柴犬さんの、本当の姿
叫んだ直後、たけるを中心に、強い衝撃破が広がって来る。
反応が遅れた梓は、かわすことも防ぐこともままならなかった。一瞬の重みが胴と顔に直撃した。
「あ、ぅ!」
後ろへ吹っ飛ばされ、そのまま火中へ放り込まれる。
鈍痛と焼ける痛みが一気に襲ってきた。地面に叩きつけられ横たわる。痛みに怯んで、起き上がることができない。息を吸おうとすると、喉が熱くなった。火の中で呼吸するとこうなるんだ、とのんきに梓は考えた。
しかしそれも数秒で終わる苦痛であった。おそるおそる二度目の呼吸をすると、喉は焼けなかった。
むしろ澄んだ空気を取り込んで、頭がすっきり晴れた気がする。周囲は相変わらず炎で熱かったが、綺麗な空気のおかげで持ち直すことはできた。
梓の視界には、見慣れぬ足が映る。
裾の広がった紺色のスカートらしきものは、くるぶしまで隠している。
足は白い靴下――いやそれは足袋だった。ちらっと草履がうかがえた。ということはスカートと思っていたものは袴なんだろう。
「……?」
袴を履いている人物は、果たしてこの空間にいただろうか? 梓はその者が新手だと思い込んだ。
しかし、その者は新手でもなんでもなく。
「やーっと元の姿に戻れたぜ、ラッキイ」
聞き覚えのある声が、上から降って来た。目線を上げると、快活に笑う男の顔に気づいた。
赤銅の髪をちょんと結い上げている。白い着物は半袖だ。
「……え? あれ……?」
「安心しろぉ。炎は取っ払う。俺天才だから」
男が右手で軽く前を薙ぐと、男の言った通りに周囲の炎がすべて消し飛んだ。
男を目にして、まるで台風でも起きたかのように、辺り一面の燃える壁は壊された。
およそ二十メートル先に、座り込んでうわごとを繰り返すたけると、彼を傍らで見つめる忠実な狼がいた。たけるの周囲にも防護壁が張られ、飛び散った土の破片や火の粉をはじいていた。自分はこれほどの距離を飛ばされたんだ、と梓は再認識した。
「立てるか? さっきの衝撃をまともに食らったからな、まだ本調子に戻れねえ?」
赤銅髪の男は梓の手を取って起こす。
「えっと……かも………さん?」
「そ! 感謝するぜ梓! やっとこの姿に戻れたんだからな」
声からしてやはり、と梓は認識した。神を自称するその男は、人の形となると二十代ほどの青年になった。
「お、相手も目の焦点が合い始めた」
「あ……っ、そうだ、たける君」
「アレの甘ったれたガキ思考を吹っ飛ばしたら俺たちの勝ちだ。この空間も消えて、晴れて家に帰れる。帰り道が散歩コースだ」
「……おまえ、神だったのか」
たけるがかもに放つ。やはり神という自称には疑念を抱いていたらしい。人の姿を取ったことで、たけるはようやく信じた。
「そう。俺ってば最高の神だからな。ホレ、そこの狼君なら察しはついてるよ?」
かもの指し示すミツミネは、きちんとお座りをしたうえで、かもに頭を下げていた。
ということは、少なくともたけると同等の力を持っているのであろう。
「だけど、名前がわからない。ミツミネが僕にするのと同じように平伏するなんて、相当高い神のはずだけど……」
「ふん、世間知らずの坊ちゃんには特別に教えてやろう」
かもはここぞとばかりに笑い答える。その顔には自信が溢れ、胸を大きく張り、声を広げるために息を吸う。
「俺の恩人を脅かすことは俺に矢を向けるも同じこと。それがどれほど無謀なことが刻んでやるわ。
この、賀茂建角身様がなぁ!!」
「…………誰?」
「んなっ!!?」
せっかくの見せ場も、たけると梓の重なった疑問に、物の見事に打ちのめされた。
「嘘だろ!? 南の都の神ったらまずは俺ですよ!? 梓、さすがにお前は冗談で行ったんだよな?」
「えっと、すみません、存じません……」
「んなあぁっ!! くっそ、何でだ……! ああ、んじゃこっちはどうよ! 俺はヤタガラスってカラスになってそこの坊ちゃんのご先祖様を勝利に導いたんだっての!」
やけになって目茶苦茶に騒いだかもの言葉には、さすがの二人も心当たりがあった。
「やたがらす……ああ、なるほど」
「あっ、知ってます。サッカーのシンボルですね」
「微妙に違う……いや合ってるけど何かしっくりこねえ……。畜生、俺の最高の見せ場が台無しだ」
「す、すみません……。今度はちゃんと勉強しますから……」
「いや、梓や坊ちゃんのせいじゃない。この俺の知名度が低いのが問題なんだ。この件が片づいたら盛大にかも様宣伝活動してやる」
かもは咳払いし、気持ちを切り替えた。
「いいか梓、やることは今までと同じだ。そこにいるガキを矢で懲らしめるだけ。あいつを完全に無力化させて、この空間を無理やり終わらせる。もう一度言おうか?」
「大丈夫です。……あの、矢で死んじゃったりは、しないですよね?」
「へーきへーき。神ってのは丈夫だからな。開始!」
かもは適当なことを相変わらず言ってのける。だがその曇りなき自信は梓の不安と反論を溶かしてくれる代物だ。黒塗りの弓が再び梓の手元に戻る。
相手は立ち上がったが足下がふらついている。『的』としてたけるをとらえた場合、その距離はおよそ二十メートル。弓をたしなんだ者ならなんてことはないのだろう。だが、梓には遠く思えた。
「大丈夫。梓は筋が良い。あの防護壁にヒビ入れるだけだから、気負わずに射るのだ」
「はい。矢の軌道とか、細かいこととか、お願いしますね」
「任せておけ!」
梓は矢をつがえて、今まで通りに引き絞る。
肩にかかる負担は相変わらずだ。けれどそれに大分慣れていると実感する。
ただ数度の経験で生まれてきた自信が、今度もきっと乗り越えられると、梓を鼓舞する。
幸いにして、相手はこちらにかかってくる気配がない。髪飾りを粉砕されたことが、自分のよりどころを失ったことに繋がった。願わくば、梓の矢でとどめを刺されたいとさえ考えているのかもしれない。
(でもそれじゃ……五十点です)
梓をタチバナの器にすることを諦めたことで五十点。残るは、タチバナの死を受け入れ、今いる時代の陸で生きていくことで、ようやく五十の加点である。
たけるそのものは射殺さない。彼を取り巻く防護壁を破壊することが、梓の目的である。
「あの防護壁は坊ちゃんを守ってるだけじゃない。あいつのもつ神力がうまく圧縮されてできた代物だ。逆にいえば、少しでも傷がつけば力が漏れて、この空間を維持するための力も連動して傷つき、空間が綻びる。……まっ、細かいことは気にしない!」
かもは説明を切り上げる。
「梓、今一番集中だ。俺の弓矢だけでも通用するが、お前の力も合わされば成功率もぐっと上がる。準備はいいか?」
「いつでも」
「いい返事だ!」
弦から、きりきりと歯に響く音が聞こえる。掛をはめているとはいえ、親指に食い込む弦の痛みがだんだん増してきた。瞬きも忘れてたけるを見据えているせいで、目が乾いて来た。肩がぎりぎりする。その痛みを忘れようとすると、余計に強くなる。
「いいぞ、いいぞ」
かもの何か企んでいるような声が聞こえた。
この一矢ですべてが終わる。狼のストーキングも終わり、いつの間にか現実から切り離された空間に閉じ込められることもなくなり、女装した少年に追い回されることも解決し、自分とそっくりな少女の身代わりにされる心配も、これで解消される。
ならば、強まる痛みなどねじ伏せてしまえ。黒弓となって支えてくれる頼もしき相棒を信じ、矢を射ることだけ考えればいい。
「射てぇ――!!」
かもの鋭い指示と共に、梓は迷わず矢を射た。
矢がまっすぐにたけるまで走っていく。その軌跡から風が呼び起こされ乾いた砂を舞い上げる。
ひゅんっ! と風を切る音が一瞬にして耳に届く。梓へ射った余韻を残す。
たけるに対しては回避や防御の隙も許さない。矢は一気に距離を狭め、対象を守る視えぬ壁の一点、見事に突き刺さった。そこから徐々に広がる罅が、梓にもわかった。そしてがらがらと音を立てて、壁が崩れて行く。
射った! 梓は弓をゆっくりと下ろしながら、すべてを終わらす一矢を放てたのだと、確信した。
「お……? お?」
そんな余韻にひたるのも許さず、地面が揺れる。地割れ? いや違う、空間が消えるのだ。たけるの防護壁を破壊したことで、たけるの神力を尽きさせたのだ。そして空間を作る力も保てなくなって、今この場にいる者達を現実へ引き戻していく。
空が切り開かれる。曇り空の雲がぱっと取り払われ、澄み切った青空が現れる。そのそらもまた、ドームの天井が開かれるように、空間が切れてゆく。
梓は視線を上へ移動させた。見慣れた天井がある。学校の廊下だ。保健室のドアを開けた瞬間に、今回の空間が生まれたのを、今更思い出した。
「さすがだ、梓」
かもは黒弓から柴犬に戻る。すでに日が暮れかけている。下校時刻の音楽が流れた。音楽が、現実に戻ってきた感覚を梓に戻させていた。
「たける……ちゃん」
目の前にへたり込んでいるたけるに、梓は手を差し伸べる。
「帰ろう。家まで送るから」




