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ともだち、のはずですけど…。

 周りの迷惑を顧みない、あまりに恐ろしい提案であった。


 もちろん梓はそれを承諾できるはずがない。

 血の気が引くのを感じながら、梓はとりあえずたけるの話に耳を傾ける。


「知ってる? モノには魂が宿るんだよ! タチバナはこの髪飾りをとっても大切にした。その心が、この髪飾りには宿ってる」


 たけるは手のひらの髪飾りを梓に見せつけた。

 体をこわばらせながらも梓はそれを視認する。

 髪飾りから、薄黄色の光が輪郭を照らしている。これがみたまに通じるものなんだろう。


「わかる? きみなら視えるよね? 髪飾りには、確かにタチバナの心が宿ってる。触れるだけで感じるよ、あのこの心が。あのこの魂ともいえるものが! 


 だけどね、これはあまりに窮屈すぎる器だ。髪飾り一つだけじゃ、タチバナの御霊は溢れてしまう。

 そう、人間くらいの大きさならちょうどいいんだよね。そんなに大きくなくてもいいから、女の子がぴったり」


 たけるの無邪気な笑みは、梓にとっておぞましいものでしかない。


「そう、背丈も同じくらいだし、顔立ちもきれいな髪もまるで瓜二つだ。


 きみなら、タチバナの器にぴったりだよ」


 梓は本能で後ずさる。一歩だけ距離を置いたが、この一歩がいかほど勇気づけてくれるものか。


「二年前、きみを初めて見た時、本当にびっくりした。まるでタチバナが海から自力で這い上がって、陸に戻ってきたみたいだったもん。あの時は絶望のどん底にいたんだよね、僕。タチバナを探して探して、もうあきらめかけた時だった」

「……わたしが?」

「そう! 顔立ちやしぐさ、髪先や笑顔や振舞い方、声に口調にすべてがすべて! タチバナそのものだ! でもタチバナとは全く違う赤の他人だと知った時はもう一度絶望に落とされた。そして一つの結論に至ったわけ。


 タチバナの御霊を、きみにうつせばいいんだって!!」


 たけるの興奮気味な声は、この空間によく響いた。笑顔は狂気に染まっているように、少なくとも梓には思えた。

 そしてたけるの説いた方法が、梓の存在を脅かすものでしかないと、当然のごとく直感した。

 

 そっと青い狼――ミツミネを伺う。難しい顔をして、飼い主の演説に耳を傾けている。味方にならなくてもいい。せめて中立の立場に転じてくれれば、梓にもわずかな勝機が見えて来る。ミツミネと目が合った。申し訳なさそうに耳が垂れる。


(あ、かもさんに似てる)


 頭がのんきなことを考え始めた。現実逃避しかけている。本能は恐怖にまみれていたのだ。


(ミツミネさんとかもさん、一緒に生活したら、喧嘩ばっかりするのかなー。でもなかよくなりそう…………そうじゃなくて!)


 梓はぶんぶんと頭を横に振る。今すべきは現実逃避ではなく身の安全の確保だ。


「大丈夫、痛くないよ。タチバナの器になったら、きみはまどろみの中で漂うんだ。

 一生目は覚めないけどね。苦しくないから平気だよ?」

「ぜっ、ぜんぜん、へ、平気じゃありませんっ!」

「どうして? もしかして苦しい方が好き?」

「そういうことでもありませんから!」


 強がって叫ぶ声もひどく震えている。このままでは、永遠に眠らされる。

 タチバナと入れ替わり、梓という存在が封じられてしまうのだ。


 それは要するに、死んでいるのと同じだ。冗談じゃない! 梓の顔は怒りと恐怖で歪んでいた。

 一人で何ができるだろう。自分の力は巫女の力だ。敵を油断させておびき寄せるにはもってこいの体質だが、今はその力が恨めしい。


(今わたしにできることは一つだけだ……。立ち向かっても勝てるわけがない……)


 この時、梓は目の前のたけるから発せられるオーラを、はっきりと感じ取った。

 さっきまで気づかなかったのは、おそらくたけるが巧妙に隠していたからだろう。感情が高ぶってそれらが漏れたのだ。


 よし、と梓は気合いを入れて、一度深呼吸する。


「変な子だなあ。ただちょっと永遠に眠るだけなのに、何が嫌なのかな」


(だめだ、たけるちゃん……いやたける君か!? 

 いやそうじゃなくて! この人と分かり合うのは無理だ! 価値観が違いすぎて近寄れないっ!)


 ミツミネに助けを求めたい衝動に駆られるが、たけるの眷属として仕えるその者には無理な話であろう。こうなったら何にでも縋りつきたくて仕方がないが、ミツミネに期待するのは酷だ。


 梓はたけるの言葉も聞かず、踵を返してそのまま駆けだした。


「あれっ?」


 たけるの間抜けた声が聞こえた。だが梓は気にしない。


 今自分のなすべき最善は、たけるから逃げることだ。そしてできればここから出ることだ。


 この空間に迷い込んだ以上、いずれにしても立ち向かわなければならない。梓は最初から悟っていた。


 だがそれは今である必要もまったくないことを知っている。

 一人で立ち向かうには、たけるはあまりに強敵過ぎる。綿密な作戦を立てなければ、勝機はない。


 勝つにはどうすればいい? かもを呼び寄せるには、どうすればいい? ミツミネを中立に持っていくにはどうすればいい?


 走りながらそんな風に考えている。梓はとにかくたけるとの距離を開かせた。部活のない日は早く帰ることができた。いつも炊飯器のスイッチを押してすぐ、かもの散歩に付き合っていたのが、今になって効果が表れたんだろうか。三十分ほどの短い早歩きの運動がここで生きてきた。


「もー、待ってよー。友達じゃーん?」

「と、友達は友達に、し、死ねって、いい、ませんっ!!」

「言ってないよ」

「言ってるような、ものですー!」


 たけるの声が後ろから聞こえる。まだ遠い。距離はまだ開ける。梓は止まらず、まっすぐ走る。


 周囲は何もない。薄暗いが視界は良好だ。蹴つまづいてすっ転ぶこともない。


 だが何もない状態では、身を隠す場所もないということだ。

 逃げ切ることが身をひそめる一番の近道だが、それまでに梓の体力が持つかどうかが不安なところである。


 今の梓には、逃げることしか残っていない。


(お、桜花ちゃんと一緒に運動しとけばよかった……)


 走る中、梓は小さい頃からの友人を思い出す。昔から動き回ることが好きなその少女は、棒きれを振り回しその地区一番の広さを誇る小学校の校庭を縦横無尽に駆け回り、男子に交じって球技にのめり込み、果ては中学高校と続けている剣道部では確かな成績を残してきた。対する自分は運動音痴で取り柄と言えば料理と掃除の腕くらいのものだ。洗濯も得意であるが、これだけは父に負ける。


(あ、明日からもっとちゃんと体動かそ……)


 命の危険、存在を脅かされている最中だというのに、こんな能天気なことを考えられるのはどうしてなんだろう。

 梓は考えに考えを重ねながら走っている。後ろを振り向く余裕はなくとも、どうでもよいことばかりは頭のなかで消えてくれない。


 振り切ったと信じて、梓はスピードを緩めていく。後方から聞こえたたけるの声は、もうこちらまで届いていなかった。振り切った、そう思いたい。梓は呼吸を整えて、歩いていく。

 喉がひりひりと痛みを覚えていた。呼吸するたびに喉がひりつく。心臓がどきどきして、足が少し笑っている。急に止まったら、そのまま前へ倒れてしまう。長い黒髪はふり乱れ、整えることもままならない。


(とにかく、何か方法を探さないと)


 何か自分にとって有利な武器になるものはないだろうか。そう思って祈るように周囲を見回しても、文字通り何もなかった。

 そもそも状況は圧倒的に不利である。梓の体質である巫女の力は、妖怪や神々を引き寄せる力を持っている。この体質が生きていると、少なくとも人間ではないたけるはそれを辿っていずれはここを暴くだろう。


(あ、でも。それならかもさんも同じ……かな?)


 かももまた神の一柱であるならば、梓の体質を頼りにここまでたどり着けるかもしれない。確証はないが、今のところその可能性に頼るしかないのも現実だった。


(なら! わたしがやるべきはひとつだけ。かもさんがここに気づくまで逃げるだけ。探しやすいように動かなければ)


 死にたくない、家に帰りたい、桜花に部活で作った残り物をおすそ分けしてあげたい。そんなありふれたわがままを達成するために、梓はたけるに立ち向かうことにする。


(どうすればかもさんはここまで来てくれる? いや、頼りっぱなしもダメだけど、いや一人でしょい込んだってぜったい負ける!)


 梓の息が整ってきた。座り込んでいた自分を叱咤して立ち上がる。


(……あ、ここが夢の中じゃなくて、現実に作られた空間なら、出入り口があるはずだよね?)


 ふっとそんな考えが思い起こされた。


 二度目にミツミネと邂逅した際と今の状態はよく似ている。空間は夢で観たものに似ているが、現在梓は目を覚ましている。

 夢ではないのだ。


 ならば、どうにか出入り口を探すことが最優先だ。相手に閉じ込められる前に、出口もしくは入り口を見つけ出し、現実に一度避難するのが一番だ。現実に戻れば、かもも自分を見つけやすくなる。かもを呼んでもここへ来てもらえないのは、たけるによる差し金だろう。

 梓はそう決め、用心深く何度も周囲を確認する。幸いなことにたけるはまだいない。だけれどそれがいつまでもつかも定かでない。

 ここにいると発覚するまえに、すぐ別の場所、隠れるに最適な場所を求めて、梓は彷徨っていく。


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