ジェフリー・ラロンド
「よぉ、俺の名前はルイス。お前、ここらへんじゃ見ない顔だな。どこから来た?」
僕より少し背の高い少年はいかにも明るくてお調子者と言う感じだった。
「僕はジェフリー。旅をしているんだ」
「旅?! スゲェな、オイ。俺とおんなじくらいなのに、お前放浪してんのかよ」
ルイスは十六歳らしいけど、僕の方が年上。
でも仕事だと僕よりルイスの方が先輩だろうから調子を合わせよう。
「俺さぁ、カゾーニャから出たことないんだ。ジェフは放浪してんだからオモシロい話の一つや二つあるんだろ。ちょっと聞かせてくれよ」
「いいけど、期待するような話じゃないよ」
僕はルイスに旅の話をすることにした。仕事は今のところヒマだし、夜遅くだから眠いし、時間を潰すにはいいかもしれない。
僕には見たくない光景がある。
僕の中にあるそれは絵や写真よりも鮮明で、なにより生きていた。
僕は逃げたくて、塗り潰したくて旅をすることにした。
美しいものや明るいもの。温かいものや穏やかなもの。キラキラしたものでいっぱいにしたらもう二度と見なくて済む。そう信じて。
最初に行ってみたのは山の方にある田舎。豊かな自然に囲まれ、自給自足しながら今日を生きる。
そんな憧ればかりを膨らまして森をさまよっていたところを、地元の人の銃が現実を教えてくれた。
森も立派な所有物で、僕に猟銃を向けてきた人の物であることを。
捕まり納屋に閉じ込められた僕は農園の手伝いをすることになった。
朝早く起きて、めいいっぱい働いて食事をし、また働いて食事をし、寝る。三か月くらいはそれをくり返した。苦しいほど嫌じゃなかったし、それはそれで良いかと思ったけど、あの光景が消えることは無かった。
むしろ森が鬱蒼としていくみたいに僕の中で濃くなっていくのが分かる。
収穫する果物はみずみずしいのに僕は日に日にしおれていく。だから農園を逃げ出した。
消えることのない光景をどうすれば違うもので塗り潰せるのか。ふと川を眺めながらそんなことを考えていた時。
川は海に繋がっている。海の向こう側には大陸がある。違う文化があって、まだ出会ったことのない人がいっぱいいる。思い立った僕は船の三等客室に期待を詰め込んで海へと出た。
甲板から見た大きな海は荒涼としていて、リヴァイアサンやクラーケンが住んでいてもおかしくない。見上げるほど大きかった船は喰われ、ちっぽけな僕は飲みこまれてしまう。
港に着く頃には子供じみた不安は消えていて、新しい場所への期待にワクワク、そわそわしていた。
みずみずしい森の空気を吸い、見たことない植物や昆虫を子供みたいに捕まえて観察し、食べられそうな木の実を食べてみた。きれいな湖や宝石みたいな海、それと雲の海の向こうに広がる小さくなった街をこの目に焼き付けた。でも僕の中にある光景は消えず、影みたいに付きまとっていた。
海を渡っても自然の美しさは変わらない。同じように街もあまり変わらなかった。
きらびやかな光と洗練された暮らしに惹かれ、せかせかと歩き、カチカチと仕事をこなしていく人達。お金がよく動く場所ではよく見るありふれた光景。その中に僕は溶けこめなかったけど、間違いなくそこにいた。
その代わり街には美味しい食事とお酒がある。それが旅の楽しみであり街の魅力だと思う。
売っているサンドイッチも簡単に野菜やチーズを挟んだのもあれば、パンの種類を変えてフルーツを挟んだ甘いものや、わざわざ温めてフォークとナイフで食べるものがあって、けっこうおどろかされた。
夕食は酒場が多く、お酒を飲むよりも料理が楽しみで、一つの店にこだわらず違う店を探しては目に付いた料理を頼んでいた。
色々食べてみたけど、まさか、カタツムリを本当に料理しているとは思わなかった。
雨の日には葉っぱの裏にいる殻を背負ったベトベト。触るのは平気だけど、焼いたトカゲやコウモリを食べた僕でも食べようとは思わない。だけど一口食べてみると、濃厚な味付けと合っていて美味しいから、おどろいてお店の中で叫んでしまった。おかげで周りのお客さん達からは白い目で見られた。もう少し手頃な値段だったらまた食べてみたい。
がんばってドレスコードを満たして高いお店にも入ってみたけど、旅を続ける為のお金を稼ぐのにはけっこう苦労した。
選んだとは言え僕は根無し草の旅人。いついなくなるか分からない人を雇うところは限られていた。進んで誰もやりたがらないけど生活には必要な仕事か、法を犯して誰かからお金や命を奪う犯罪者。そのどちらか。
海を渡った後も農場で収穫の手伝いをさせてもらったし、高原にある牧場では羊にバリカンを入れたこともある。
街にある工場で機械の細かい部品を作っていた時は、だんだん僕がそれを作る為の機械になっていくみたいなのに、あの見たくもない光景だけは鮮明で消えてくれなかった。
あの光景は工事で働いていた時もよく出てきた。完成するまで何年かかるか分からない教会は美しい彫刻に複雑で厳かな造りをしていて最初は息を飲んだ。
でも壁や彫刻、積み上げられた資材まで違うものに見えてしまうから、僕は逃げ出してしまった。
僕は旅を続けたいからお金を稼いでいた。庭師の手伝いや路上での靴磨き、ネズミの駆除と色々。どれも疲れるばかりで、もうちょっと楽で割のいい仕事は無いかと探していた。
そんなことを考えながら歩いていると男に因縁をつけられた。謝ったか無視したか覚えていない。確かなのは胸ぐらをつかまれ殴られてしまったこと。
一発くらいならいいか。でも続けて殴られそうだったから、鼻を折って顎を砕いて、肋骨も何本か折ったと思う。すると、見ていたルーポファミリーの人に仕事をしないかと声をかけられた。
コカを積みこんだ船を商船と偽装してカゾーニャの街へ入港。倉庫に積み下ろした後、本来の隠し場所に運び込み、売人を通じて街にコカを流す。僕の仕事は荷運びと倉庫の見張り。期限は三か月。お金もそれなり。
僕は仕事を引き受けることにした。とにかく違う場所に行けるのならそれでいい。あの光景を見ずに済むのならどこでもいい。
よくある仕事。いつもと臭さが違うだけ。もし危なくなったら、いつもみたいに逃げればいい。撃ち合いなんてするはずが無い。三か月の辛抱だ。
いつも通り仕事をしよう。
旅の話をルイスに聞かせた。僕の触れて欲しくないところは伏せて、楽しかったところや変わったところをできるだけ膨らませた。コメディアンみたいに話せればよかったんだけど、口下手だからおもしろくできなかったと思う。夜も遅いし、寝てなければいいんだけど。
「っはっはっはっはっ、お前みたいなヒョロっちいのが連続殺人鬼に間違えられるとか笑えるな。しっかし、拳銃だけで熊をしとめたとかありえねぇし、一番ありえねぇのは飛行船を使わず、鳥みたいに人が飛んだってのがありえねぇ」
よかった。たくさん話しちゃったし、退屈過ぎて寝ちゃったわけじゃないみたい。
「にしてもジェフはバカだな。カゾーニャに行く為にマフィアに入るとか、イカレてるよ」
「そうかな?」
僕がそう聞くと、ルイスは辺りを見回してからひっそりと言った。
「入るのは簡単さ。辞めてる時は死体だけどな」
そうかもしれない。契約書をよく読んでサインしたけど、ただの紙切れ。力は向こうの方があるから痛くもかゆくもない。
でも僕は契約を果たしたら旅を続ける。マフィアからだって逃げてやる。
「ま、ガンバレや。話くらいなら聞いてやらなくもないぜ」
「ルイス。ルイスはどうしてルーポファミリーに入ったの?」
「あ、俺? 俺はガキどもの為かな」
十六歳で子供の親。僕が戸惑っていると写真を差し出された。
子供達が集まって笑っている。真ん中で他の子と肩を組んでいるルイスは、手下を引き連れて陣取っているボスにも見える。後ろに写っている建物は古めかしいけど立派。もしかして。
「俺、孤児院育ちでさ。コイツらとは家族同然なんだ。出てった後も何かしてやりてぇなって思ってな」
ルイスが楽しそうに笑っている。
「フレッドは俺の次の次にサッカーが上手いんだ。ダニエラは編み物が好きで、テキトーな布でハンカチを作ってくれたんだ。見てみ。ほら」
売っているハンカチと比べてツギハギだらけだけど、立派な手作りのハンカチ。
「ロッコは女みたいな顔してるけど、意外と頭が回ってよぉ。算数は得意だし、ラテン語にフランス語の本も読めんだぜ。将来は市長だな」
どうしてか分からなかった。でも誇らしげなルイスを見て分かった。血の繋がりはない。それでも繋がっていると思う。
本当に家族なのかもしれない。
「僕も応援するよ」
「ッシャー。応援してくれるか」
ルイスが腕を回してきた。写っている子供達みたいに僕を認めてくれたんだろうけど、おもいっきり首が絞まって苦しい。
「じゃあさ、ジェフ。お前の話をアイツらに聞かせてやってくれよ。お菓子もいっぱい――」
銃声。鉄を潰す乾いた音が雨みたいに降り出した。雑談するくらい余裕のあった仕事場が生き死にを賭けた戦場に変わってしまった。
外にも見張りはいたけど、半数以上はやられてしまっただろう。襲撃して来たのは港街カゾーニャに大きな影響力を及ぼすマフィア、パルメジャーニファミリー。この倉庫にある大量のコカを奪いに来たのか。
「喰らいやがれ」
銃を撃っているルイス。前に出過ぎで死にたがりとしか思えない。
僕はルイスを強引に引っ張り、コカを積み上げた木箱の山に隠れた。しばらくは銃弾をやり過ごせるだろう。
ルイスは銃の扱いに慣れていない。撃ち方は危なっかしくて体によけいな負担をかけているし、弾は狙っただろう通りに当たらず無駄にしている。いやコカを守っているほとんどがパルメジャーニファミリーと比べれば素人。
本当は逃げたかったんだけど僕は撃ち合いをしている。ルイスを見殺しになんてできない。
「ヒット」
ルイスが殺した。僕が誰かを殺さないよう誰かに殺されないよう、腕や脚を狙い撃ち弱らせた人を。
「よし、ジェフが転ばして俺がトドメをさす。パルメジャーニファミリーだって、俺達にかかれば余裕だぜ」
やめてくれ。やめてくれと言いたかったけど、言えなかった。ここは戦場なんだ。殺すなって言う方がどうかしている。
一人。
一人、また一人とルーポファミリーが倒れていく。
撃ち合いに紛れて後ろから気配が近づいてくる。既に倉庫は包囲されてしまった。
「逃げようルイス」
「ふざけんな。どっちみち殺されちまう」
だめだ。
「俺は殺して生き残ってやる」
大声なんか出して、うかつに立ち上がっちゃだめだ。戦おうとしちゃだめだ。
ルイスが撃たれた。頭を銃弾が抉っていた。体中に次々と命中し蜂の巣みたいになった。僕の前で容赦無く。
猟犬みたいに素早く飛び出し、ルイスを殺した奴等を撃っていった。
自動式拳銃のクセは理解している。いつ撃てばいいのかも分かっている。今は軽い引き金がちょうどいい。
走っていた。立ち塞がる人を撃ち、邪魔する人を蹴散らした。銃弾に殺されないように動き続けた。さっきから聞こえてくる悲鳴は気にならない。
出口に固まった三人を倒し、埠頭の方へと出た。
月の明かりに照らされ、気づいた。血だ。僕は赤く染まっていた。
ルイスが殺されて、怒りに任せた僕は何人殺してしまったんだ。
怖い。
いきなり重たくなった。抱えていた怖さとは違う別の、小さな僕を縮こまらせる殺気。その主を見て目を疑った。
港を熊が歩いているのかと思った。ちがう。見上げるほどの大きな存在は息が詰まる迫力。夜の闇をまとった怪物だ。
雷鳴と間違える咆哮に僕は震えていた。襲いかかる怪物を相手に銃なんて役に立つのか。熊と遭ってしまった時みたいにやれるのか。
僕は急いで下がり。銃弾を二発、たくましい足に素早く撃ちこんだ。
消えた。あんな大きな怪物が煙みたいに消えるなんて。
そうじゃない。ものすごい圧迫感にゾワッとする。信じられない速さで銃弾を避けて僕に迫ってきた。
岩くらいの大きなげんこつが僕の顔面に叩きこまれる。
あれは怪物や悪魔じゃない。とても大きい人だったんだ。




