリは巨大な狼に後ろから首を噛まれもだえ苦しむ姉のリリーを見て驚愕した。木の影から銃弾が飛び出し、弾は狼の左目を霞む。
狼は驚いてリリーの首を離す。離されたリリーは地面に落とされた。ライリは慌てて駆け寄る。
片手で目を覆いよろめいた狼は草に足を取られ、深い穴の中に落ちていったーー……。
「魔物よ……! 私の仕掛けた罠にかかったか……!」
木の影から声を張上げさっそうと登場したのはリリーとライリの母親、シェリーゼだった。シェリーゼの背後から銃を持った兵士たちが次々と狼の落ちた穴に集まり、囲んでは銃弾を撃ち込める。
《ドン、ドン、ドン……!!!》
穴の中の狼は呻き声を上げる。
「ふっ、ははははは……あっはははは……私の手にかかれば、魔物も虫けら同然よ……!! あっはははは……可哀想に……穴の中で逃げることもできずもがいておるわ……!!!」
「お、お母さま……! それより、早くお姉さまを助けてあげてください……!」
地面に横たわる姉の首を押さえ止血するライリ。持っていたハンカチを広げ傷口をきつく締めても依然血は止まらない。
……シュリーゼはライリの手を取るとその場から離れた。
リリーのすぐ後ろでは穴に落ちた狼が穴から這い上がり兵士を払いのけ、激怒していた。
目の前の銃弾を持っていた兵士たちが、狼の鋭く歪に尖った爪で引き裂かれる。リリーの正装は兵士たちの血渋きが飛び、赤く滲んだ。
シェリーゼはライリを連れ馬車に乗り込むと急いで馬を走らせる。リリーは首を押さえ、地面に踞り、次々に倒される兵士と銃声の音を聞きながら、二人の乗った馬車がだんだんと小さくなるのを意識が朦朧とする中で見つめていた。
「お、お母さま……うそよ……行かないで……置いていかない……で……」
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城に着いたライリは青ざめていた。母親は娘をベッドで眠る父親の元へ連れて行き、今日の出来事を報告する。
「……リリーはどうした……?」
シェリーゼは目線を下にずらすと瞳から大粒の涙を流した。鼻は赤く染まり、唇は震える。
「……リリーは凶暴な狼に食べられました」
「……!?!?」
「ライリ、あなたは話さなくて良いのよ。つらい出来事は全て私の口から話すから、もう部屋に戻って体を休めて……」
メイド長が医者を部屋に呼ぶ。二人の体を確認すると、ライリは自室に戻された。
「お母さま……!」
必死で事態を伝えようとしたが、その願いはむなしく扉が閉まる。その夜、シェリーゼの話を聞いたものが静かに準備を進めた。
*
数日後、シェリーゼはシュリア帝国の中でも腕の良いものを率いて教会を訪れた。生い茂る草木を掻き分け、狼がいたはずの穴付近を詮索するが、兵士の死体はおろか、狼の姿もリリーの姿も見つからない。その足で側の教会のドアを開いた。
《ギィーー……》
「…………!!??」
するとそこには驚くことに死んだはずのリリーが祭壇に跪いて神に祈る姿があった。リリーは何者かの視線を感じとると、視線の方向に目を向き、母親と目をあわせる。
「……お母様。ご無事でなによりです」
シェリーゼは冷静沈着な彼女に返す言葉が見つからない。しばらく沈黙が続くとリリーは母親に問い掛けた。
「妹は、ライリは無事ですか?」
……なんだかその問が自分が彼女にしてきたことを問い詰められている気がして。瞬きをせずに見つめる瞳の奥に寒気がした。
「ああ……ライリは城でおとなしく本を読んでいたよ」
シェリーゼは早々にこの場を去りたかった。
「いいこと、リリー? あなたはここで長女として妹たちに迫る悪魔を誘き寄せ退治する役目を任せるわ」
非常に不気味だった。
「お母様は私を城に連れて帰ってはくれないのですか?」
シェリーゼは淡いドレスが汚れぬよう裾を持ち上げ、絨毯の上を靴の爪先でそっと歩く。リリーの近くまで来ると、全身血塗れの彼女に告げた。
「私は母親としてあなたに耽美な甘い毒のような時間を与えてあげるの」
「だってあなた一生独りだわ」
「どうしてそんなことを言うのですか?」
リリーには母親の言っている意味が理解できなかった。さらにシェリーゼは自分の手袋を外すと、恐る恐る彼女の頬に手を当てようとする。
教会のステンドガラスから差し込むオレンジ色の夕日が彼女の姿を照らす。雲が流れると姿は隠れ、祭壇が透けて見えた。
「あなた本当はー……死んでいるのよ」
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