*悪魔の戯言*
「花嫁殿、好きだといってくれると、そういう約束でしたでしょう!?」
「それは好きになったらの話、もしもの話よ」
「いえ、もしもの話を、俺はしっかり聞きました。耳の良い狼ですもの、聞き間違えることはありません……!」
そう、花嫁殿はあの日、しっかりと、悪魔に恋に堕とされたと。……そう、眠りながら呟いた。
「そんなこと言ってない」
「この期に及んで、とぼける気ですか!?」
何万年も一人で生きてきた悪魔が、体内の水分が蒸発して渇ききった心が欲しているのは、花嫁殿の口からこぼれ落ちる俺を満たすのに充分な二文字。一言、言ってくれればその言葉でまた幾万年孤独に耐えられるのです。
好きー……と。
「嫌です……!」
花嫁殿は顔を赤らめ怒りながら神殿の奥に一人歩いて行った。
花嫁殿はいつなったら、気持ちを露にしてくれるのだろう。
俺はもう、すでに……
あの日から恋に堕ちていると言うのに……
滅多に人が立ち寄ることがない、森の奥地の泉から珍しく誰かの話し声が聞こえる。
祭壇に並べられた蝋燭からは、ゆらゆらと揺れる炎の熱さに耐えかねてポタポタと蝋が滴り落ちる。
自分の周りを逃げられないように拘束するのは、古くから伝わる禁断の魔方陣。魔方陣の中心に召喚された巨大な狼。
目の前にいるのは、地獄の底から這い出てきた雄々しい姿に脅えることなく、揺らぐことなく、ただ鋭い眼孔で状況を把握する血のように真っ赤なドレスを着た魔女。
狼は魔女の手に寄ってこの地に来たー……。
他の人間は、突如表れた巨大な狼に驚き後退りする。だが、その中から一人。首根っこを捕まれ俺の前に出された弱々しい人間は震えながら神……いや、目の前の悪魔に命乞いをする。
俺は辺りを見渡しこんな小さな教会に呼び出すなど、馬鹿にされた物だと、顔をしかめる。床に四つ足を着き、雄叫びを上げ威嚇する。地鳴りのような雄叫びに空気はビリビリと震え、いち早く命の危険を察した魔女は人間を置いて一人で逃げた。
俺は魔女の鼻に付くキツい香水の匂いを追って、外に飛び出した。
ドンドンドン……外で待っていた人間が得体の知れない鉛の固まりを俺の体にぶつける。所詮人間が作ったもの。それは俺の右腕にいくつも打ち込められた。
銃弾の音を聞いて、森からは鳩が一斉に飛び立つ。
悪魔の本能か、長く地獄の底にいたのに
急に人間など呼び出されたからなのか
甘い花の薫りに酔い気がつくと
目の前にいた女性の首に食らいついていた。
「お姉さま……!!」
小さく肌が一段と白い人間が抱えていた百合の花は手から離れ、泉に沈む。
泉は食らいつかれた人間の血が段々と傷口から絞り出すように流れ血、徐々に真っ赤に染まっていった。
木影から鉛の玉が飛び出し、俺の左目を霞める。
俺は食わえていた人間を離し、よろめきながら草に足を取られ、深い穴の中にグシャリと落ちた。
「魔物よ、私の仕掛けた罠にかかったか……!」
魔女は穴の上からまんまと穴に落ちた俺を嘲笑う。魔女が静かに「撃て」と合図をすると、いくつもの鉛の塊が否応なしに俺の体に打ち込められた。
所詮、人間が……。
人間ども……。
怒りを超え「無」になり、本能のままに回りにいた人間を爪で次々と切り裂く。
弱い人間がどうなろうが知ったことじゃない。
爪は深く刺さり、人間からは血は噴水のように吹き出す。息は上がり、それでも俺の中にある獣の血は収まらない。
「やめろ……」
……すると、先ほどの食らい付いた人間が地面に両足をつけ、首に手をあてながらも、悪魔に何かを訴えかけてきた。
「それ以上……殺ったら、お前を……殺す……」
それが幾万年もの不特定多数のある人間の魂の中から、俺が唯一特別な物だと存在を認め、『女』として視界に入った瞬間だったー……。




