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夢を、見たのです。

 昨日の疲れがどっと出たのか、翌日の梓はだるさを感じていた。



 友人の桜花が心配して、梓に早退を促した。

授業のノートはとっておくから、と桜花に言われ、梓はその好意に甘えることにした。



 下校途中でまた狙われやしないかと内心は冷や冷やしっぱなしだったが、結局は杞憂に終わった。

かもを拾い上げたその時から、また妖怪や幽霊といったたぐいの者達が視えるようになっている。そんな体質でも、その帰路でだけは、いつも視かける妖怪たちと出くわすことがなかった。

 体が鉛のように重たい。軽いはずの鞄がやけに肩にのしかかってくる。

 やっとの思いで家に着いた梓は、玄関にそのままふうっとしゃがみ込んだ。



「……ただいま」

 かぼそい梓の声を聞いたかもが、てってってっ、と二階から降りてきた。



「おぉ? 梓、今日は帰って来るのが早いな」

「ちょっと体の調子が悪くて……早退しました」

「おおぉ、何だかとてもつらそうだ。昨日、無理させちまったみてえだ。ほら、ゆっくり休むのだ」

「ごめんなさい……」

「梓が謝ることなんてないさ。お前さんはようやったよ。ほらほら」



 小さな柴犬はてしてしと前脚で梓を促す。

 梓の下ろした鞄を運ぼうとしたが、かもには重くてかなわなかった。



「あの、かもさん……鞄は私が持ってけますから」

「何を言う! これくらいどってことないんだからな。梓は先に上がって寝てなさい! これ以上の無理はお父さん許しません!」

「誰がお父さんですか」



 声を出すのも億劫になってきた。このままのペースを続けると本気で倒れるかもしれない。



 梓はやっとの思いで部屋着に着替え、ベッドにもぐりこんだ。

 セーラー服は床に投げっぱなしだ。整理整頓はきちんとするタイプの彼女にしては珍しい投げやりようである。

 それほど体の具合が悪いのだ。



 熱っぽさはない。単に体が重いだけ。そして瞼が重い。布団に潜り込んでしばらく寝ていたい。



 数分して、部屋に誰かが入ってきた。もう起き上がる気力もなかったけれど、見ずともかもだとわかっていた。

 何やら呻き声が聞こえた。本当に鞄を引っ張って二階のここまで来たらしかった。



「ふぅっ! 犬になるのは悪くねーが、こういう時は人間の体になりたいもんだ。大丈夫か梓、辛そうだ」

「つらい、です」

「ああ、わかった。もう喋んなくていいぞ。俺もお喋りの口はそろそろ閉じる。何も気にせんでゆっくり休めよ。明日は土曜日だ。なんなら明日の昼まで寝てたっていいんだからな」

「はい……」



 梓はそのまま眠ることにする。額に、ぺったんと小さい手が触れた。かもの足だ。

「無理させすぎたな。お休み、梓」



 梓はその声に、答えない。



 かもの慈しむ手が、何だか母を思い起こさせた。



 母は梓の小さい頃に他界した。

 そのせいで母親との思い出は非常に少なく、記憶もおぼろではあるのだが、梓はそれでも母親の優しい手を覚えていた。頭を撫でる手、毛糸で編物をしている手、あやとりを教えてくれた手。そういえば、母が楽しそうに編物をしていたから、梓もあやとりと指編みを覚えた。おかげで手先は人より器用にはなっていた。



 昔高熱を出した時、ずっとそばにいてくれていた。



『大丈夫? 熱が出たのは、体に悪いものが入っているせいなのよね。お水をしっかり飲んで、お休みすればすぐによくなるからね』



 そう言って熱くなった梓の額に、母が手で触れた。

 その後は眠ってしまったのか、記憶が途切れている。もっとも、ずっと昔のことだから、起きていたとしても覚えている記憶なんてそんなものなんだろうけど。



 しばらくして、また記憶がよみがえる。

 あのあと少し、母が梓のもとを離れた。氷嚢の中身をとりかえに行っていたんだろう。

 あるいは、水や胃に負担をかけない食べ物を取りに行ったのかもしれない。

 再び梓のもとへ戻ってきた母は、優しい笑顔で梓を看てくれていた。



『もう大丈夫だからね。明日は、とっても体が軽くなっているはずよ』

 そうして梓を撫でる母であった。あれは子供を安心させるための誇張だと今まで思っていたが、今はそう思えなかった。

 だってその時、前日に妖怪と遊んできたばかりだったのだから。



 きっと、その妖怪たちの中の誰かが、悪意でもって梓に近づいたんだろう。今ならそう思える。

 前にかもが言っていた。視える人間というのは妖怪や幽霊にとって極上の味がすると。そのために弱らせたんだろうなあ、とその時の高熱の意味を理解した。





 そしてその少し経った後、母は事故で亡くなった。梓の熱がすっかり下がってすぐのことだった。

 ――わたしが、お母さんを死なせちゃったようなものなんだね。

 ぐったりした意識の中で、現在の梓はそう思い起こしていた。

 ――わたしが視える人間じゃなかったら、お母さんも死なずにすんだのかな。



 昔のことを思い出しているうち、梓の心は後ろ向きな感情に流されていく。体が弱ると気持ちまで情けなくなってきてしまう。



(うーん、思った以上に重症だなあ)

 梓の意識がうっすら戻る。寝ている状態でふっと目が覚めて、そのまま意識がだんだんとはっきりしてきた。



 開いた瞼からのぞける視界はぼんやりしていた。何もまともに視えない。体はいまだに重くて動かせない。

(今何時なんだろ……。お父さん、帰ってきてるかな)



 友人の桜花が、梓の早退を担任の先生に伝えてくれて、梓の状態を悟った先生が父に連絡を入れてくれていた。

 だから梓が寝込んでいることは知っているだろう。



 ただ問題は、夕食だった。

(この状態じゃごはん作れないよなあ……。お弁当買ってきてもらうしかないかぁ。お父さんが台所に立つのっていつも冷や冷やするんだよね)



 だが父は向上心があるせいか、いくら料理やその他何かに失敗しても、次は成功させんと妙に張り切る性格だった。あの分では最低限自分の食事は自分で作るに違いない。それはそれで心配だ。

 その心配をしているうちに、梓にまた眠気が漂ってきた。

(あ、もう駄目だ。お父さん、せめてご飯は大人しくお弁当買ってきて……)

 ずれた言葉を思い起こし、梓は再び眠りについた。





 今度は夢を視た。

 幼いころの夢ではなく。現在の自分が、現実ではない奇妙な空間に立っている。そんな夢だった。



「……あれ?」

 声が出せる。夢の中では、不思議と体が軽い。

 むしろ調子がよすぎるほどだった。



 その場所は暗がりで何もない。ただ周囲を見回すと、ところどころが光を漏らしていた。この空間の一歩先は光に満ちているに違いない。



「うーん……?」

 首を傾げながら、梓はここでもないそこでもないと、とりあえず歩いては出口を探す。広さは体育館ほど。結構広い。



 これは、自分を狙う誰かが見せた夢なんだろうか。

 もし見当違いであったら全国の妖怪さん幽霊さんに申し訳がないなあと自覚しつつ、梓は歩くのを続けていた。



 ひとまずは光の射す方へ。光の漏れている先はいくつもあったが、その中で一番最初に目に入ったところへ進むことにする。



「ひ、広すぎる」

 歩いても歩いても、光にはたどり着けない。

 空間には何者もいないし何もない。距離をはかることのできるものがないから、空間の大きさを把握できない。

 体育館と目星をつけたのは、ちょっと間違っていたかも知れない。



「か、かもさーん……」

 ためしに頼れるようなそうでないような相棒を呼んでみた。

 声は反響するも、柴犬を呼びだすには至らない。まるっきり一人取り残された。





 だけれどこれは夢なのだ。目が覚めたら、また会える。そんな風に鼓舞して、梓はとりあえず進んでみる。





「こんにちは」





 そんな時、背後から声が聞こえた。聞き覚えのある声だったが思い出せない。



 梓は振り向いて声の主を確かめようとする。顔がぼんやりして、よくわからなかった。

 ただ、背丈は梓と同じくらいの女の子だというのだけは、なぜだか本能で理解した。





「……」

「あっ、こんばんはの方がいいのかな。それともおはようございます?」



 少女はのんきに首をかしげていた。

「んー、こんにちはでいいんじゃないかなあ」

「じゃあ、こんにちは」

「えっと……こんにちは」



 顔がぼやけているのに、梓には少女が嬉しそうに微笑んだのが何となくわかった。

「あの、ここは」

「ここは夢の中だよ。さらに言うなら、きみの夢」

「そうですか。やっぱり、夢なんだ」

「もっと言うなら、その夢に、僕はちょっとお邪魔してるんだ」

(……僕?)



 よく聞いてみると、少女の声はやや低い。

 男というほどの低さではないが、かといって女の声か? と聞かれるとやや返答に困る。



「あっ、今僕のことを男か女か品定めしてるでしょ? 口に出さなくてもわかるよ。隠そうとしてもバレバレだ」

「……そんなに顔にでてました?」

「ちょっとだけね」

「そう……。その、気に障ったならごめんなさいです」

「いいんだよ。慣れてるから」



 さて、と少女――もとい少年は切り出した。



「きみの夢の中を、差し支えない範囲で視させてもらったんだけど」

「差し支えないってどれくらいですか?」

「奥深くは見てないってくらい。表面的な夢だけね。さらに奥は、その人のまごころが大切にしまってあるから、それを暴くのはだめだし、そんな趣味もない。



 ああ、それでね。見せてもらった夢を分析してみたんだけど。



 きみの夢はお母さんで満ちてるね」



 ずいぶん的を射た答えであった。梓は真実を突かれた気がして、少しだけ身構える。



「そんな、何もしないよ。ただお話に付き合って欲しいだけだからさ」

「うーん、お話聞くだけなら」

「充分だよ! でね、きみのお母さん、とっても優しいひとだね」



 いきなり何を切り出すかと思ったが、母のことを褒められるのは悪い気がしない。



「ありがとうございます。でも、もう小さい頃に死んじゃって、今はいないんですよね」

「そう……。だったんだ……。辛かったね。わかるよ、僕も似たような経験あるから」

「お母さん、死んじゃったんですか?」

「んー、母じゃないんだ。恋人……っていうか、将来を誓った仲の女の子がね」



 こともなげに少年は答えた。自分と同じくらいの年の少年に、すでに婚約者がいると思うと、梓は少し意外に感じた。

「事故……だったんですか?」

「事故でもあるし自殺でもある。両方かな」

(事故で自殺……?)



 少年の言葉を反芻しながら梓は考える。少年の言った、婚約者の死因は一体どんなものだったんだろうか。



 少年は光射す方に目をやった。

「嵐の海の中でさ。船に乗ってたんだ。乗ってすぐの時はまだ晴れてたんだけど、陸から離れていくとだんだん雲行きが怪しくなってね。雨と雷で時化って、波に船ごと飲み込まれるんじゃないかってくらい大荒れした。



 それでさ。船の頭が言うには、僕らがわたろうとしてた海にはね、気性の荒い神様が住んでたみたいなんだ」



 梓は静かに聞いている。

 少年のことは初めて聞いたはずなのに、語る話には妙に既視感があった。



「とはいっても、普段は豪快で世話焼きのいい神様なんだけど、って言ってたなあ。でもその時はちょうど機嫌が悪かったみたいで、要するに僕らは運が悪かったんだ」



 突然の嵐は神様のご機嫌に左右されている。その言葉を聞いて、梓は現実離れを感じなくなっている。その傾向が良いか悪いかは別として。



(かもさんのおかげなの……かなぁ)

 うーん、と眉間に皺を寄せてわずかに考える。どうしたの? と少年に聞かれて慌てて何でもないと返した。



「海の神を鎮めるためには、娘を嫁がせるっていう言葉がある。



 つまりさ、生贄として女の子を海に放れって話だよ」

「……!」

「その時船に乗ってた女の子はたくさんいたんだよ。でも名乗り出るのはいなかった。当たり前だよね、死にたくないし、溺れるのって苦しいし。

 

 ただ一人だけ、名乗り出た人がいた。それが僕のあのこ」



 あの子、というのが少年の婚約者だろう。



「僕は止めたよ。そりゃもう必死でさ、もうこれ以上ないってくらいめちゃくちゃ怒って思いとどまらせようとした。でもあのこの決意は固かった。僕が止めるのも聞かずに、最後はにっこり笑って――

海に飛び込んだ」



 そう語る少年の目は、遠い日の記憶を眺めていた。



「その生贄行為が効いたのかどうかわかんないけど、そうしてすぐに嵐がおさまった。

 おかげで近くの港には着いた。あのこ以外に死んだ人はいなかった。あのこが一人で、船に乗ってる人全員を助けたんだ。



 あの後ね、僕は親戚に頼んで海の中を調べてもらったんだ。

 せめてあのこを陸に上げて、ちゃんと弔ってあげなくちゃ、って。



 でもいくら探しても、あのこは見つかんなかった。神様が海の国に連れてっちゃったんだろうね」



 少年は懐から何かを取り出す。

 手のひらには、花の愛らしい髪飾りが乗せられていた。ところどころ塗装がはがれ、金属部分には曇りがみえる。よほど昔のものなんだろう。



「全力で探して見つかったのがこれだけだった。

 僕があのこにプレゼントしたんだ。戻ってきちゃった。これだけ戻っても、意味ないのに」



「……あの、わたしは婚約者さんじゃないから、これも想像でしかないですけど。

 きっとその人は、君が助かってよかったと思ってるんじゃないかなって」





 何の慰めにもないとわかっていたが、梓はそれでも少年にそう声をかけた。それを聞いた少年は、悲しげに笑って「ありがとう」と告げる。



「ああ、でもね」



 ふいに切り出した。

「あの子を失った悲しみも、もうすぐ晴れるんだ」

 微笑に帯びた少年の悲しみが、急に消えた。





「うまくいけば、あの子を取り戻すことができる方法、見つかったんだ!」

 無邪気な声色で、少年は末恐ろしいことを言ってのけた。



 婚約者は死んだんじゃ……? と遠慮がちに否定しようとしたところで、梓の目がはっきりと覚めた。



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