*悪魔の戯言2*
太股に装着してある小型の鞘から剣を抜くと、全身を巡る血が足りなく貧血で小刻みに震える体を支えながらも剣を向け歯向かってきた。
「……その、手に持っている、人間を離せ……」
もうすぐ『死』を迎えるであろう、新鮮な体から放出される、鼻の奥を突き抜ける甘い死臭。
俺は『悪魔』を睨み付ける『瞳』に一瞬で心を囚われたー……。
全身から血がなくなり、雪のような真っ白な肌。
滴る鮮やかな血。それでも尚、瞳は硝子の万華鏡のようにキラキラと輝いている。なんて美しい『姿』だろうー……。
カチャリと銃の引き金を引き、一人の無様な人間が此方に向けて銃弾を発砲した。
俺は自然と鋭い爪を抑え、彼女の背中を包み込むように抱き、大きな盾となる。その一撃はズシンと深く胸に突き刺さった。
まさか、こんな鉄の塊で俺が……。
ケルベロスはその場に倒れると、胸からは大量のヘドロのような血が溢れ出す。ドクドクと水溜まりができ、それはその場に倒れた巨大な狼を包み込み、吸い込むように地面の中へ消えていった……。
「ライリお嬢さまは無事ですか……?」
「ライリ……お嬢さま……!」
「ああ……ライリは無事だ……。」
俺が地獄の底に吸い込まれる瞬間、消えそうなくらい途切れ戸切の彼女の声が聞こえた。
(ああ……彼女はライリと言うのか……。)
俺は一度味わった味は忘れない。
甘く香しい花の薫りをかぎ分けて、罠に誘い込まれるかのように再び教会に足を運ぶ。
するとそこには彼女が祭壇に膝まずいて、神に祈る姿があった。
「……俺の花嫁」
俺は真っ黒い闇のようなマントで『本当の姿』を隠し彼女に近づく。そっと彼女に触れると、深く被ったベールを取り、頬に触れた。
しばし彼女の顔をうっとりするような潤んだ瞳で見つめた後、胸ポケットから黒い棘のような物を取り出し、左手薬指にそっと通す。
(……迎えに来たぞ。俺の、花嫁殿。)
「私の名は、リリー・ヴァリーヌ・ブランである!」
「残念だったな……! ライリは私の妹だ」
(妹だと……?)
俺はいくつもの『絶望』を彼女に与えようとした。
けれども、俺がいくら後ろで彼女の様子を伺っていても、彼女は『絶望』どころが、『未来への希望』に満ち溢れている。
いつだったか俺は彼女に『愛』を教えて欲しいと言った。
戦場で一人の幼い子供が命を落とした。
俺は全身で彼を守ろうとしたが、人間の体はとても脆く、守ってあげれなかった。
灼熱の炎の中、命が尽きる寸前、彼は確かに『お母さん』と呟いた。お母さん、ありがとう、ごめんなさいとー……。
全身を覆う酷く焼けた火傷の痛みよりも、なぜだか胸の奥を抉られ、内部から破壊された痛みに歯を食い縛りただ耐える。
だが、痛みから耐えきれなくなり、俺の瞳からポツリ、ポツリと水滴が落ちたー……。
こんなことで。幾万年も人間が死ぬ場面など何回も見てきたはず。
その、はずなのに……。
……なぜ『苦しい』のだ。
リリーを連れ、冥界の神殿に戻る。
彼女は俺の手元から離れ、花一面の空間に一つだけ建っている神殿へと一人歩いて行った。
海よりも深いネービーブルーのドレスが花の上を歩く度にふわりふわりと揺れる。
「……ケルベロス、一度だけ言うわ」
彼女は振り返る。
どこからか新たな風が吹き、咲き乱れる花の花びらが宙に舞い、花の甘い薫りに包まれる。
花びらがくるくると舞う先で優しく微笑む彼女。
いつからだろう、彼女はいつも『一歩先の未来』を歩き、俺はそれを目で追いかけていた。
「ケル…………好きよ!」
吸い込まれるようなキラキラとした瞳を見つめると、俺は段々と鼓動が速くなり、胸が高鳴った。
胸の奥に忘れていた感情が一斉に放たれるー……。
「俺もだ……花嫁……。
……いや、もう、花嫁ではないな。
俺の愛する妻、リリー……」




