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迷彩色の世界

作者: ゐさむ

例のごとく、雨である。5月らしい、少し小ぶりな雨粒が規則正しく木葉を叩き、枝から幹、根本へと順序よく伝って、干上がった小川に流れていく。

その経路にある軽い砂っころ達は、始めこそわずかに抵抗していたが、5分もするとどこかに行ってしまったようだった。案外、流れに逆らうよりも、その身を流れに任してしまった方が心地良かったのかもしれない。

小川の流れる林の中で、同じような事があちらこちらで起きているようで、乾いた川底に小さな水の流れができはじめていた。



「タイムチェック」


隣で寝ていたはずの時塚陸士長が、出し抜けにそう言った。


「1400。4分前。珍しく早起きじゃないか」


そう答えながら俺は、手持ちぶさたな右手で、足元の小石を小川に向かって投げた。ぼちゃん、と鈍い音をさせて、小石は新たな仲間達に迎えれらた。雨水たちは実に平等に地面をぬらしているらしい。


「00に交代だろ?」


時塚は抱いていた小銃を点検している。3日前に修正ペンで書いた小銃の番号は、すでに薄くなっている。


「交代の時間を覚える事が出来たなんて、きっとだれも信じてくれないだろうな」


「なんだよ、まだこの前の事根に持ってるのか?」


「あの日も雨だった。そして今日もだ」


「悪かったって、あのあと帰ってからアイス奢っただろ」


「ああ、ちょうど今思い出したよ」


俺は小銃の脚をたたみ、座ったまま小銃を点検した。照門についた水を迷彩服の裾で拭き取り、立ち上がって伸びをした。長いこと冷たい地面に座っていたせいで、尻がじんじんする。

小銃を構え直し、もう1度安全装置を点検してから、木の根っこがむき出しになっている土手をのぼった。



「異常?」


林縁で先に見張りについていた2人に、時塚が聞いた。


「なし。あるとしても、時塚が起きてるのは吉岡がずっと起きてたからだろ?だからこれもある意味いつも通りで、異常なしだ。」


答えたのは中隊で1番背の低い田辺陸士長だ。身長は本人いわく、160cmちょうどらしい。今さら身長の3、4cmの違いなんてものを気にする奴はいない。ただほんの少し弾に当たりにくいだけの話だ。


「まあ、真面目に答えると30分くらい前に74式戦車が2台通過したのと、チヌークが物資を投下していたな。」


もう1人の村井陸士長が言いながら、その方向を指した。ヘリの音には気がついていたが、戦車のエンジン音には気がつかなかった。

見るとそれはどうやら、ここから5km以上離れた戦車道のようで、双眼鏡で見ると、今もそのさらに遠くにそれらしき塊が見える。草を付けて偽装された戦車は、まさに草の塊そのものだった。そこにいるとわかっていても、見つけるのは至難の技だ。


「物資を投下したのは?」


「南南西より飛来、北北東へ。着地地点はここからは見えなかった。たぶんあの丘の、もっと奥だろう」


「了解。とりあえず休んでこいよ。」


「ああ、そうさせてもらうよ」


言うが早いか、いつの間にかいなくなっていた田辺の後を追って、村井もさっきまで俺たちがいた小川に降りていった。

時計を見ると、分隊長が戻るまでちょうど1時間あった。空はわざわざ見渡す必要もなく、どこまでもベタ塗りの灰色で、雨はまだ止みそうにない。

いい加減、鉄帽を叩く雨音を聞くのにも飽きてきた。じめじめとした雰囲気に嫌気が差したので、思いつく限り雨の良いところを考えてみた。


1つ、水筒が潤う。ただしこれは、敵もしかり。

2つ、車両の音が消せる。同上。

3つ、……。


「……。なあ、雨の良いところって、何かあるか?」


潔く諦めて俺は、眠たそうに草を引っこ抜いている時塚に聞いてみた。


「女子の服が……」


即答してくれたが、なんとも期待通りの答えで妙に気持ち悪かった。たとえ寝起きでも、キャラがブレるような奴ではないらしい。そこで今度は質問を変えてみた。


「夕立とかって言うだろ?そんな感じの雨の名前、他にも何か知ってるか?」


抜いた草を鉄帽に付けながら、少し考えているようにして時塚が言う。


「梅雨、桜雨、時雨、朝時雨に夕時雨、ゲリラ、夕立、五月雨、軽雨、……。俺が知ってるのはそれくらいかな」


思っていたよりも真面目に答えられた。


「桜雨って、梅雨みたいなものか?」


俺がそう聞くと今度は、首をストレッチしながら否定した。寝相が悪かったらしい。忙しい奴だ。寝ている時ですら、じっとしていられなかったようだ。


「いんや、桜雨ってのは、咲き始めの桜に降る雨のことだよ。花散らしとかって言ったりもするらしいぜ」


「ふうん、洒落た名前だな。桜雨。ただお前がこういった事を知ってるのは、なんだか似合わないな」


「ああ、よく言われるよ」


珍しく時塚は照れ臭そうに肯定した。どうやら俺の皮肉を受け流す術を学んだらしい。もしかしたら俺の思っている以上に、賢いのかもしれない。



そんなやり取りをしながら見張りを続け、時折色々な事を考える。

見張りの時だけではない。自衛隊に入ってからは、物事を考える機会が増えた。

今思うのは川を流れる砂っころ。楽なんだろうなとも思う反面、それを断固として否定する気持ちも確かにある。


思い出すのは中学時代。

良い学校に行くために先生に媚びを売る。何処の塾に通っているかで分裂するクラス。そして試験前と、そのあとの険悪な空気。

権力者に気に入られ、派閥に属し、他人を踏み台にして高みに昇る。学校はまさに社会の縮図である。


今でこそ、その全てが絶対に間違っているとは思わないが、当時の俺はそれを嫌った。思春期特有の、反抗期ってやつだった。社会の中で生き抜くには、絶対に必要な能力なんだと途中で気がついて、余計にそういったものを嫌いで居続けた。

それを否定し続けなければ、それをしない自分自身を、否定することになると思ったからだ。


そんな気持ちで、俺は自衛隊に入った。進路面談でその事を話したとき、担任の先生は露骨に嫌な顔をした。親はその場で泣き出した。真面目な表情をしながらも、俺はすごく愉快な気分だった。


「ざまぁ見やがれ。誰がお前らの点数稼ぎを手伝うもんか」と。



でも結局はどうなのだろうか?その昔、自分が意味嫌った者達と、今の自分は、はたしてどこか違うのだろうか?結局あれは、そんな能力がない自分の、ただの嫉妬だったのではないだろうか……?

今俺は自衛隊と言う組織の一員となって、国家公務員の肩書きを得た。

公務員。


決まって言われるのは、「安定した職業」だ。確かに給料は安定しているし、リストラもない。だが今もこうしている中で、PKOとして派遣された隊員は、いつ情勢が悪化するかもわからないような状況下で、道路や橋を造ったりしている。


彼らの家族に対しても、言うのだろうか?「安定した職業」だと。もしかしたら彼らは知らないのかもしれない。内戦が起きている国に、完全に安全な所など無い事を。


だが案外そういうものなのかもしれない。もちろん、俺も偉そうに人の事を言えるような立場ではない。

結局のところ、人は自分自身と、その回りの小さな世界で生きているだけなのだ。

自身を中心とした円。縁。他人と重なったところは、自分とその人の混ざった色に変わるのだ。重なったところが多いほどカラフルなのかもしれないし、もしかしたら真っ黒になっているのかもしれない。子供の頃に絵本で読んだカラスは、たくさんの色が混ざって真っ黒になってしまった。


かと言って、自分の中だけで閉じた世界は、きっと単色でつまらないだろう。しかもその色は見えないのだ。人と比べれない、自分だけの色では、自分が何色なのかも解らない。

それはまるで色の無い世界だ。


今回はだいぶ自分でも納得のいく結論がでた。例えば今、隣で見張りをしている時塚とは、この陸曹教育隊で出会った。それまで俺の世界に時塚は存在しなかった。俺の中に時塚の色は存在しなかった。


だがそうやって思い返してみると、また1つの仮説が出来た。

1度出会った人でも、その関係性が薄くなると、円の重なったところの色もまた、薄くなってしまうのではないだろうか?例えば昔は仲の良かった地元の同級生でも、もう3年近く会っていない奴もいる。

もともとの理論からすると、年月がたつに連れて人の色が変化するのも必然だが、少し寂しく感じた。


「俺は今何色なんだろうな……」


俺は小さく呟いた。


「湿った迷彩色だろ」


驚いて隣を見ると、時塚が双眼鏡を覗いていた。


「お、我らが分隊長のお帰りだ」


そう言うと時塚は、小さなリュックに双眼鏡をしまって、座ったまま控えめに伸びをした。時計を見ると、予定よりも30分以上早く帰って来たのが分かった。


だいぶ急いで戻ってきたようで、分隊長の筑波陸士長と、組長の山本陸士長は肩で息をしていた。そして一息つくと、すぐに分隊全員を集めるように言った。


「状況は一時中止する。全員集まって地図を見てくれ」


そう言われて俺たちは土手を降りて、小川の縁で地図を中心に分隊長を取り囲んだ。地図には今俺たちがいる小川と、偵察予定地域、その他には地図の半分を覆うように赤い円が書かれていた。


「何かあったのか?往復で1時間はかかると思ってたけど」


スニッカーズを食べながら村井が聞いた。どうやらそれは、集合と聞いてから開けたようで、今を逃したらおやつが食べられないと、悟っているらしかった。この辺りの村井の勘は、飢えた狼の嗅覚のように鋭い。村井はこの分隊の中で1番長生きしそうだ。


「ああ、色々あるぜ。結論から言うと急いでここを離れなきゃならん。最後の集合場所が変わったんだ。」


それを聞いて場の雰囲気が張りつめる。何かが起きる時のあの空気だ。それは訓練中に時折感じる、独特の嫌な気配だ。

例えば夜の歩哨壕で、虫の音痴な歌が一斉にピタッと止むとき。

例えば行進中、急に西風が強くなり、富士山が霧で見えなくなるとき。

そして1番回数が多いのと、1番タチが悪いのは、こんな感じの休憩中だ。

何かが起きる気配。雰囲気。第6感ってやつだ。


「実は結構真面目な話でな、どうにも、一般の部隊の大規模な演習と場所が被ってたらしくて、集合場所が変更されたんだ。」


「74式を2台とチヌークを見かけたな」


田辺がそう言うと、筑波は首を横に降った。


「2台どころじゃない。と言うより、機甲科だけじゃない。もっとたくさんいる」


「で、さっさと退けと」


最大限の皮肉と呆れっぽさを込めて、俺はそう言った。


「まあな。そんでもって、俺たちがこれから向かわなきゃいけないのが、ここだ。」


筑波はビニールで防水処置が施された地図の上に、緑色のペンで小さく印をつけた。それはここから直線距離でも20キロはあると思われる、国道沿いの小さな丘だった。そしてそれは大きな赤い円のギリギリ外側だった。


「で、この大きな赤い円は立ち入り禁止ってことか」


そう言う村井は、昼飯のカンパンに入っていた金平糖を食べている。村井の勘は見事に当たってしまったようだ。


「直線距離で18キロ。もちろん、回り道をする。このまま小川に沿って北上し、ここから約4キロの地点で北東に進路をとって、旧国道にでる。そこから今の国道と交差する地点まで前進して、そのあとはひたすらに、国道を西に進む。これで約25キロだ」


「国道をって言っても、本当に国道を進む訳じゃないんだろ?」


「当たり前だろ、時塚。学科中も寝てたのか?」


「ん、そう言えば筑波、他の分隊はどうしてるんだ?」


俺も流れにのって、聞いてみた。


「ああ、それが実は訓練が始まってすぐに上級部隊から連絡があったらしくてな、全くの別ルートで訓練をしていたらしい」


「で、じゃんけんに勝って最初にスタートした俺たちは前線に取り残されたと。笑えるな」


「全くだ。それで一応、加藤教官が俺たちを追いかけていたらしくてな、会合地点のだいぶ手前でその話を聞いたんだ。」


「呑気に昼寝なんかしてる場合じゃなかったな」


「それはツッコミ待ちか、時塚」


この前の事を根に持っているのは、俺だけではなかったらしい。確かにあの夜は寒かった。


「なあ、どうせ国道を通らないんならさ、」


そう言いながら、田辺は地図のある地点を指差した。それは農業用の用水路だった。


「ここ、通れないかな?」


見てみるとそれは、旧国道と新国道の交差するかなり手前から、集合地点のある西へとそれていた。


「でも水が通ってるだろ?用水路内を通らないにしても、斜面は急だし、植生も濃い。そもそも人の通れる道幅かどうかも怪しいだろ」


時塚の言うことも、もっともだった。第1、用水路も主要な経路として、敵は警戒する。


「水はたぶん大丈夫じゃないかな」


短い沈黙の後、筑波が諦めたように言った。気が進まないなりにも、もう決心したらしい。もともと、服案として考えいたようだ。


「この用水路の上にある貯水池は、もともと水不足が起きたときの為にあるからな。この時期はダムは閉じてて、用水路は乾いてるはずだ。あっても雨水が少しあるくらいだろ。それにこの地図記号は道幅が2メートル以上あるときに使われるやつだ」


「じゃあ、決まりだな」


村井はお菓子のゴミを腰に着けたポーチにしまっている。


「今は1428……。各人は再度偽装の補備修正をして、35の出発までに所要の準備を整えるように」


短い沈黙の後、全員なにも言わずに鉄帽の偽装と、顔のドーランを塗り直した。肌の油と顔料のせいで、顔はしっとりとべたついている。だがこれも、そのうち全く気にならなくなる。1番不快なのは匂いだ。


雨衣につけた防水スプレー。

体温で暖められ、蒸発する汗。

湿った腐葉土。

そして頭に着けた草の青臭い香り。それはまるで、無惨にも引き千切られた草たちの、せめてもの抵抗のようにも思えた。現にこれは、個人的にかなり辛い。が、これも時間がたてば気にならなくなる。


だがもしも草木が血を流すのなら、誰も草刈りはしないのだろうか。草木の苦しみが明らかに目に見えないから、人は平気で草を刈るのだろうか。

確かに現実はその通りだ。

鎌で切られようと、乱暴に踏みにじられようと、草は決して何も言わない。

根っこを引っこ抜かれても、枝を折られようとも、

悲鳴をあげたりはしない。

飛び立つ前の綿毛を土に埋められようと、隣にいたつぼみを目の前で切り落とされても、涙を流したりはしない。


だから、別に刈っても良いのだ。自分は何も間違えてはいない。雑草は刈られなければならないのだ。

合理的な理由を考えるのは、人間の防衛本能なのかもしれない。自分の心が罪悪感に押し潰されないように、上手に考える。理由を。言い訳を。


若しくは目をそらす。耳をふさぐ。背を向ける。そして忘れる。なかった事にする。


人間として生きていくのには、必要なのだ。

人間は何かの犠牲無しには、生きていけないのだから……。


だから、俺は間違ってなんかいない。俺は正しい。



その後の道のりは、思うようには行かなかった。先ず初めに、小川から用水路に向かう途中で、東に大きく遠回りをしてしまった。

さらにその途中の急な斜面で、ぬかるみに足を滑らせた時塚が、右足首を挫いてしまったのだ。タオルで応急処置をして、小銃を俺が背負い、バディの村井が肩を支えながらなんとか進んだが、用水路に着く頃には、集合まで残り2時間を切っていた。残りの距離を考えるとどんなに急いで歩いても、2時間半以上はかかる。

そしてとどめを指すかのように、急に雨足が強くなったのだ。分隊の雰囲気はこれ以上無いくらいに、最悪だった。


「少し休憩しよう」


筑波がそう言って、俺たちは足を止めた。そこは丘を縫うようにして流れていた用水路が、再び国道のある森に入ろうとした所で、そろそろこの用水路ともお別れといった所だった。そして休憩の後は再び、足場の悪い草むらに進路をとるのだろう。

ちょうど用水路に沿って俺たちの頭を隠すように草が生えており、休憩をするには最適の場所だった。そしてこれは最後の休憩になるだろう。


結果的に、用水路を選んだのは正解だった。道幅は3メートル以上あったし、しっかりと舗装されていたので、速度もだせた。

雨水も心配するほど流れてはなく、わずかにに水溜まりがあるだけだった。コンクリートで舗装されているせいで、雨水が入ってきにくいようだ。


可能ならばギリギリまでこの道を進みたかったが、これ以上は逆に遠回りになってしまう。村井は、時塚を地面に座らせてから、自分の装具と小銃を点検した。俺は背負っていた時塚の小銃を渡してやった。時塚の右足首を固定しているタオルは泥にまみれ、もうすでに雑巾になる運命が決まっていた。


「あー、クッソ。全く嫌んなるぜ」


田辺は闇雲に石を投げた。時塚が申し訳なさそうな顔でこっちを見た。


「心配するな、時塚。帰ったらちゃんとアイスを奢らせてやる」


村井にそう言われて頷く時塚は、珍しく暗い表情をしている。妙に素直な様子に、思い詰めているのが分かる。


「痛むのか?」


筑波がそう聞くと、時塚は弱々しく、首を横に振った。


「山本にもらったバファリンが効いてるみたいで、痛くはないよ」


「頭痛薬ってそんなに万能だったのか?」


俺が聞くと、山本が言った。


「そりゃあ、なんたってプレミアム・バファリンだからな。きっと時塚の頭以外には効くんだよ」


時塚も含めた全員の口元が緩んだ。暗かった雰囲気が少しだけ和む。


「だが今回は本当に、最悪だぜ。こんな訓練雨さえなけりゃ最高なのに。全部雨のせいさ」


そう言う田辺も、さっきほどイラついてはいないようだった。


「金の為だ。しょうがないさ」


俺は思わず村井をじっと見つめてしまった。男気のある村井がそんな風に考えていたのは意外に思ったからだ。


「適当な所で折り合いつけて、何かを諦めて切り捨てないとやっていけないさ」


村井は俺を見ながら言う。


「それは俺も同じだ。金が貰えなかったら、こんな仕事やっちゃいないよ」


それは誰もが1度は考える問の、8割以上を占める、模範解答だった。自衛隊はボランティア活動でも慈善事業でもない。単なる職業だ。


「なあ、真面目な話、戦争って起こるのかな?」


そう聞いたのは時塚だった。


「国民全員が望めば起きるだろうね」


答えたのは山本だった。


「俺らはただの道具だぜ?文民に言われた通りに動くだけだよ」

山本はまるで何かを諦めているかのようにそう言った。


「滅私奉公ってやつか」


田辺が言った。


「でも国民が望まなくても、攻められたら戦うだろ?」


時塚が聞き直す。


「どうだろうな。話し合えばなんとかなると思ってる連中も大勢いるからな。きっとそいつらは家族や友達を殺されても何も感じないんだろうよ」


そして山本が答える。


「いやきっと、戦争が起きても自分は絶対に助かるって思ってるのさ。羨ましい限りだぜ」


俺は素直な考えを伝えた。


「まあ、どっちにしろ仕事だよ」


そう言うと筑波は立ち上がって、休憩の終わりを告げた。


その通りだ。さっきも考えただろ?これは仕事だ。雨に濡れるのも。国民の代わりに、弾に当たるのも。そうやって俺たちが死んでいって、まるで何事もなかったかのように時間は過ぎていく。そういう仕事を俺は選んだ。


そこでようやく俺は悟った。そうだ、俺は死ぬのが怖いんだ。他人の為に命をかけて、死んで。それでも水が変わらず川を流れていくのが。


すると突然、なんだか無性に寂しく感じた。だんだんと自分が透明になっていき、1人で消えていってしまうような感覚に襲われた。慌てた俺は家族の事を思い出した。

父さん。母さん。3つ離れた妹。小学生のときに飼っていたダルメシアン。小学生の時に家出したこと。中学生のとき、平日の朝に同級生と自転車で日の出を見に行ったこと。

まるで走馬灯のように。


いつの間にか俺は用水路を這い出ていた。そして西に向かって進もうとして立ち上がったとき、俺はそれを見た。


どうやら最後尾は俺だったようで、他の全員もそこで立ち止まって、あっけにとられていた。それはヨモギの草原の水溜まりで無邪気にじゃれあう2匹の子猫と、それを見守る1匹の親猫だった。


2匹は雨なんてものともせず、とても楽しそうに遊んでいた。それを見守るのは、きっと母親だ。俺は確信した。雑種のような茶色い毛並みに、左の耳はかじられていたが、子猫を見つめるその瞳は飼い猫よりも美しく、優しく、そして強かった。

きっと子猫の為なら、俺たち全員とでも正面からやりあっただろう。


情けない話俺たちはその姿に気圧されていた。そうして、何秒か立ち尽くしていたとき、突然強い西風が吹いた。不意打ちを喰らった俺は思わず顔を覆った。


しばらくして目を開けたとき、さっきまでどしゃ降りだった雨はすっかり止み、雲は散り散りに、どこかに飛んでいってしまった。振り向くと、わずかに残った雲の隙間から月が見えた。


気がつくと俺は声をだして笑っていた。いや、俺だけではない。筑波も、田辺も、山本も、村井も、時塚も、村井に支えられながら笑っていた。

第3分隊の全員の表情は、まるでそこが富士の演習場なんかではなく、どこか別の、全く別の空間であるかのように、懐かしい無邪気な笑顔だった。


母猫はあきれた顔で俺たちを見ている。

俺は深く、深く深呼吸して、まっすぐに西を見た。


今の俺は何色だろうか?





日はもう沈みかけている。地平線は赤く、外に行くほど光は優しい闇に吸い込まれ、空の上の方は深い宇宙の色をしている。

風は楽しそうに俺たちの間を駈け抜けて行き、ちぎれた雲は細い線となり、空に溶けていった。

地面の草木が雨の雫に夕日をうつしているせいで、世界は艶っぽく、様々な色であふれていた。







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― 新着の感想 ―
[良い点] 何とも表現出来ない美しさと、リアリズムを感じました。 重層的な世界と言うのかな、何かそういう感じを受けました。 [一言] 「違憲」で検索して、この作品を見つけました。
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