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ベルティーナ・パルメジャーニ

 風が冷たい。床が冷たくて硬いのは石だからか。空は黒で塗りつぶされているから夜。僕はどのくらい寝ていたんだろう。

 起きようとしたけど、少しのところでやめた。

 ゴブリンやボガートの群れ、じゃなくて人がたくさん。パルメジャーニファミリーだ。

 空より黒い煙が星を隠す。血と潮の中に物が燃える嫌な臭いが混じっている。どこからしてくるのか、気づかれないよう首と目線を頼りに探してみる。

「ぅっ……」

 叫びたかった。僕はどうにか声を殺した。

 死んでいる。こめかみは深く抉れていて腹には三つも血の跡が。左右上下、見てみれば僕の周りは死んでしまった人でいっぱい。僕が見たくないあの光景と一緒だ。

 銃は嫌いだ。ここにいる人達のほとんどは銃によって殺されている。

 銃は嫌いだ。引き金を引けば刃物よりも簡単に誰かを殺してしまう。

 あの人達のうち僕は何人を殺してしまったんだろう。

「ぁあっ」

 仕事場の倉庫が燃えている。

「起きたぜ、アイツ」

「すげーな。ガイオの一発をもらったんだろ」

「どうする。メンドウになる前にのしとくか」

 殺される。

「オイ」

「ごめんなさい」

 僕は立ち上がれずに後ずさってしまった。

 許してもらわないと、マフィアだから謝って許してくれるとは思えないけど、許してもらわなくちゃ。

 生きたまま炉となった倉庫に放り込まれて焼け死ぬんだ。

「ごめんなさい、ごめんなさい」

 ロウソクの翼で空を飛んだイカロスは太陽に近づきすぎたあまり、ロウソクの翼は溶けて海に墜落した。

 きっと火炙りになったんだろう。熱くて痛い。痛くて熱い。僕は海に叩き付けられないぶん苦しくないんじゃないのか。

「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」

 嫌だ。僕は死にたくない。死ぬのが怖い。人を殺した癖に、そんなこと言っちゃいけないんだろうけど。でもやっぱり死ぬのが怖い。

 パルメジャーニファミリーの人達が本当に人なのか、僕にはそうは見えなかった。

 ここは港じゃなくて僕が見たくないあの光景。空は血みたいに赤くて、どんよりジメジメとして気持ち悪い。終わった戦場、ずっと広がる墓場、そんな世界。

 彼らは僕を責めて苦しんでいる様子を笑いながら見るつもりなんだろう。

 僕が死ぬのを今か今かと待つ群れが割れる。押し退けられていくと言った方がいいのか。

 怪物だ。夜の闇をまとった大きな怪物が僕の前に現れた。

「っぅあっ」

 信じられない。怪物の隣に死霊がいる。

 死霊は瘴気と呪いを縫い合わせた不吉な姿をしている。僕は見ただけで体の奥から凍えるように寒くなった。

「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」

 それでも口だけは動くようで、僕は幼い子供みたいにひたすら謝った。

 怪物だったら肉を引き裂かれ、ぐちゃぐちゃに踏み潰されたうえで喰われるのだろうか。死霊だったら病気になったみたいに苦しみ悶えながら息絶えるのか。もしかしたら両方の手にかかって殺されるのかもしれない。

「へ………………」

 怪物と死霊が僕に迫るのをやめて、一歩か二歩退き跪いた。

 僕にじゃない。向いている方向が違う。彼らよりも偉い主をここに迎えるみたい。

 眩しい。赤い空を白く染める強い光に僕は目をつむってしまった。

 目の前には天使がいた。凛とした強い光に包まれ、白い翼を生やした可愛らしい少女。聖書に書いてある通りじゃないかもしれないけど、僕には間違いなく天使に見えた。

 死の運命から僕を助ける為に神様が遣わしてくれたのだろうか。

 いいや違う。あの天使は可憐に見えるけど、怪物や死霊を従わせるほどの強い力を持っている。聖剣よりも鋭くて優しさを感じさせない。

 死の天使だ。聖書にも書いてあった。僕なんかを殺す為にわざわざこんなところまでやって来たのか。

「ご、ごご、ごめんなさい」

 迫ってくる。聖なる光を放ちながら僕へと迫ってくる。

 謝ってどうにかできるとは思えない。でも、それよりも僕は死ぬのが怖い。

「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」

 きっと体から僕の魂を引っ張り出して連れて行くんだろう。

 行き先は間違いなく地獄。僕は天国へ行っちゃいけない人間なんだ。

「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」

 分かっているから死にたくない。死んでからも苦しまないといけないなんて嫌だ。

 だから死にたくない。

「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」

 バシン。

 雷に打たれたような衝撃が走った。

「落ち着きなさい。誰もアンタを殺さないわ」

 少女だ。僕の目の前にいるのは天使じゃなくて少女だった。気は強いけど可愛らしいのは変わらない。

 僕は雷に打たれたんじゃなくて目の前にいる少女に頬を叩かれたのか。

「私はベルティーナ・パルメジャーニ。パルメジャーニファミリーのボスよ。アンタがなにもしなければ私達もなにもしないわ」

「嘘だ!! 僕を始末するんだろ。僕を生きたまま焼き殺す気なんだろ」

 僕の後ろでは今も倉庫が燃えている。

 高そうな服で飾ったお嬢様の言うことなんて当てにならない。今は何もしないだけで用が済んだら始末するに決まっている。僕の運命を握っているのは怖いマフィアだ。彼らはお金と同じかそれ以上に体面を大切にしているから生かして帰すはずがない。

「しないわよ。もし殺すつもりだったら火炙りになんてしないわ。袋叩きにしてから右手の爪を全部剥いで。鞭で三十回くらい打ったら歯を三本引っこ抜こうかしら。後、喉が渇いてもいいように水をたっぷり用意しないとね」

 すらすらと出てくる拷問の数々に背筋が寒くなった。

「安心しなさい、冗談よ」

 笑えない。僕はマフィアの冗談についていけそうにない。

「燃やしてんのはアンタ達が持ち込んでくれたコカよ。あんなもんカゾーニャ、世界にいらないわ」

「燃やした。嘘だ。倉庫いっぱいのコカ、欲しくないわけがない。本当は運び出したんじゃないのか?」

「奴らと一緒にしないで」

 少女はとても怒っていた。静かに感情を剥き出さずに、でも倉庫を燃やしている炎なんかよりも熱く、悪を裁く天使みたいな迫力に僕は言い返せなかった。

「アンタの名前は?」

「…………ジェフリー」

 少女が微笑んだ。

 子供らしさに大人の影が差していた。

「ジェフ、パルメジャーニファミリーに入りなさい」

「へ?」

「聞こえなかったの? 何度だって言うわ。パルメジャーニファミリーに入りなさい」

 耳を疑ったし戸惑いもした。僕はあのお嬢様が何を考えているのか分からない。

「どうしてですか。僕は貴方達の仲間を殺したんですよ。納得しない人の方が多いんじゃないんですか」

「ジェフは誰も殺してないわ」

 そんなわけがない。僕はパルメジャーニファミリーの人達を殺してしまったはずだ。目の前でルイスが殺されて、怒りに任せて銃を撃ちまくった。

「生まれたての小鹿みたいなクセに、すごい銃の腕前らしいじゃない。でしょ、モルガン」

「はい、被害を確認してみたところ。ジェフリーに襲われた、ジェフリーに撃たれただけの者は肩や腕、脇腹や脚に命中していました。確かガイオも左足に銃弾を受けていましたよね」

「靴にかすっただけじゃねぇか。んなもん、当たったうちに入んねェよ」

 少女の後ろにいる死霊、じゃなくて細身で背が高い男モルガンの話が本当だとしたら僕は誰も殺していないのか。

「……あの、僕に撃たれた「だけ」と言うのはどういうことでしょうか?」

「貴方に撃たれて動けなくなったところを、貴方のお仲間がトドメを刺したと言うことです。おかげでファミリーの数は思いのほか減ってしまいました」

 また僕は人を殺した。僕のせいで死んでしまった人がいる。あの場にいたんだから聞かなくたって覚えている。でも生きていると言われたらもしかしてと思ってしまう。

「ねぇ、ジェフの腕前が本当だとしたら頭や心臓くらい簡単なんでしょ。どうして撃たなかったの?」

「ころしたくないからです」

 旅をしようと決めた時、僕は銃を替えて撃ち方を変えた。

 殺したくない。もし銃を撃ってしまったら、僕はまた誰かを殺してしまう。殺せばあの光景をまた見てしまうし、そこに殺してしまった人が加わってしまう。だからと言って殺されるのは、死ぬのは嫌だ。

 僕はどの瞬間にどこをどう撃てば人が死ぬか分かる。うぬぼれかもしれないけど、それくらい銃を撃ってきた。

 それは逆に、どの瞬間にどこをどう撃てば人が死なないかを知っている。と言っていいのかもしれない。

 殺す僕から殺さない僕に。

 まず古いリボルバーから新しい自動式(オートマ)拳銃(チック)にした。

それを、脇に着けたホルスターから抜く。悪いクセが僕の腕に染みついているから、いつも気をつけないといけない。

 脇に着けたホルスターから自動式拳銃が抜けても、殺してしまう場所を撃ってはだめだ。

 人に見立てた的に狙いを定めて、死なないところを撃つ。次はゆっくりでいいから、脇に着けたホルスターから自動式拳銃を抜き、撃つ。それを素早く正確に。

 誰も殺さず生かせ。ひたすら練習した。

「私はアンタみたいな人を殺さない、でも使えそうな奴を探していたのよ」

「どういうことですか?」

「パルメジャーニファミリーは略奪者じゃなくてカゾーニャを良くする自警団よ。できることなら敵だって殺したくないの」

 僕はお嬢様の言葉に腹が立った。

「ふざけんな。銃を撃ったこともないクセに」

 撃ち方を変えることができた今も、僕は銃を撃つのが怖い。見通しが間違っているかもしれない。怒りで我を忘れて昔に戻ってしまうかもしれない。もしかしたら運命の悪戯って奴がどこかを狂わしてしまうかもしれない。

 誰かを背負い、綱渡りで悪魔と戦わされているようなものなのに。それをあのお嬢様は軽々しく言ったんだから怒りを覚えないわけがない。

「僕は自警団と撃ち合いをしたんだ。人を殺したくない自警団に、ルイスを、仲間を、殺されたんだ」

 僕がなにも知らないことに怒ると、お嬢様は唇を噛みしめ、目には涙をたくさんためて、平手打ちをしようとしていた。

「私達のファミリーだって殺されたわ。アンタが、アンタ達が、ルーポファミリーがカゾーニャにコカを持ち込んだのが悪いんでしょ」

 ファミリーとは言っているが血の繋がっていない他人、下っぱ。なのに、あのお嬢様はまるで本当の家族でも失ってしまったみたいに辛そうだった。

 でもどうして、その手でぶつけたいはずの怒りをぶつけてこない。しまいこむんだ。

「ジェフ、ルーポファミリーに入る前は何をしていたの?」

「……靴磨き」

「靴磨き、その前は?」

 僕は今までしてきた仕事をいくつか話した。どうしてこんなことを聞いてきたんだろう。

「はぁ……」

 なんで大きくため息をされなきゃいけないんだ。

「ジェフ、アンタのしたい事ってなんなの?」

 不意打ちに、僕は答えられない。

「カゾーニャはここら辺じゃ平和で素敵な街よ。海は綺麗だし風も気持ちいい。歴史ある立派な遺跡に品揃え豊富な商店。それになによりドル、コホン。ご飯も美味しいわよ」

 また話を変えてきた。この街がいいところだって言いたいんだろうけど、僕は今すぐにでもこの街を出たい。

「カゾーニャならジェフのしたい事だってできるわ」

「僕のしたい事を知らないじゃないか」

 決めつけられたから言い返した。

 僕は、僕のしたい事が分からないのに。

「知らないわ。殺したくないって言うクセに、コカをまき散らして。カゾーニャを死と混乱でいっぱいにしようとした、アンタのしたい事なんてね」

 僕はコカを知っている。それは楽しい夢と引き換えに、それ無しじゃ生きていけなくなる、それが欲しくて欲しくてしょうがなくなる、人を狂わせる毒であることを。

 知っていながら僕は、街に大量のコカをまき散らすのに手を貸した。街を生贄に捧げようとした。

 見たくないものから逃げるために。

「遠いところからカゾーニャまで逃げてきたんでしょ。逃げてばっかりだから、アンタの本当にしたい事が分からなくなっちゃったのよ」

 どうして。このお嬢様は僕のことが分かるんだ。

「だから、パルメジャーニファミリーに入りなさい」

「嫌だ」

「また逃げる気? 同じことのくり返しじゃない。いい、アンタが壊そうとしたものがなんなのか、アンタのしたい事がなんなのか、カゾーニャを守っている内にきっと分かるわ」

「僕はもうマフィアなんかには関わりたくない」

 逃げてきたのに、どうして逃げきれない、どうして僕を追いかけてくるんだ。

 旅をしてきていろいろ見てきた。探しても見つからないから続けてきた。それをこの街で見つけられると言うのか。

 少女の言うとおり守ることで、僕が探しているものを見つけられるのか。

 怖い。


 ふっと温もりが僕を包んでくる。

 幼い頃の懐かしいような。

 ぎゅっと強いんじゃなくて、ほのかで優しい。

 安心できる感じ。


 僕は少女に抱きしめられていた。

 気の強いお嬢様がお付き達の目をはばからず僕を抱きしめてくれた。

「ジェフ、ぐしゃぐしゃじゃない。どうしたの?」

 目の辺りから頬を伝ってくる熱っぽいもの。ああそうか。僕は泣いているのか。

「なにが怖いの?」

「見つけられないのが怖い」

「アンタが見つけんのよ。これからカゾーニャに住むいろんな人と出会えるわ。その出会ったみんなを守るの。何があっても逃げないで守りなさい。そうすればきっと見つかるわ」

 無理だ。僕にはできなかった。

「怖い。銃が怖い。明日誰かを殺してしまうかもしれない。誰かを守れずに撃たれてしまう。見殺しにしてしまう」

「誓うわ。ジェフがカゾーニャを守ってくれるなら、私はボスとしてこの街を銃なんか撃たなくていい平和な街に絶対してみせるわ」

 聖母に抱かれているみたいに救われる心地だった。

 目の前にいる少女が初めてちっぽけな僕を優しく受け止めてくれた。

 してくれた約束はその場しのぎのごまかしじゃないし、子供っぽい夢なんかじゃない。

 力強い覚悟のある、この街を守る自警団のボスとしての約束だった。

 ずっと探しても見つけられなかったものが見つかるかもしれない。

 逃げても、逃げても、あの光景が消えることはない。さ迷うだけの僕に少女が光を見せてくれた。

 僕は少女を信じてパルメジャーニファミリーに入ることに決めた。


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