狼さん、味方ですか?
たけるの視線が梓から別の何かに映る。
梓の目の前に、青い一頭の狼が立っていた。ミツミネだ。
「ミツミネ、そこをどきなさい。斬れちゃうよ」
「申し訳ありません、主。これ以上従うことはできません」
「……いつから悪い子になっちゃったのかな」
「少し、考え直しませんか。私はこのやり方に疑問を持ち始めました」
「み、ミツミネさん」
「今まででくの坊で申し訳ありません。手遅れになる前に、動くことができてよかった」
青い狼の瞳は穏やかだった。
「主よ、この方法を試した場合、一人の人間が犠牲になることを知らぬ貴方ではあるまい」
「犠牲? 誰にもならないよ。この子は永遠にのんびり眠るだけ。タチバナが生き返るだけ。邪魔な弓矢は川にでも返しちゃえばいいね」
「ここの梓譲はどうなるというのです! 彼女はタチバナ嬢ではない!」
たけるの表情が消えた。日本刀を持った右手はぶらんと下がり、冷えた眼差しがミツミネに向けられる。タチバナのことは禁句だったんだろうか。
「聞き分けの悪い子は、しつけし直さないとね」
たけるは容赦なくミツミネを蹴り飛ばす。小さな体はそのまま火中へ吹っ飛ばされた。
「み、ミツミネさん!」
梓は叫んで動向を見守るしかできない。
あの炎の中に突っ込んだら、いくら眷属といえど無事ではすまない。
内心穏やかな気持ちを保てない梓は、ミツミネの無事を祈りながら火中を目指す。人間の小娘に何ができるんだろう。何もないことはわかりきっていたが、それでも動かずにはいられない。
「君は大人しくしていてね」
首筋に刃物が添えられる。動いたら斬られる。間違いなく即死する。血の気が引いた。
「……っ! てめえ、梓に手を出すな! ぶん殴るぞ!」
「弦が切れた状態で何ができるの? いいからそこで這いずってれば?」
たけるは目線だけかもに向ける。憐みの色がにじんでいた。
すると、突如炎の壁から何かが飛び出してきた。ミツミネだと梓はすぐにわかった。
煤だらけで少々火傷を負ったその小さなからだは、飼い主に飛び込んできた。
「な……っ! 血迷ったのミツミネ!」
ミツミネは答えない。たけるの左手に食らいつき、牙で手中のものをかじり取っている。
「それを返せ!!」
たけるが無造作にミツミネを振り払う。今度はきちんと着地できたようだった。
「ミツミネ! なんてことを!」
「……」
たけるは激昂する。左手に握り締めていた髪飾りをミツミネに奪われたのは致命傷だったらしい。ミツミネは黙ってそれを梓に渡す。口に加えられた、少し古びた髪飾りが、梓の手に落とされる。
「ッ、この駄犬!!」
感情を制御できなくなったたけるは、刀を大きく振りかぶる。
このままではミツミネが斬られる。真っ二つの狼なんて見たくない。
梓は身の危険も顧みず。足の痛みも気にせず。この先どうなるかなんて全く頭になく。
ただ一身に、ミツミネを傷つけまいと、たけるに立ちはだかった。
(刀で斬られるって、想像以上にすっごく痛いんだろうなあ)
そんなことをのんきに考えていた。無謀にも立ち上がって、髪飾りをお守り代わりに握り締めて、でも自分が斬られる瞬間なんて見ていたくないから瞼はきつく閉じる。痛みが襲ってきても耐えられるよう、歯を食いしばり、ミツミネとたけるの間に滑り込む。
「梓!!」
喉がつぶれるような、かもの叫び声が、聞こえた。
頭から胴、胴から足へと、大きな衝撃が走る。肌を滑るようにして薙ぐそれは、一瞬の強い風にも似ていた。不思議と、痛みを感じない。
だがそれもどうやら錯覚だったようで、風の感覚の次に、焼けるような痛みが迸った。自分は、たけるに斬られたんだ。そう気づいた梓は、瞼を開く勇気がなかった。
そのまま後ろへとバランスを崩し、倒れ込む。
「梓ああぁぁ!!」
かもの悲鳴だけは、意識が薄れていっても、よく聞こえた。




