知恵の神様と、お話しましょう。
「ひえっ!」
不意を突かれた形になってしまったせいか、梓は跳ね上がった。
さっと振り向いたそこには、柴犬を連れた(言うまでもなくかもである)梓よりも小さな少年が立っていた。
色素の薄い髪は適当に結われ、薄手の着物の上にくすんだ赤色のどてらを着ている。
右手に分厚い本を、左手にはくしゃくしゃの紙袋が抱えられている。
「柴犬さんよ、この子が例の?」
少年は足元の柴犬にそうたずねた。
「うむ。俺の呪詛を二本もほどいた実力者である。名は梓ってんだ。かわいいだろう」
「髪と姿勢はよろしいね」
適当に返した少年は、本を脇に挟んで紙袋から何かを取り出す。
中身は干し芋だった。
「……えーっと」
どう話を切り出したらいいものやらと、梓は首をかしげる。
そういえば、かもはオモイカネという神が大の干し物好きだと言っていた。
「あ、その……あなたが、オモイカネ……様ですか?」
「うむ。オモイカネは俺だよ。かもの言う珍しい人間というのは君のことか」
「珍しいんでしょうか」
「だいぶね。俺ら神々を視れる人間なんてそうそう見つかるもんじゃないからさ。神社づとめの人間でもないかぎり」
「かもさんも、そう言っていましたね」
かもは梓の足下に戻る。
「あっ、そうだ。よかったら、これ……。お嫌いじゃなかったら、食べてください」
相手の話のペースに持っていかれる前に、梓はレジ袋からお菓子を取り出した。干し芋と干し柿の詰まったセットである。
オモイカネはそれを見ると明らかに目の色を変えた。
「なぬ。お嬢さん気が利く! 俺の好物じゃないか! ありがたい」
「えっと、かもさんが、オモイカネさんの好きなものとうかがっていたので……」
「それでも聞かなかったことにすることだってできたのにわざわざ持ってきてくれるなんて……! かも、お前さんたまにはいい人間連れて来るもんだな」
「あったりまえよう。なんたって俺はかも様だかんな。たまにじゃねーだろ」
目を輝かせてオモイカネは菓子を受け取った。
大事そうに紙袋へ仕舞って、改めて梓に向かう。
「立ち話も何だから、場所を変えようか。苦い茶くらいは出すよ。おいでなさい梓お嬢さん」
ひらっと踵を返すオモイカネの足取りは、わずかに弾んでいた。
ついておいで、と声をかけるオモイカネの後を梓が追う。
ゆっくり歩くオモイカネについていくと、周囲が林の中へと変化した。
木々が優しく囁き風を吹かす。置いて行かれないように、梓は時々小走りでオモイカネの後ろを目指す。
数分ほど歩いて小走りしてを繰り返す。
すると周囲は林ですらなくなった。
「あれっ?」
梓は立ち止まってあたりを見回す。
木々も風もない。落ち葉も小石もない。
足が踏む地は土とは違う感触を味わっていた。
あたり一面は紺色に染まり、オレンジのぼんやりした光がぽつぽつと並んでいる。
さらに奥を目指すと、オモイカネが待ち構えていたように立っていた。
その背後には、小さな社がある。
「ようこそ、俺の秘密基地へ」
「ひ、秘密基地? 神社は? ここはどんな場所なんですか?」
「ここは神々の住処みたいなもんさ。そしてとりわけ引き篭もっていたい時に使う場所でもある。秘密基地とか砦といえばいいんだろうか。事前にかもから少し事情を聞いていたが、参拝客はもちろん神職にもおいそれと聞かれるわけにはいかないようだったから。用が終わったらきちんと帰すよ、安心おし」
こちらへ、とオモイカネが梓を案内する。目の前の戸が自然に開かれた。
その先もまた、オレンジの明かりともっている。
一歩先をオモイカネが歩き、追うように梓が続く。
梓とかもが中に入ると、戸がひとりでに閉まった。
「うわ」
「一時的に閉じ込められてる状態だけど、心配いらない。取って喰うわけじゃないからさ」
「はい……。お邪魔します」
灯りが若干心許ないためか、梓は少しだけ怖くなる。
だがここで怖がっていても仕方がないと、少しでも勇気を奮い立たせた。
オモイカネが座布団を敷いて梓にすすめる。自分も座布団の上に腰を下ろして、深く息を吐いた。
「さて、どっから話してもらおうかね」
オモイカネに頼まれるまま、梓はかもの言葉に手伝ってもらいながら、これまでのことを全て話した。
本当はあれこれと口を滑らせるのは気が引けたが、かもの「こいつは極めて変人……変神か、だけど敵じゃないよ」という言葉を信頼することにする。かもは調子に乗ったり乗せたりすることはあっても嘘をつかない。
まず梓は、かもが変化していた(厳密に言えばさせられていた)丹塗りの矢を拾ったことを話した。
それに続くように、これまで起こってきた、本来ならば経験することのないであろうできごとをオモイカネに打ち明ける。
青い狼が自分を狙っていること、どうして自分を狙っているかがわからないこと、狼の飼い主のこと、緑の巨人にかもの呪詛、どういうわけか、誰にもできなかったかもの呪詛をよりにもよって自分が二度もほどいたこと、そして先日自分が体を壊したこと。
きちんと正座してたどたどしく話す梓の前に、いつの間にか緑茶が置いてあった。
「まあ、話の合間にお飲みよ」とオモイカネが差し出してくれた。
梓は好意に甘え、ちびちびと喉を潤しながら話している。
一方のオモイカネは、聞いているのか聞いていないのかわからない。
目を伏せて時々頷くが、ひょっとして船でも漕いでいるのではと疑わせる。
かもがオモイカネを前脚でぺしぺし叩いてみると、「聞いてる聞いてる」と返ってきた。本当に聞いているんだろうか。
「……わたしが話せるのは、これくらいです。その、自分がここから連れ去られないために少しでも力をつけたくて、えっと、できれば、オモイカネさんにアドバイスを貰えたらなあって……」
梓が遠慮がちに締めくくる。とうのオモイカネは、紙袋から干し芋を取り出してかじった。
咀嚼しながら考えを巡らしている。その考えもすぐにまとまったようだった。
「うむ、君からもらった情報を整理してみた。とりあえず、俺に強力できることはしよう」
飲み込んで告げる。梓はほっとした。この神様も味方になってくれるんだ。
「ほんとですか?」
「うん。でも全部はできないよ。あとはかもと一緒にがんばってもらうしかない」
「それでもいいんです。わたし、自分の力を強くしたい。強くして……かもさんのお役に立ちたいし、立つことで狼さんを追い払って、自分を守れることにつなげたいんです」
「……よし、君の言わんとしていることはわかった。ならばそれに応えるのみだ」
オモイカネはぬるんだ緑茶をずずっと飲んだ。
「あの……こんな言い方は失礼ですけど、どうしてわたしに協力してくれたんですか?」
「八百万の神ってのは人間大好きだから。ま、お嬢さんは昔来た参拝客のよしみだからね」
「それって、わたしの母のことですか?」
「おお、よくわかったね……いやあらかた察しはつくか。
きみの母上はね、結婚して間もないころに、ここに参拝に来てたのさ。
何か君には見覚えあると思ったら、そうか……彼女の娘だったのか」
オモイカネはひとり納得する。
「……あの、」
「ああ、ごめんごめん。懐かしくなっちまった。
その母上殿がね、結婚して子供が生まれたとき、また来てくれたのさ。生まれたばかりの赤ん坊を抱いて」
やっぱり、と梓は腑に落ちた。この神社に参拝したときの既視感はそれだったのかもしれない。
赤子の頃の記憶なんて大したものではないかも知れないけれど、前にも来たことがあったのは本当なのだ。
「この子にもしものことがあった時は、どうぞよろしくってさ」
オモイカネが懐かしげに話す。緑茶をすすって、また干し芋をかじった。
彼の語った母の言葉が、梓にはどういう意味を持つのかわからない。
母は、梓にどんなことが降って来ると予想していたんだろうか。
あの狼とその飼い主のことも、わかっていたんだろうか。
そして考えることがある。生きていたら、今の梓にどんな助言をくれるだろうか。
(い、いけないいけない!)
梓はその考えを振り切った。母親との死別はすでに折り合いをつけたはずだ。
小学校に上がる直前で事故死した母。
もう会えないし、言葉をかけてもらえないし、美味しいご飯を作ってもらえない、頭を撫でてもらえない、名前を呼んでもらえない。そんないいようもない悲しみは、とっくの昔に吹っ切れたはずだ。今更母親にいて欲しいなんて思うことはない。
「ん? どうしたね」
「い、いいえっ。その、ちょっと母を思い出して……」
「ああ、亡くなったんだよな。辛いことさせちまったな、悪かった」
「いえ、母のお話が聞けて、今はとっても嬉しいです。思い出、あんまりないから」
「そうかい。でも辛かったら言いなさい。俺は遠慮なしに言っちまうから、誰かに突っつかれないと止まらないしさ」
「安心しろ、その時は俺が全身でぶつかって止めてやる」
「あんたの今の状態でソレやられても大して痛くはなさそうだ。犬だし」
「犬なめんなよ。タックルしてくる犬をみてあまりの愛くるしさに呼吸困難になっても知らんからな」
「俺、猫派だから」
「この裏切り者!」
「あんたと協定結んだ記憶はない」
オモイカネはぺしんっ、とかもの頭を叩いた。
「……話がそれたな。こいつがいるとなぜか最低でも脱線するから困る」
「おい、俺のせいにすんなよ」
「うるせえお前頼むから静かにしてろ。
……で、その母親だが、君がいずれはこういう事態に巻き込まれることはわかってたんだと思う」
「やっぱり……。神社に来て、お願いしますなんて、何もなければ言わないですよね」
「お礼参りで参拝ってのはよくあることだけど、その線はきっと薄いな。
ここ、出産にかかわるお守りも売ってるけど、一番の売りは知恵と学問だからな。あ、君の家って引っ越しとかした?」
「引っ越し? いえ、してないと思います」
「周りじゅう田んぼだらけのとこで合ってる?」
「はい。……どうしてわかったんですか?」
「神様はなんでもお見通しだから」
冗談なのか本気なのかわからない。
「こっちの地に引っ越してきたならまだわかるけど、その地から離れてないなら、わざわざ遠すぎるここへ来るよりも、あちらの神のもとへ行くのが普通だろう。なのにあえてこちらへ来たのは、俺に用があったということさ。俺のほかには、ここに祀られてる神々にだな」
オモイカネは言葉を一旦きる。
「……ああ、そうだった。
君の母上がここへ来る少し前、そちらの神から伝言を預かっていたんだった」
「伝言? そちらというのは、わたしの住んでる地域の神様ですか?」
「そうそう。コウノトリの姿した神でね。安産とか子宝とか、出産にかかわる神なのさ。
そいつが言ってたんだ。もうすぐ赤子を抱えた娘がくるから、よろしくしてやれってよ」
「それが、母だったんですね」
「今にして思えばそうだな。…………いい子だったなあ」
オモイカネがふっと物思いにふける。
「……お母さん」
梓もつられてしんみりしてしまった。
「おいオモイカネ、あまりしんみりさせるな。梓が思い出すだろーが」
「おおっと、失敬。やってしまったよ。
……んで、何が目的だったんだっけ」
「忘れんなよ本の虫。梓の視える力を強くして、よりよくしようって話だろうが」
「あ、そうだったそうだった。悪いね」
「本当に悪気があるなら俺の前で服従のポーズしろ」
「俺、猫派だから」
「犬派猫派関係ねーだろいい加減にしろ!」
「いい加減にすんのはお前だ柴犬。お前なんぞ俺様の知恵の手で整った毛並をぼっさぼっさにしてやろう」
「干し芋食うぞこの野郎」
「食べ物の恨みは末代まで帰してやろう」
「上等だよコラ。うちの孫は伊達に鍛えてねーぞ」
「その孫からも愛想尽かされたジジイが何を言うよ……」
「てめえオモイカネ、貴様このかも様に向かってジジイとな」
「孫が生まれりゃ自動的に男はじじいだ」
「…………ぷ」
「ぷ?」
かもとオモイカネはその声をたどる。梓がおかしそうに笑いをこらえていた。
「ふ、ふくく……っ! はは、あはは……」
「何だよぅ梓、笑うことないじゃないか」
「すみません、仲よさそうで、楽しくて……」
「仲良くねーよお嬢さん。俺こいつ嫌いだもん」
オモイカネはかもをつまむ。
「そうだぞ梓、オモイカネと俺は犬猿の仲だかんな。そこんとこ訂正頼むぜ」
「はい、そうですね。仲の悪い神様ですね」
あっさり認める梓の表情はまだ笑いに満ちていた。




