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偽りの花嫁は恋に堕とされる  作者: mayme
偽りの花嫁は恋に堕とされる
6/24

冥界の王とケルベロス


*

*

*


 太陽はすっかり山に身を隠し、交代した月が空に浮かぶ。街にはぽつりぽつりと鬼灯(ほおずき)のようなオレンジ色の街灯が灯される。城の門番に怪しまれぬよう、高い塀を飛び越えて城の後ろから侵入、木陰から広間の窓を(のぞ)き込んだ。部屋には聞きなれた母親の話声が聞こえる。


 暖炉で暖まったお部屋に、テーブルに並べられた美味(おい)しそうな料理の数々。大きなお皿に骨付きのチキンが丸々一羽のせられ、ライリは小さな子皿にナイフで切り分けたチキンを置いていく。そのお皿は正面の席の母親がにこやかに受け取った。リリーがいた頃と変わらぬ穏やかな夕食の風景だ。


 さらに、母親は片手に高級そうなワインを持つと、ライリの側に座っていた、見知らぬ男性のグラスにワインをそそぐ。

 ……そう、そこにいる誰もが教会で魔物退治をしていた姉のことなど心配してはいない。ここにはすでにリリーの居場所などどこにもなかった。

 リリーは下唇を()みしめ両手を握りしめる。

 いつの間にか後ろに立っていたケルベロスの気配に気づき振り返ると、頷いて返事を返した。


「……完敗だ、ケルベロス。おまえの好きにするがいい」


「どうした? リリー」


 見知らぬ男の胸に着けてある、金の7つ星のピンバッジ。それは名門貴族の証だ。普段から洋食料理、コース料理を口にしているのだろう、手慣れた食器の使い方、礼儀作法も見事なものだった。


「……時期妹は、北陸シュリア帝国の正式な跡継(あとつ)ぎになるだろう。博識の旦那様。妹の成長を優しく見守るお母様。もう、私にはここに何も思い残すことはない」


 リリーはその場を離れると、月の光をたどい、深い森の中に歩いていく。


「……リリーよ、冥界に帰る前に忘れ物はないか? お気に入りのドレスでも思い出の宝物でも、持って来たら良い」


 リリーは(ひる)むことはない。地面に付着した長いウェディングドレスの裾を(つか)むと、身を(かが)め歯で真っ白な布地を引き裂く。


《ビリィィィ……!》


 太股にベルトで固定してある(さや)が取り出しやすくなったことを確認すると、破れた布地を胸元に巻き付けた。


「これで晴れて私は自由の身だ……! 長年監視拘束されていた場所になど、思い入れの物なんてあるわけがない!」


 そのすがすがしい表情を見て、ケルベロスは目を丸くし、笑みを浮かべた。



*








 雲で覆われていた空がいきなり明るく光り、鋭い電光の光が地面に突き刺さる。稲妻はリリーとケルベロス、二人の間を引き裂いた。


「……ケルベロス。帰りが遅いと様子を見に来てみたら。何を小娘と戯れているのだ」


 稲妻の光の中から突如現れた男の背後には六枚の黒翼(こくよく)が生えている。体を青紫色の炎が包み込み、手に持った杖は渇いた地面を突き刺し、瞬時に大地の栄養を吸い上げ、近くで咲いていた花は枯れ草は萎られた。


「ハーデス様……!」


 ケルベロスにハーデスと呼ばれる不気味な男はリリーの姿を見ると歓喜の声をあげた。


 ハーデスはリリーに近づき、花の香りを嗅ぐように長い髪の毛を手に取ると彼女の甘い香りを堪能した。鋭く延びた爪で(やわ)らかな肌を裂いてしまわぬよう、そっと頬に手をあてる。はじめて会う男に迫られても微動だにしない芯の強さ力強い眼光、むしろ嘲笑うかのように冷たい目で軽蔑している。




「この娘、私の花嫁にぴったりだ」


(……!?)


 リリーはハーデスの指先を払い退け拒む。払い退けられた手を見て驚く。彼女の薬指にはすでに『永遠の愛の証』がついていたからだ。


「これはどういうことだ? ケルベロス。この指輪はお前が長年つけていた物ではないのか……?」


 リリーは迷うことなく(さや)から剣を抜き、ハーデスの喉元に(やいば)を突き立てる。


「私は誰のものでもない……!」


 突き出された(やいば)をハーデスは歯で()みしめる。唇は斬れ、口からは真っ赤な血が流れ落ちる。残酷な光景を目にしても剣を握るリリーの手は(ひる)まない。


「手を引かぬならこのまま剣を口から喉の奥まで刺してもいいんだぞ? もし、暴れれば己の心臓まで一気に(つらぬ)くぞ?」


 ハーデスは娘から不釣り合いな刺々しい言葉が出ると目を見開いて驚いた。


「……残念だったな、人間が作った物など私には通用しない」


 ハーデスがそういうと、剣は徐々に石のように石化し、砂となり風化する。さらにハーデスは自分の胸元のボタンを引きちぎると己の空っぽの胴体を見せ付けた。



「ハーデス様、その娘は……!」


 二人のやり取りを見かねたケルベロスが二人の間に入り声をかける。


「花嫁の指の印、お前も恋に落ちたかケルベロスよ。長年一人だったおまえだ、しかとその純愛を私に見せてくれ」


 ケルベロスの両手両足についた鎖にはさらに鉛の塊がつけらた。ハーデスは手のひらから黒い炎を放出し、リリーに投げつける。炎の火の粉がドレスに燃え移り、地獄の炎が彼女の全身を焼き付くした。


「……!」


「ケルベロス忘れたか? おまえは常に私の支配下にある」


《カシャン、カシャン……》


「ならば、ハーデス様、俺をこの鎖から解放(かいほう)ください」


 ケルベロスは重たい鎖を引きずる。


「その愛は偽りか?」


 鎖は体に絡まり、ケルベロスの身動きを封じる。リリーを助けようと、力任せに鎖を取ろうとするが、暴れるとさらに鎖は肉に食い込んだ。


 鎖は外れないと確信したケルベロスは近くの堀に飛び込む。

 衣服物ともびしょ()れになり、水を吸い込んで先程よりも重たくなったはずの体を引きずりリリーに置い被さる。

 衣服に滴る水で炎は徐々に鎮火されケルベロスはあんどの表情をした。



 ケルベロスの両足に着いた手(かせ)は重りを引きずったせいで赤く腫れている。そうしてでも、自分を助けてくれたケロベロスに少しだけ感謝した。



 ハーデスは声を出して高笑いをすると、煙のようにその場から消え去った。



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