知恵の神様、頼りましょう。
電車にゆられて一時間。
いつも利用する電車とは違い、梓が今乗車している電車はどこか古風だった。
改札口はいまだ手動、電子カードも使えない。
一時間に数本しかないその鉄道で、梓はのんびりと変わりゆく景色を眺めていた。
ことの起こりはかもの一言。この地の神の協力をあおぐと言ったものだ。
梓の住む地域に広く祀られている神は、この電車の終電より少し前を行ったところに祀られているという。
交通の便は少し悪く、一本乗り遅れたらその次は三十分は待つことになる。
土曜日ということもあって、梓の自由時間は多い。
普段なら家の掃除とかもの散歩で半日を費やしてしまうが、今回は早めに切り上げた。
掃除も少し父に負担してもらったのがよかったんだろう。
父には少し出かけて来ると言っただけだ。
心配するといけないから、行先も念のため伝えておいた。首を傾げた父だったが、帰りが遅くなるようなら連絡するから、と言い含めて納得させた。
「いつも見ていたが、電車ってのは便利だねぇ」
梓の鞄に提げられたキーホルダーから声がする。
さすがに電車内で犬を連れて行けないので、今はキーホルダーとしてかもは変化していた。もちろん、かもの声は梓にしか聞こえない。
「神様は電車を使わないんですか?」
「うむ。神ってのは基本的に飛べるからな。飛ぶというよりふよふよ漂いながら遠くへ行くもんだからさ」
「空も飛べるんですね。ちょっとうらやましい」
「はっはっは。何も考えずにふよふよしてんのは気持ちが良いぞ。……そうか、神にとって空を飛んだり浮かんだりするのは普通だけど、人間にしてみれば珍しいことか。いやまず経験できる機会自体が存在しないもんなあ」
「初めて空を飛んだ時は、どんな気持ちでした?」
「楽しかったぞ! 後に待つ神事をほっぽり出してこのまま寝てたいくらいにな! ちなみにその後サボろうとしたのがバレて嫁にとっちめられました」
「お仕事をサボるのはよくないですけど……それくらい、楽しいものなんですね」
「おぉよ。梓も力を得て、ちゃんと使いこなせばいつかは飛べるようになるぞ。時間は結構かかるけどな」
「はい。良いですね、それ。狼さんと飼い主さんがわたしを諦めてくれた後は、そんな目標を持ってがんばりたいです、けど……こんな邪な気持ちを理由に力を手に入れようとしてもいいんでしょうか……」
「構わん構わん。悪さしなけりゃいいのだよ。それに、梓のその気持ちに邪なモンは一つとして入ってない。安心していいぞ! 自力で空を飛びたいって気持ちは人間ならだれもが持つ目標だかんな!」
かもは自信満々にそう答えてくれた。
この神はやや自信過剰ではあるが、梓の考えを否定することは決してなかった。
だからなのだろう、梓はかもがそばにいてくれるとわかると、とたんに安心するのだ。
「しっかし、キーホルダー相手に話しかけてる娘ってのは、はたから見りゃおかしいとは思うんだろうけど……」
かもの声が少し低くなる。
「この車両、ものの見事に誰もいねえ」
乗車した車両には、梓とかもを除いて誰もいない。
隣の車両にはまばらに数人いるだけで、そもそもこの電車の乗客自体が少ないのだ。
「これなら喋り放題ですね」
「いいねえ。遠慮せず喋れるってのは嬉しいもんだ」
「えへへ。ところで、これから行く神社の神様は、どんな方ですか?」
「ああ、知恵の神だよ。頭が切れて先を見通す力が優れている。俺ほどでもないけど」
「知恵……」
「聞いたことないか? 太陽の神が引き篭もって世界が暗闇になった神話」
かもの話を聞いて、ああ、と梓は頷いた。その話には聞き覚えがある。
母が絵本で読み聞かせてくれていた。母の記憶がここで蘇ってくるなんて。
「はい、あります。えっと、確か宴会して賑やかにして、神様の興味を引いたんですよね」
「そうそう! 美人の姉ちゃんが脱いで踊ってな。それでな、この話で太陽の神を引っ張り出す策を出したのが、今回会いに行く神ってわけだ」
「へえ……。知恵の神様かあ」
梓は会ったことのない神に対して想像を膨らませる。
知恵の神というとなかなかぴんと来ない。
男か女かもわからない。
気難しい性格か、それともかものように陽気な神なのか。
体は大きいか小さいか。まだ見ぬ神との出会いを、そうして静かに期待する。
「あっ、かもさんはその神様とお知り合い、というかお友達とかだったりしますか?」
「うーん、あんまり話はしねーんだよなあ。っつうかオモイカネ……ああ、その神な。そいつ自体誰かと会うことがほとんどないんだ。外にも滅多に出ないし、出たとしても図書館に入り浸ってるし」
「な、なぜ図書館……」
「最良の知恵は知識の多さで決まるってのが奴の主義みたいなもんでな。定期的に図書館で知識を詰め込みまくってるわけよ。
あのちっせえ頭ん中に」
「小さい方なんですか?」
「梓より小さいよ。体格は小学生のガキくらいだな。
……あ、そうだ梓。ちょっと頼みがあるんだが、いいか」
「はい、何ですか?」
「電車下りたら、オモイカネに会う前に、干し芋か干しブドウかの干し物を買っていってくれないか?」
唐突に、かもが頼みごとをしてきた。
「コンビニのお菓子売り場の干し物でもいいですか……?」
「構わん構わん。あっ、俺が食うんじゃないぞ! オモイカネの差し入れさ。
あいつ干し物大好きでねえ。梅干しとか干し杏子とか干し柿とか干し桃とか暇さえありゃ食ってるんだよ。味方につけるにはまず食い物で、ってね」
「は、はぃ……? 神様って、そのぅ……お酒とか飲むものじゃ……」
「酒はみんな好きだぞ。中には酒に弱い珍しい神もいるが、八百万の神々は酒に強いし大好きだ。
でも成人してない梓が酒屋にいったらまずいだろう。親父さんのプレゼントって言い訳きかねえし」
「そうですね……。かもさん、そこまでお気遣い頂いてたなんて」
「いやなに、これくらいどーってことないさ。もっと褒めていいぞ!」
梓はかもとの会話をつづけながら、変化しているキーホルダーを撫でた。
かものくれた情報によると、これから会う神の名はオモイカネ。
この間ちらっと読んだ事典に、その名前を見つけた覚えがある。
流し読みだったから内容はほとんど覚えていないのだけれど。
梓の思い描く知恵の神といえば、身長が高くてすらっとしている体格の、落ち着き払った雰囲気でありながらちょっと偏屈な性格、というイメージであった。参拝したこともない自分が勝手に想像した産物であり、余計な妄想はこれ以上しないよう努めてはいたが、それでも期待というのは留まることを知らず。
かもの紡ぐオモイカネを描く要素は、梓の想像を最初からひっくり返すに等しかった。
「うーん……神様って考えてたようなのと、随分違うんですね」
「そんなもんさ。
だけどよっぽど意地悪な神でもない限りは、俺たち神は人間が大好きだからよ。そんだけは変わらんし、理解してほしい」
「はい。かもさん見てると、よくわかります」
「うむ、いい認識だ梓! 電車下りて犬に戻ったら存分に撫で撫でしていいからな!」
雑談をしているうちに、目的の駅まで到着した。
梓の住む地域は人が安心して住めるように、道路の整備や交通の便がしっかりとしている(といっても、梓の家はその空間からやや離れた場所に位置しているため整備が行き届いている限りではない)。対してこちらは、同じように整備してあっても、人が住んでいるような雰囲気を持たなかった。土曜の昼前だというのに人気はほとんどなく、自動車がたまに走り去るだけだ。
(わたしの家の周りって田んぼだらけだし、道路せまいし、同じようなものかな)
梓は駅を出て周囲の景色を見渡した。やはり人気は少ない。
駅のすぐ先に、目的の神社がたたずんでいるのを見つけた。
木々に守られ存在するその空間に、梓は懐かしい感覚を味わった。
「こっち来るのは初めてか?」
柴犬に戻ったかもが聞く。
「はい。わたし、こっちに来たことないんです。でも不思議と、初めて来た気がしないんです。
遠い昔、出会っていたような気持ちになります」
「そうかぁ……。もしかしたら、梓のおふくろさんが生きていたときとか、梓がまだ赤子のときとか、ここに来てた可能性もあるな。
もしかしての話だけどな」
「そうだったら、とても素敵ですね」
「おお、わかってんな。……さて、行くとしますか。神社の参拝くらいはしたことあるだろ? まずは手水舎で手と口すすいで、参拝しよう。特別なことは何もしなくていい」
「はい。……あ、犬を連れていいんでしょうか……」
「なあに問題ない。この俺はなんてったってかも様なんだからな」
ふんっ、と鼻息を荒げて、かもは姿勢正しくお座りする。
「あの……他の方が見たら、女子高生が犬を連れているようにしか見えないんじゃ……」
「それも問題ない。神社には神がいる。俺も神だ。神と神同士ならお互いに認識できるさ。
それに、神社におつとめの神職ってのは、基本的にこの職についたら必ず視える人間の側になるんだよ。だから多少は見逃してくれるだろうさ。こっちの地の人間はおおらかだと信じるぜ俺は」
「あ、そっか。神様のお家におつとめしてる方たちですもんね」
「そーそー。何だ、わかってんじゃん。さすがだ梓」
「いえ、それほどでも」
梓は案内板を確認して手水舎に行く。水と口をすすいだあと、ご本殿へと歩いていく。
(やっぱりここに来たことあるんじゃないのかな。どこかで見たことあるような……)
梓は境内を歩いていく中で、そう考えずにはいられない。
県内の違う神社へ参拝したことは多々あるため、その時の記憶と混同している可能性があるかもしれない。
だけどそれらの記憶をたどっても、やっぱりこちらの神社は雰囲気が違う。
というより、絶対にいつぞやかにここを見たという記憶が強烈なのだ。
「梓?」
かもに呼ばれて、梓ははっとする。
「あ、ごめんなさい。ぼーっとしてました」
「考えごとか?」
「はい。この神社、前にも来たことがあるような気がして」
「なるほど。ひょっとしたら、オモイカネが覚えてるかも知れんな。これも聞いてみようか」
「神様、覚えてるんでしょうか」
「あいつは覚えがいいからな。参拝してきた人間は忘れるのが大抵だけど、あいつならもしかしたら……。聞けばわかることだろうさ」
本殿でお参りを済ませた梓はもう一度境内を見渡す。
本殿に刻まれた虎、そこから時計回りに本殿をうかがうと、猿やフクロウ、龍が刻まれている。
本殿を通る途中で小さな社を見つけた。そこから漂う気配が人間の発するものとは明らかに異なるのを、梓はひしひしと感じていた。そこにほんの少し恐怖心はあったけれど、基本的に害意はなく、どちらかというと厳格かつ優しげなオーラに近かった。
植えられた銀杏の木はまだ季節でないため、見ごろでないのが惜しかった。
「オモイカネを呼んでくるか」
「どうやって……」
「ちょっと待ってろ。すぐ連れて来てやっからな」
そういうとかもは柴犬の姿からカラスに変化した。
ぼんっ、と子犬を覆い隠すに足る少量の煙を発生させ、煙が晴れたころにはすでに艶やかなカラスになっていた。
「ふっふん、やっぱカラスの姿はしっくりくるな」
「犬の姿ってしっくりこなかったりするんですか?」
「や、そんなことはないぞ。犬はもちろん良い! 合法的になでなでしてもらえるからな。
だがやっぱし、俺にはカラスの方が一番いいみたいだ」
「それじゃこれから鳥系の生物に変化します?」
「そうしたいのもやまやまなんだが、鳥より犬の方が何かと便利だからな。
散歩で外に出られるし毛皮あったけえし、何より人間に撫で撫でしてもらえるのは大きいからな!」
結局そこなんだ……、と梓は心中ため息を漏らした。
「……いけねえ、話が脱線した。俺がお喋りすると本題が消え去っちまうからなあ。連れて来るからちょっと待っとれ」
「は、はい」
カラスはさっと飛び立つ。本殿の高さほどにまで飛んで近辺を漂う。
梓はじっとかもを見守っていたが、どういうわけか気づいたころには見失っていた。
(……あれっ?)
目をしばたたかせてついでに軽くこすってみても、やっぱりかもはいなかった。
いつの間に空から消えたんだろう。
境内の空全体を見渡しかもを探す。
やっぱり見つからない。何処へ行ったんだろう。少なくとも、神社からは出ていないはずだ。
そうして考えながらあちこち歩き回っていると、
「何だい、随分かわいらしいお客さんだね」
背後から幼い声が聞こえた。




