黒百合の花に溺れる2
ハーデスが眠っている隙に、リリーは行動を移した。鉄で出来た一枚の大きなドア。アンティーク彫のドアハンドルを握りしめ、そっと廊下に出る。
廊下に出て、辺りを見渡す。
リリーの住んでいた城も相当大きな敷地に建ててあったが、ここはそれ以上に広く感じる。
湿度が高く少し湿った空気。いくら遠くを見つめても変わらぬ、右には同じドアが一列に並び、どこまでも長い廊下が真っ直ぐに延びている。
どちらが前でどちらが後ろなのか分からないが、壁に片手をあてて、それを手がかりに廊下をひたすら真っ直ぐ突き進む。今いた部屋がどこかの中心だとすると恐らく出口は左側。外に出れると思ったからだ。
だが、いくら歩いても歩いても、出口らしきドアは見つからず、同じ場所をぐるぐると回っているような気がしてきた。
「リリー…」
誰かに呼ばれたような気がして、振り返ろうとする。その声の主は、静かにリリーの向いている方を指差すと「あっちだよ」と声をかけた。
「…だれ?」
リリーはすぐに振り返ったが、背後には誰もいない。
少しだけ怖くなったが、他に自分を救う方法などなく声を信じて進むことにした。
すると、目の前に巨大なドアが現れた。
ドアの透けた硝子の部分から外の光が漏れている。
「外に出られるわ…!」
ドアノブに手をかけて、重たいドアを少しずつ押す。それはギギギという古びた鉄と隙間に入り込んだ砂が摩擦する音を出して、少しずつ開いた。
「…!!」
リリーはその風景を見て、驚いた。
紫色の空には龍のような電光がピシャリと走る。
目が開けられぬ程眩しい光に包まれ、身体中を突き抜ける稲妻が地面に落下する。
「きゃあ…!」
地面は綺麗な設備された石畳みでも、針葉樹の葉や柔らかなコルクのような土でもない。
ゴツゴツとした岩や固い土で覆われていた。
道幅は城を離れるにつれ段々と狭くなり、脆く崩れた岩は何十メートルも下に落下した。
落下した岩が割れることなくポシャンと海水に喰われる。そこで理解した。この城は深い海のような水の上に建っているのだと。
自分の置かれた状況に怖くなり、後ずさりをする。
「戻ってきては行けない…!」
また、声が聞こえた。
辺りをゆらゆらと漂っていた真っ黒な煙が体に触れると、体から色が奪われる。痛みはないのだが、指先から徐々に透明に変わり始め、それはリリーの消滅を意味し、悪魔に魂ごと喰われているかのようだった。
「え…!?」
迷っている時間はなかった。
「ケル…すぐ帰るから…!」
リリーは今にも崩れてしまいそうな道を素足で歩き出した。
***
少し遅れて、ケルベロスはリリーを探しに、ハーデスが眠る部屋に訪れた。
「ハーデス様!
リリーは…俺の妻はどこです…!?」
ハーデスは眠たい目をこすって、少しボーッとしながら、慌てて辿り着いたケルベロスを見る。
「リリー…?」
ハーデスは寝ぼけて、リリーとケルベロスを見間違えたのか、ベッドに中腰屈んでいるケルベロスの頭を撫でる。
「俺はリリーではありません…!どうしたら、間違えるのです…!」
しっとりとした長い前髪をかき上げ、ベッドに仰向けになると、ハーデスは一気に目が覚めた。
「リリーはどこにいった…!?」
「…それは、こっちが知りたいです…!」
ケルベロスはハーデスの相変わらずの天然ぶりにため息をつく。
「つい、甘い花の薫りをくんくんと嗅いでいたらうっとりとして、眠ってしまったようだ…」
旦那の前で正々堂々と「手をつけました」と、言うハーデスだが、ケルベロスはもはや怒りなど通り越して呆れていた。それよりも早く、妻を、リリーを見つけなくては…。
「俺は外を探してみます。ハーデス様は城内を…」
「うむ…」
「ハーデス様?」
ケルベロスは部屋のドアノブに手をかけて、振り向く。
「先にリリーを見つけたからと言って、触れないで下さい。リリーは、俺の妻です。俺のですから!」
ケルベロスはハーデスにそう忠告すると、部屋を後にした。




