作戦会議の時間です。
「おお、梓。起きたか」
まず視界に入ったのは見慣れた自室の天井である。
右手側からした聞きなれた声は、かもだろう。
首をゆっくりと動かしてそちらをうかがうと、やっぱりかもがいた。
ベッドのわきを両方の前脚で掴み、立ち上がった状態になっている。
「……かも、さん?」
「うむ、かも様だ」
「今、何時ですか?」
「ちょうど六時すぎたとこだな。親父さんも帰ってきてるぞ。さっき弁当とレトルトの粥買ってきてた。これから飯だな」
「よ、よかった……。お父さんにお料理任せるのはすっごい不安だったんです」
「はっはっは。俺が必死に止めたからな。レタスとキャベツの見分けがついてなかった上に、金属ボールをレンジに突っ込もうとしたりでさすがの俺も肝が冷えたわ」
「ありがとうございます。でもどうやって止めたんですか?」
「必死に説得した。といっても親父さんは視える人間じゃないから、吠えてるようにしか聞こえてないだろうけどな。いやあ通じてよかったわ。ああ、粥は梓の分だと思うぞ。きっとパッケージの裏側みて四苦八苦しているに違いない。…………さすがにレトルトの飯作んのは平気だよな?」
真剣な面持ちでかもは梓に聞く。梓はそれに答えることができなかった。
「あれ、梓。起きたのかい」
料理が絶望的な父親である。心配になった梓は居間に降りてきた。
「うん、今は平気。目が冴えちゃって」
「そうか。よくなったなら何よりだよ。でも念のために今日はゆっくり休みなさい。今お粥作ってるからね。先にお風呂入る? お湯は張ってあるよ」
「ごはん食べてからにする」
自分が入浴している間に父親が料理で何かしでかしはしないかという不安がさせる言葉である。
(コーヒーとか紅茶とか淹れるのは上手いんだけどなあ)
改めて、梓は体のだるさがすっかり覗かれているのを覚えた。
頭の中にかかったもやがきれいに晴れて、体もふわふわと軽い。
朝から昼にかけての体の重さは何だったんだろうか。
(そう言えば変な夢視たな)
椅子に座って、テーブルに置かれた小説雑誌を適当にめくる。
ぼーっと読みながら夢のことを巡らしていたが、すでに記憶が消えかけていた。
少女のように見女麗しい少年のことも、少年が視た梓の夢の原点も、少年の過去も、すべてが朧になってしまいに消えて行く。
「梓、調子がよかったら、飯と風呂の後に、ちょいっと話をしよう」
かもが遠慮がちに聞いてくる。体調が回復されたとはいえ、まだ梓の身が心配ゆえの彼なりの気づかいなんだ。
「大丈夫ですよ、かもさん。ごはんの後で」
「うむ。だが調子が悪くなり出したら遠慮なく言うんだぞ。お父さん心配」
「誰がお父さんですか……」
目の前のお父さんは、「え、何?」と不思議そうに聞いてくる。
父にはかもがくーんと鳴いているように聞こえているらしく、そんなかもと梓の会話は微笑ましいものとしてとらえていた。
父があれやこれやと苦戦しながら作った粥を食べてシャワーを浴び、梓は自室に戻る。
アラームをセットしようとして携帯を開いたら、桜花からメールが来ていた。
『具合大丈夫? 早くよくなるといいね』という絵文字も顔文字も件名もない簡素なメールには、桜花なりの心配がにじみ出ていた。梓は『もう大丈夫。明日はちゃんと学校行くから。ありがとね』と返信しておいた。
「さて、梓」
「あっ、はい、かもさん」
梓は携帯を閉じてベッドに腰掛ける。
「まあ、そのなんだ……いきなり倒れた理由について、俺なりに考えてみたんだが」
かもは切り出した。床にちょんとお座りして、尻尾を一度揺らす。
「何か、原因があるんですか?」
「うむ、心当たりがある。梓が寝てる間、俺もちょいっとお出かけしてたのさ」
「お出かけ? どこへですか? お父さんにばれなかったんですか?」
「そこは俺の天才的頭脳のみせる技よ。神……特に日本の神ってーのはいくら分裂しても減らないって特徴があるんだ。俺は犬の姿になってる俺と、分霊して鳥に変化した俺とふたりになったのだ。それで、鳥になった俺が、この地の有名な神んとこに行って、梓のことを聞いて来たわけだ。ああ、狙われてるってことも話したから、絶対好奇心で言いふらすなよって口止めしておいた」
「神様にお聞きするくらいのことだったんですか?」
梓は若干戸惑った。
「何となく見覚えのある症状だったかんな。いや本来なら国つ神のトップに相談してもおかしくないレベルの話だ。まあ、質問はあとでまとめて受け付けてやっから、まずは効いてくれ。そんな長い話じゃないからさ」
溢れてくる疑問を一旦飲み込んで、梓は頷いた。よし、とかもがまた尻尾をふる。
「梓の体調が崩れたのは、結論から言えば俺の責任であるってわけだ」
「かもさんの?」
「うむ。視える人間ってのは神の力を借りられるってのは前に話したよな。
だけど人間と神ってのは身体的構造は限りなく同じに近くても、やっぱり違いはどっかしらあるらしくてな。
神にとっては当たり前の力も、人間にとってはむっちゃ負担を強いることになる。簡単に言えば梓の具合が悪くなったのもそのせいだ」
「力……。かもさんの呪詛をほどいて取り戻した力ですか?」
「最後に質問受け付けるって言ったが取り消すわ。うむ、お前さん、昨日の犬っころとデカブツとの戦いで俺の呪詛を一本ほどいたろ? その呪詛ってのが結構強めの力を縛ってたみたいでな。いや強いっていっても、最初にほどいた呪詛より少し強いくらいのもんなんだけど」
「最初の呪詛は、わたしでも耐えられるくらいの力だったんですね」
「おおよ。変化に使う力はさほどでもないからさ」
「次に解いた力は、わたしにとって強かったんですね」
「そうそう。いやはやしかし……ここまで梓に負担させてたとは、この俺としたことが」
かもは言葉を切る。お座りした柴犬が、尻尾を床につけて耳を垂らしている。彼なりの反省なんだろうか。
「かもさん……」
「すまんな。神と人間の違いが見せつけられた。しばらくは呪詛をほどくのはなしにしてもいいかもしれんなあ……」
「だっ、だめですよ!」
梓はしっかりと否定した。
「だって、変な狼さんとその飼い主さんに、わたし狙われてるんですよ?
わたし、ただの人間で、そりゃちょっとは人間じゃないのも視えるだけですけど、やっぱりただの人間だし……。
運動下手だし体力ないし、剣道とか空手とかやったことないし。
わたし一人じゃあんな強い相手に勝てません。今はかもさんの力しか頼れないんです」
「そらそうだけども」
「だから、かもさんは遠慮せずにわたしに呪詛をほどくように言ってください。体の負担は、休めばすぐに治るみたいですから」
「しかし、今回はだりぃだけで済んだからよかったようなものの、次は体が重たいだけじゃすまんかもしれんんぞ」
「平気です」
「やけに自信あんなぁ……。頼もしいが同時に心配だぞ」
かもの言葉はもっともである。
梓も、どうしてそこまで自分が問題ないと言えたのかはきりしない。
だがここで怖がっていては、前に進むことができないのはわかっている。
狼はまだ非道な手段には出ていない。出ようとしていても事前に食い止めることができている。
それもいつまでもつかわからない。
かもの取り戻したふたつの力だけでは対応できない日がいつかきっと来る。
そうなる前に、梓はかもの力を少しでも多くほどくことを決めた。
じっくり考えたわけではないが、かもとの会話や生活、狼との遭遇で、直感がそう決断させた。
やれやれと、かもはしっぽを一振りする。
「梓がそう言うんじゃ、天才の俺もビビってらんねーな」
「はい! とっても他力本願ですけど、今のわたしにはかもさんだけが頼りです。かもさんのお役に立ちながら、わたしにできることを少しずつ身に着けていこうと思うんです」
「……ほうほう、なーるほどな。一理ある。いや、梓の言うことが正しい」
かもが尻尾を振り始めた。
「ならば梓の言葉に従い、俺も梓に呪詛をほどいてもらうことで力を取り戻すのが一番だな。
よし、んじゃあ俺は遠慮なく梓の力を借りるぜ」
ただし、と付け加える。
「一番優先すべきは梓の安全だ。そして何より健康状態が大事だ。
もしも狼野郎が奇襲なんかかけてきたりした時に体調が万全でないと、こっちも本領を発揮できないからな。きついときは無理をしないで俺に言うのだ。なーに、最悪の状態になったとしても、このかも様はか弱い嫁入り前の娘ひとりくらい守れるんだからな」
「……はいっ。存分に、頼りにさせてもらいますね」
「うむ、いくらでも頼っていいのだぞ! その分ご利益あげちゃう」
「いえ、わいろみたいな気がするのでそこはいいです……」
「ぬなっ。お前謙虚だな! ……さておき、今後の方針が決まったとなると、やることも見えて来るな。まずは梓が、俺の神力に最低限耐えられるよう順応させねえと」
「そうですね。でも、どうすれば耐えられるようになるんですか?」
「んー。こればっかりは慣れがいるわなあ。慣らし方は天才の俺様だけでも充分教えられるが、今回はもっと他の奴らを頼ろう」
「ほか、と言いますと?」
梓が首を傾げたずねる。かもはあっさりと答えた。
「この地の神に手伝ってもらうとしよう」




