裏切り者
差し込んでくる陽の光がまぶしい。
目が覚めて思い出した。僕がロッコに見覚えがあったのは、あの時ルイスが一緒の写真を見せてくれたからか。
体を動かしてみるとあちこちが痛い。刃物による裂傷や骨折等の大怪我には気を付けていたんだけど、昨日は限界以上に酷使し過ぎた。
「うぉおあッ!!」
僕は腰を抜かすくらい大声でおどろいてしまった。
「うるさい。隣の人に迷惑」
狭いアパートのキッチンにベルティーナがいる。
そうだった。街での騒動後、僕とベルティーナがアジトに戻ってみるとパルメジャーニファミリーは壊滅。残っていた裏切り者達に殺されそうだったところをガイオが命を懸けて助けてくれた。
ファミリーが壊滅してしまったこと、なにより殺したって死なない男ガイオの死が、僕の夢であって欲しかった。でも目の前にいるベルティーナを見て、昨日の全てが現実だってことを痛感させられた。
「おはよう。ジェフ」
僕に笑いかけて朝のあいさつをしてくれたベルティーナ。
その笑顔はなんだかぎこちない。失った悲しみやこれからの不安、当たり前の弱さを隠す為の仮面にしか見えない。これもボスらしくあろうとしているからなのか。
ぐぅ~っと力の抜けるお腹の音。
「プフッ」
本当は聞かなかったことにしようと思ったんだけど、悲しいことがあまりに多すぎて、ほんの小さなことが僕にはおかしかった。
鳴ったお腹をベルティーナは恥ずかしそうに押さえていた。
「そうよ。お腹空いたわよ。ジェフ、何か美味しいものが食べたいわ」
「わ、フフ、か、りまし、フフ、た、ッフフフフ」
無理して笑って見せるよりも、わがままを言っている方がベルティーナらしくて、なんだか微笑ましく思える。
「覚えてなさい。今度ジェフがお腹を鳴らしたらいっぱい笑ってやる。恥ずかしい思いをするといいわ」
「すいません。すぐに美味しいものを用意します」
謝ったけど手遅れ。ベルティーナはへそを曲げている。
つい「美味しいものを用意します」なんて言ってしまったけど、裏切り者達が探しているかもしれないから、お店や市場で買うことができない。ありものでなんとかするしかないか。
旅をしていた途中、僕は古いお話に出てきそうな自然に囲まれた町に寄った。その日は晴れていたのに突然雨が降り出したから近くのお店に駆けこんだ。
中は薄暗くて呪い師の館と言った感じ。突然、店主のおじいさんが現れて神や怪物、妖精のお話をしてきたから出ていこうと思った。でも本当に見てきたかのような語りと味わい深い独特な香りに引き止められてしまった。
お話が終わると、カウンターには薄い生地にハムや卵をのせたガレットとリンゴで作ったお酒シードルが出ていた。あまりに美味しいからたくさん食べて、がぶがぶ飲んだ。おかげで、その日の宿代は使い切り野宿に。
町に居る間はお店にできるだけ通い、ガレットを作るおじいさんを見て、僕も真似して焼いていた。あの味をいつでも食べたいのが大きいけど、それだけじゃなくて。きっと魔法を使うみたいに楽しそうな様子に惹かれたからかもしれない。
最初は小麦粉じゃなくてソバ粉を使っていたことすら知らずに焼いていた。おじいさんにコツを聞いたけど教えてもらえず妖精のお話をするばかり。
いつも同じお話だから、その中にコツが散りばめられているような気がして、僕なりに訳して作っていくうちに、だんだんおじいさんの味に近づいていったと思う。
「う~ん」
失敗した。ガレットを作ると、何故かできが僕の調子に左右されてしまう。良い時は人に出しても恥ずかしくない見た目と味の料理になるんだけど。悪い時だとかなり、いやとことん悪い。捨ててしまいたくなるくらい。
「いただきます」
僕が作った一番できの良いガレットを黙々と切り分け、口に運んでいくベルティーナ。
角はさっくり、中はもちもちにするはずがムラのあるヘナっペリ。きれいに四角く折りたためるわけもなくハムと卵にグッチャリ、画家の描いた絵みたい。やり直したいけど材料は全部使い切ってしまった。
「マズかった。焦げたから苦いし、しょっぱすぎ。グチャグチャでグニャグニャ。ソバの香りも死んでる。これならガレットじゃなくてハムエッグの方が食べたかったわ」
まずいのに全部食べてくれたのは、お腹が空いていてそれしかなかったから。美味しそうなハムエッグがあったら間違いなくそっちを食べているだろう。ちょっと辛いけど、失敗した僕が悪い。
「でも嬉しかったわ。ジェフが私の為に作ってくれたんだから」
ベルティーナが笑っている。
朝あいさつしてくれた時みたいなぎこちなさは感じられない。まぶしくて曇りのない笑顔が見られて僕も嬉しかった。
「また作ってくれる。今度はとびきり甘くて美味しいのを期待してるわ」
可愛らしい微笑みがずるい。失敗した僕にそんなこと言うなんて、ちょっとでも期待に応えたくなる。でも、いつものベルティーナに戻ったみたいで良かった。
専用のポットでエスプレッソを作り、温めたミルクを入れて口直しのカフェ・ラテのできあがり。飲んでまずいって言われなかったし、こっちのできは大丈夫だろう。
「あの」
「ねぇ」
僕とベルティーナは同時に話しかけていた。
「お嬢様からどうぞ」
「ベルって呼んで。ずっと前からお嬢様って呼ばれるのは好きじゃなかったの」
どうしよう。いきなりそんなこと言われても困る。立場上呼び捨てなんてできなかったし、ファミリーのほとんどが「お嬢様」と呼んでいたから僕もそうしていたのに。
「ベ……」
「そのガンマンみたいな銃、料理してる時もぶら提げていたけど、昨日はどうして使わなかったの?」
「こ、こわれてるんです」
ベルティーナに嘘をついた。
「僕の作ったガレットみたいにボリフニャで。撃ったら最後、バラバラになっちゃいそうなんです」
「ちょっと、そんな危ない銃捨てなさいよ」
「ただのハッタリ用ですよ。抜こうとしただけでたいていのゴロツキは逃げてくれます。昨日はだめでしたけどね」
ベルティーナは興味があるから聞いたんだと思う。でも、これだけは答えたくなかった。あれは僕の体の一部みたいなものであり、消し去ってしまいたいものだから触れて欲しくない。
「あの、ベ、ル。僕も話したいことがあるんですけどいいですか?」
「どうぞ。遠慮せずになんでも言ってよね」
「ベル、僕と一緒に旅をしませんか?」
突然の提案にベルティーナは困っている。焦ったり、後悔したりしている場合じゃない。僕なりに考えたんだから、それを伝えなくちゃいけない。
「カゾーニャの街を出るんです。パルメジャーニファミリーの再興を恐れて殺されるか、ベルを担ぐだけ担いで用済みになったら始末されるか。そうじゃなくても、この街にいる限りボスだったことは重い枷でしかありません」
平手打ちの一発や二発は覚悟していたけど、そんなことはなくて。僕の話を聞いてくれるみたい。
「旅はいいですよ。新しいものにたくさん出会えます。山頂から見る朝日、圧倒するほど大きな滝、ノームが住んでいそうな洞窟、見たことない美しい自然に癒されます。いろいろな街にだって行けます。個性豊かな街並み、そこでしか食べられない美味しいデザートの数々」
あっ、よだれ拭いた。
「不便なことも多いでしょう。雨に降られたり、寒い日でも野宿になったり、しょっちゅう貧乏です。だから、ベルにも働いてもらいます」
カゾーニャの街から連れ出したいけど、良いことばかり言うのは騙している気がして間違っている。言うべきことはちゃんと言って、ベルティーナに選んでもらわないと。
「初めてのことばかりで分からないし、しんどいし、叱られるし、辛いでしょう。でもそれが新しいことに出会うことなんです。新しくやりたいことができるかもしれません。つまりボスと言う枷は無く、一人のベルとして生きられるんです」
ベルティーナには血で血を洗うマフィアの世界から出て行ってほしい。もう、お嬢様がいるべき場所じゃない。
「頼りないかもしれないですけど、旅をしていた僕が一緒です。どうでしょうか?」
「うふふふ、あははははは」
ベルティーナにすごく笑われてるんだけど、僕は何かおかしいことを言ったのかな。
「ふふっ、なにそれ。なんだかプロポーズみたい」
そんなつもりじゃないのに、言われて一気に恥ずかしくなった。
「良い話だと思うけどやめておくわ。本当よ。いろんな街に行って、そこにあるドルチェを食べてみたい。でもそれ以上にカゾーニャが好き。パパとみんなで作ったこの街が大好きなの」
茶化していた笑みはどこかに消え、今のベルティーナからは強い決意を感じる。
「このままじゃカゾーニャはハイエナ共に食い散らかされるわ。パルメジャーニファミリーはそう言う奴らと戦ってきたのよ。ボスである私がここで逃げたら誰がこの街を守るの」
「ベル、カゾーニャの街をどうやって守るんですか?」
「残っているファミリーを全員招集するのよ。いざって時の為のアジトがあって、電話や伝書鳩がそろっているの。当然、手紙もいっぱい出さなくちゃね。それで人数が集まったら、ビアンコファミリーとレツォーノファミリーにもきっちり協力してもらうわ」
裏切り者達への報復、カゾーニャの街からコカを一掃する。聞かせてくれた計画はベルティーナの大好きなデザートよりも甘いと感じた。
偉そうなことを思ったけど、テーブルくらい離れていたはずのベルティーナが遠くなっていく。おかげでなにも思い浮かばなくなった。
それをどうすればいいのか分からないから、結局なにも言うことができなかった。
「本当は今すぐ行きたいんだけど、私が街を歩いていたら目立っちゃうし、日が沈むくらいまで待つわ」
「あの、ベル」
「どうしたの?」
「旅に出ようと思います」
そう言うと、ほんの一瞬だけベルティーナが曇って見えた。
「あ~あ、ざんねん。ジェフでもいてくれたら、ちょっとは心強かったのに」
「……すいません」
「今度はどこへ行くの?」
僕はベルティーナをカゾーニャの街から連れ出すことを諦めた。
パルメジャーニファミリーが力を失った今、自分の身も満足に守れないお嬢様が街を守るなんて無茶だ。そんなことはいくらでも言える。
例え味方がいなくても、ベルティーナは一人で裏切り者達や他のマフィアからカゾーニャの街を守ろうとするだろう。
現に僕が旅に出ると言ったところで、せいぜいちょっと揺さぶったくらい。いやちっとも揺れてないだろう。
重たすぎる悲しみを背負っても立ち上がれる。ベルティーナの強い信念を僕なんかがどうこうするなんてできない。
「のんびりしたところに行きたいと思います」
僕が戦うのは身を守るためか、お金を稼ぐためか、僕の手が届く誰かを守るためか、その中のどれかだ。
手が届く誰かを守るのは簡単じゃない。いきなり死神に連れ去られることもある。僕は誰かがあの光景に入るのを見たくないから助けるだろう。
街一つを守るとなったら戦争だ。とてもじゃないけど大きすぎて僕の手に負えない。
ベルティーナに死んで欲しくない。本当にそう思っている。
でもそれ以上に僕は疲れてしまった。
いなくなりたかった。
「アジトまでは一緒に行きます。そしたら僕はカゾーニャを発ちます」
言った通り。送り届けたら荷物をまとめて旅に出る。
「ジェフ、これをあげるわ」
銀色に鈍く光る懐中時計はズシリと重たかった。蓋に彫られたグリフォンは勇ましくて今にも飛びかかりそう。
ベルティーナが肌身離さず愛用している大切なもののはずなのに、どうして。
「こんな高価なもの受け取れません」
「払ってなかった給料と、それに餞別よ」
「だめです。大切な懐中時計じゃないんですか」
「いいの。私のわがままで買っちゃった物なんだから、ジェフが気にする事なんてなにも無いわ。大人しく受け取りなさい」
僕は押し切られるままベルティーナの懐中時計をもらってしまった。
僕とベルティーナは陽が沈んだくらいにアパートを出て、カゾーニャの街はずれにあるアジトを訪ねた。
ここまでの間、街はいつもと変わってないように見えた。通りを歩いている人が減ったって感じはしなかったし、逃げるように足早でもなかった。パルメジャーニファミリーが壊滅したことやベルティーナの行方がどうとかを耳にすることはなかった。それぞれいつもの日常を過ごしていて、昨日コカの中毒者達が起こした騒動さえ無かったみたい。
でも今夜はなんとなく不安が漂っていて、いつもより街の陰が濃くなって見えた。
ベルティーナがアジトだと言う場所は小ぢんまりとした本屋さん。
中はすごくホコリが溜まっていてカビ臭い。お嬢様育ちのベルティーナがゴホゴホと咳きこんでしまうのも無理はない。
売っている本は棚に入りきらないくらいたくさんあって、壁みたいな高さに積み上げられている。おかげで小さなお店はますます狭かった。
カウンターに置いてあるランプが灯っているけど、こんな廃屋みたいなところが本当にいざと言う時のアジトなのか。
「……ベル」
ベルティーナは店の奥の真っ暗闇を見つめるだけで答えてくれなかった。僕は不安で声をかけただけだから答えてくれなくてもよかった。
真っ暗闇から微かに床の軋む音が聞こえた。
古い本屋さんだからとベルティーナは気づいていない。僕には分かる手練れだ。足音を消して、気配を消して誰かがこっちに近づいてくる。
色の白い顔がにゅっと現れた。
「キャアッ」
首だけが見下ろしてくる不気味さにベルティーナは悲鳴を上げた。
「お嬢様、私です。モルガンです」
着ているスーツが真っ暗闇だから、あるはずの体が見えにくかった。人だと分かっていた僕も一緒になって叫ぶところだった。
「モルガン……もぅ、おどかさないでよ」
ベルティーナがモルガンを抱きしめて嬉しそうにしている。
モルガンはパルメジャーニファミリーの中でも頭の切れる参謀で、難しい書類をあっと言う間に片づけ、様々な交渉を有利に進めてくれる。アントニオからの信頼も厚く、ベルティーナにとってはガイオと同じくらい大切な家族だろう。
再会を喜んでいられる時間はあまり無い。パルメジャーニファミリーは壊滅し、カゾーニャの街に危機が迫ろうとしている。この街から立ち去ろうと決めた僕には昨日の夜のことを話すくらいの時間はあった。
「そうですか、ガイオがボスのところにいってしまいましたか」
ひしゃげてしまった眼鏡を外し、モルガンが目頭を押さえている。よく見るとお洒落な腕時計にもヒビが入っていた。アジトを脱出するだけでせいいっぱいだったのが伺える。
「ありがとうございます。お嬢様がご無事なのはジェフリー、貴方のおかげです」
「いえ」
モルガンからお礼を言われるなんて思ってもいなかったから、僕は嬉しくて気恥ずかしかった。
「ほんと、ジェフがいなかったら殺されていたわ。ありがとうね。まるでダビデやヘラクレスみたいに強かったわ」
楽しそうにベルティーナが話している。荷物をまとめるのを快く手伝ってくれたのは早くいなくなって欲しいからだろう。勝手なのは分かっているけど、僕はなんだか土に埋められたみたいで少しさびしかった。
「お嬢様、良い知らせと悪い知らせがございます。どちらから先に聞かれますか?」
この二択、僕は苦手だ。良い知らせはたいていどうでもよくて、悪い知らせはとことん絶望的で重くもたれかかってくる。
「じゃあ、悪い知らせにしようかしら」
ああ、嫌いなブロッコリーを我慢して大好きなデザートを食べられる、なんて甘い話じゃない。ブロッコリーの後、ブロッコリーにシナモンをちょっとまぶしたくらいなんだ。
「カゾーニャにコカを流通させたのは同盟関係であるビアンコファミリーです。ルーポファミリーは我々の目を欺く囮でした。黒幕は四大ファミリーの一つカプラ・シャイトロです」
「協定破りじゃない。ごうつくばり。今さらカゾーニャが欲しいってわけ」
代わりがきく働きアリ、使い捨ての駒。どこへ行く前も、どこへ行っても、いつもそう。ベルティーナよりも僕が打ちのめされた。
「これが悪い知らせです。お嬢様に隠していた事は申し訳ありません。昨日の夜に全て報告するつもりでした」
「ふふっ」
ベルティーナが笑っている。なにがおもしろいんだろう。
「これのどこが悪い知らせなの。敵がどいつか分かってんのよ。勝てばいいだけじゃない」
同盟に裏切られたのに、壊滅する前のパルメジャーニファミリーよりも大きなマフィアと戦争だって。
でもこれはお嬢様の冗談なんかじゃない。例え一人になったとしてもカゾーニャの街の為にきっと戦う。
「ところでモルガン、良い知らせってなんなのかしら」
今のベルティーナなら四つ葉のクローバーでも喜んでくれる気がする。
「近いうちにパパと再会できるでしょう」
何を言ってるのか意味が分からなかった。でもあのモルガンの笑みはとても不吉で、なんだか死霊に纏わりつかれる感じで寒気がする。
紙が鳥みたいに羽ばたいた。後ろに積んであった本が崩れたんだ。男の重たい足音が二人こっちに迫ってくる。
棒みたいなものが僕の頭を引っ叩いた。気づいただけで間に合わなかった。
「ジェフ」
僕は力を入れて踏みとどまった。ベルティーナが呼んでくれなかったら、あのまま殺されてしまうところだった。
「手は出さないでください。待つのも立派な仕事だ」
襲ってきた男二人に僕は左右を挟まれてしまった。なんとかしたいけど、ベルティーナがモルガンに捕まってしまい頭に銃口を突き付けられている。
銃口が僕の方に向いた。
撃たれた。銃弾を二発。
脇のホルスターに手を伸ばす。
また撃たれた。さらに銃弾が二発。
モルガンはすごいな。頭がいいだけじゃない。ちっちゃい銃だけど素早く二回も撃てるなんて、しかも正確。
「ジェフ、ジェフ、起きるのよ。起きなさい。そっちにいっ――」
五発目。
僕は倒れてしまった。
ベルティーナが泣いている。僕はなにもできない。




