プロローグ
樹木が生い茂った深い森の奥には底が透き通って見えるほど、澄んだ神秘の泉があった。泉の周りには喉を渇かした鹿が一匹、また一匹と集まって来る。その泉のすぐ側にはこじんまりとした古めかしい教会が建っていた。
赤い絨毯の上を純白のウェディングドレスの女性が背筋を伸ばして、一歩一歩祭壇まで歩いている。真っ白いベールに包まれたその髪色は、光の下では光を吸収し輝きを増すプラチナブロンド。一方、暗闇の下では自らが希望の道標となる。彼女に相応しい色彩だった。
五枚のステンドガラスに描かれる聖母マリアの生涯。眩しい太陽の光がガラスに差し込むと、その光は教会全体を明るく照らす。右奥の壁にはパイプオルガンが、祭壇にはたくさんの燭台に蝋燭が並べられていた。
彼女は祭壇の手前まで来ると、絨毯に膝をつき腰を下ろして両手を固く握りしめたーー……。
(……神様、私は誰とも結婚をするつもりはありません。……しかし、私は帝国の王女。この命は国のために使いましょう)
彼女の名前は『リリー・ヴァリーヌ・ブラン』。
現在大陸は4つにわかれており、極寒の地北陸シュリア帝国、西の色彩都市ブール帝国、南国のラッセ帝国、東砂漠のウール帝国と、各場所に国がある。その中の1つ、リリーは『北陸シュリア帝国の第一王女』であった。
通常男性が帝国の後継者『国王』になるはずなのだが、ブラン家では女性しか生まれなかった。リリーは3歳の頃から英才教育を受け、14歳の誕生日を迎えると近隣国から恋人探しが始まった。妹君は次々と婚約者を見つけたのだが、リリーの気難しい性格ゆえ恋人候補すら見つからない。
実の母親からあまり良く思われていないリリーは突然ある『役目』を担うことになった。
「おいそこの娘、誰とも婚約をしないなどと、それはなぜだ……?」
どこからか低い声が聞こえてくる。リリーは周りを見渡したが誰一人自分に声を掛けたらしき人の姿は見えない。周りに誰もいないと確信すると、まさかと思い祭壇の上にある信仰の神の像を見つめる。リリーは乾いた唾液を飲み込み静かに口を開いた。
「……私は男が嫌いだからです」
強く握られた指先が心臓の心拍数に合わせ、小刻みに震えていた。甘美な装飾のウェディングドレスを見に纏い身を縮め神に祈る姿。そして、それとは不釣り合いな銀色の刃が太股からチラリと見え隠れしていたーー……。
聖女『リリー・ヴァリーヌ・ブラン』。18歳。異名『黒百合の王女』。……なぜ異名が使われているかって? ……それはもう少し先のお話。