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弓矢で何とかなりました

 梓は狼を改めて窺う。


 狼は、その場から一歩も動いていない。

 それどころか、あれほどの突風を真正面から受けたはずなのに、かすり傷ひとつとして負っていなかった。

 眷属という立場は伊達ではないということだ。


「そんなものか」

 狼は後ろ足で耳を掻く。

「はっはー、つくづくムカつく犬さんだ」

「ど、どうしましょう……」

「大丈夫だお嬢さん。さっきのはただの小手調べだ。俺が本気を出したらあんな犬ッころは塵も残らねえ」

「呪詛を幾重にもかけられた矢が何を言う」

「ハンデと思ってほしいねえ」

「油断でも手加減でも変わりはない。今度はこちらの番だ。おまえばかり攻撃では不公平ではないか」

「あっ、そうきちゃう?」


 狼がぐるるっ、と喉を鳴らす。牙をむき態勢を低くする。


「ご安心を、弓矢だけ引き裂きますので貴方様にはできる限り傷つけません」

「うぅ、できれば弓矢さんも無事であると嬉しいんですけど……」

「敵に刃を向けたら、それ相応のお覚悟はして頂きたいものです。貴方様に危害をくわえぬよう気づかうだけ慈悲はあります」

 では、と狼は言葉を切った。


 ぐっ、と地を踏みしめ、狼が一直線に梓の方へ向かってくる。

 瞬きをするいとまもなく、梓は距離を狭められた。

「わ……っ!」

「お嬢さん弓を前に!」

 弓矢の言葉をそのまま、梓は両手で弓を前に突き出した。


 横に倒した弓ががちんっ、と狼の大口を捕らえる。

 引き離そうと弓を引っ張るが、狼が離れる兆しはなかった。


「ふぅ、っ!」

 腕っぷしには自信のない梓が精いっぱい引っぱっても引き剥がせない。

「甘い」

 狼はそのまま頭を横へぐんと回す。


 噛みつかれた弓が、力任せに千切られた。

 べきっ! と嫌な音を立てて、無造作に割られる。


「ぎゃあいってえ!」

「わあ、ゆ、弓が!」


 狼はその一撃を入れ、さっとその場を離れる。口の中に残った破片を吐きだす。

「いってぇー……。ったく、躾のなってねえ犬っころだ」

「だ、大丈夫ですか!? 痛いんじゃ……」

「大丈夫、ちょいっと時間かかるけど、すぐに治る。神ってのはすごいんだぞー」


 痛い痛いと呻きはするものの、弓の声は明るい。空元気かもしれない。

 弓の言葉通り、その形はすぐに修復した。黒塗りの長弓が梓の手に戻る。


「ごめんなさい、弓さん。次は避けますから」

「ありがとう、お気遣いが心にしみるぜお嬢さん。うっし本調子に戻った。次はちょっくら矢を射てみようか。安心しな、射殺すわけじゃねえからさ」

「はい」

「いーい返事だ。犬っころが動くから、この際細かいことは気にしねえでいくぞ。俺の言葉に従って、構えの形を取ってくれ」

「わかりました……。でも、狼さんがこっちにかかってきます。構えを作る余裕はないかもしれません……」

「おぉ、一理あるな。説明してる暇はない。なら俺がその形を作ってやる。お嬢さん、ちょっと失礼するぞ!」

 弓矢はそう言う。何を失礼されたのか、梓にはわからなかった。


 だがふと、体の中に暖かな風が入りこんだ感覚に包まれた。胸の奥を押すように、一瞬だけ圧迫感が襲ってくる。

「お嬢さん、細かいところは俺が全部やる。あんたは犬っころからの攻撃をとにかく避けてくれ。無理そうなら弓で防いでくれていいかんな」

「でも、痛いんじゃ……」

「屁でもねえ。何も心配する必要はない。よくよく思い出してみれば、酒飲み過ぎて朝帰りした時のカミさんの鉄拳に比べれば、そんな痛くもなかったんだ!」

「はぁ、そうですか……。あまり奥さんを怒らせちゃだめですよ」

「くぅきっつい一言! さていくぜ。狼さんをかわすことだけ考えていればいいからな!」

「は、はい!」

 梓は言われた通りにする。

 

 狼の攻撃は続いた。そのおおよそが一直線の突進だから避けるのはたやすい。

 しっかりと狼から目を離さないよう気をつけていればどうにかなる。

 狼もその点には気づいているようで、まずは梓の視界から消えようとあちこちを駆ける。


 天候は晴れ。ただし若干の白い煙がある。さっきの鳴弦という技で起きた竜巻が、綺麗に視界を遮っているんだ。

 狼を見失ったら、もう耳と勘頼みだ。

 残るは反射神経とやけっぱちであちこちに転がるしかない。

 風を切る音が鋭く走る。それを聞き取り、梓は現在立っている場所から離れる。

 狼は唸り声を消して、どこにいるか悟られないよう隠れている。


 ただ真っ直ぐに突撃されるだけなら、運動神経が並以下の梓でもどうにかなった。

 だが狼もそこまで馬鹿ではなかった。


「……あぁっ!?」

「動物とはいえ、そこまで馬鹿正直ではないのでね」

 梓は目の前を疑った。


 お座りをした狼が頭をぶるぶる振ると、両隣に瓜二つの狼が現れた。分身したんだ。

 二体増えただけでとどまらない。狼がたちまちに増えてゆく。およそ十体に分身したころには、すでに梓は囲まれていた。

(油断した……! どうしよう)


「これは私の分身です。私が命じれば一斉に襲い掛かることもできますし、一匹ずつ走らせることもできます。何なら巨大化でもできますが、お見せ致しましょうか」

「いえ、遠慮します……」

「はっはー、犬が。数が多けりゃいいってもんじゃねえぞー」

「下手な鉄砲でも数撃てば当たるという言葉もある」

「つまりあんたはノーコンってわけだ。手の内を曝したなぁ、ばっかでー」


 弓矢はのんきに狼を挑発する。こんなに自信満々なのは、何か策があるからなんだろうか。梓は弓をぐっと握り締めて、自分なりに打開策を探し出す。

「お嬢さん、準備はできた。一気に終わらすぞ!」

「えっ、もういいんですか……?」

「いいぞ! 足をふんばっとけ! ついでにお嬢さん、いっちょ深呼吸してみようか」

「え……、は、はい」


 急に弓矢から話しかけられるも、梓は戸惑いつつ言われた通りにする。無理やりにでも深呼吸をすると、気持ちが落ち着いた。

「よーし、じゃあ次は弓を持ち直してくれ。それで終わりだ」

「わ、わかりました。あとはお任せしますっ」

「任された!」


 弓矢の一声と共に、梓の体が自然と勝手に動いた。

 左手がすっと弓を握る。右手には、一本の矢が握られていた。

 すっと両手が上に上がる。そして弓を引き絞った。左腕に、わずかな重みがかかる。梓はそれをぐっとこらえた。

 梓の姿勢を見守っていた狼が、ここで初めて動揺を見せた。ふさふさの耳が、ひこっと動く。


「弓矢、それは……。よもや」

「おぉ、ご存じのようだなあ。まっ、俺様は超強いし有名だから仕方ないか。けどだからってこれ以上は喋らねえぞ。敵に手の内をさらすほど馬鹿じゃねえかんな」

 狼の目が鋭くなる。するすると分身が、本体の狼に戻っていく。

 梓は狼の挙動に首を傾げた。せっかく用意した数を、わざわざしまうなんて。


「辛抱辛抱、その意気やよし。あと少しだお嬢さん」

「は、い……っ」

 弓矢の心強い言葉が、頭に響く。梓は自分を鼓舞するように、しっかりと返事をした。

 本当は、今すぐにでも矢を放ちたい。弓どころか、運動もまともにできない少女にとって、長弓を使うためにかかる負荷は強すぎた。


 左腕はぷるぷる震えている。籠手があるとはいえ、指に食い込んだ弦が痛い。今に千切れるかもしれない。


 でもこれが終われば、きっと良いのだ。何が良いのか自分でもわからない。そもそもどうしてこんなことになったのかも思い出せそうになかった。

 今はとにかく、喋る弓矢の言葉に従い、狼を退けるしかない。狼は、自分を遠いどこかへ連れ去る気なのだから。


「お嬢さん、見ておけ」

 弓矢がそう告げた。


 その直後。

 梓の手から矢が放たれた。

 その矢はまっすぐに狼――より少し上を奔った。

 外した? と梓は身を固くする。だがそれを安堵させるように、弓矢の笑い声が聞こえた。


 ふおんっ! と野太い音が広がった。

 一本の矢を追うように、音が鳴る。

 耳に心地よい音だった。自分を守ってくれているようで、梓の緊張が解れた。

 

 矢を射たあとの梓は、しばらく放心していた。

 両腕にかかっていた強い負荷がすっかりと消え、体が一気に軽くなった。

「……ほぁ」

 間抜けた声と一緒に、溜めこんだ空気が吐き出される。

「よくやったお嬢さん。完璧だ」

 喋る弓矢は、そう言った。


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