九十六話 冬が始まり、夏がくる
シャチクジラの魔物の解体は、皮膚を切り裂くのではなく、体の内側から切り開く方法で、大分短縮化がされた。
それでも、その巨体からサーペイアルの職人が付きっ切りで作業したのに、解体終了までに三十日もかかってしまった。
前世の世界の常識だったら、血や内臓を先に抜いたとしても、一週間もクジラを浜に放置していれば、腐って悪臭を放つことになる。
けど、この魔物は違った。
腐り難いのか、作業が終わるまで悪臭がでることはなかった。そして作業の最後の方に出た肉も、平気で食べられる鮮度があった。
このことは、俺にとっては衝撃的だったのだけど、サーペイアルの町人たちは違っていた。
「海や陸の違いはあれど、強い魔物の肉が痛み難いのは、当然のことだろう?」
誰もが当たり前に言ってくるので、これがこの世界の共通認識らしい。
俺はとりあえず、そういうものなんだと、理解することにした。
そして、なにが理由で、前世と腐り易さが違うのだろうかと考えた。
魔力が関係しているのか、そもそも筋肉の構造からして違うのか、細菌が繁殖し難い物質が体にあるのか。
そんな考えてもしょうがないことを考えているのは、冬の季節が来て漁が暇になったからだ。
冬といっても、サーペイアルの町は温かい場所らしく、俺の今世の故郷のように雪は降らないらしい。
かといって、前世の南国のような、常夏というわけでもない。
毛皮のコートはいらないけど、長袖一枚だと少し肌寒い、そんな感じだ。
けど、外洋で波を被ってしまう漁船での作業をするのは、人間ではその気候でも寒くて厳しい。
元気なのは魚人の人たちで、陸にいるより温かいと、ビキニ水着のような格好で海の中で泳ぎ回っている。
なので必然的に、漁船が海に出る回数は減り、冒険者の依頼も減った。
なので、多くの冒険者は海から離れ、少し遠くにある森の近くの村へと拠点を移している。
もっとも、俺はフィシリスと暮らしているし、魚鱗の布の防具を作るために、この町に残っている。
防具作りは、体のサイズを測った後は、お店に作製がお任せっていうのが、この世界の常識だ。俺の場合は、皮は持ち込みだし、作製代もシャチクジラの魔物を売って得るはずのお金から引かれるから、何もやる事がないはずだった。
それなのに、問題が起きた。
この町で、魚介類と長粒米という前世で親しんだ食材を食べ続けたせいか、漁の作業やフィシリスと家の中での運動が刺激となったのか、俺の体に成長期がやってきたのだ。
みるみるというほど伸びないけど、十日ぶりに会った人に背の成長を話題にされるぐらいには、身長が高くなってきている。
その成長具合に、デカイ男になるという俺の夢は、体の面では叶えられそうだと、思わず笑顔になってしまう。
「最近のバルティニーは、ニヤニヤしっぱなしだねえ」
って、フィシリスに指摘されるぐらいにはね。
そうして背が高くなり続けているので、防具作りを頼んでいるスカヴァノ衣料防具店側から、成長の限界が見えるまで作製は中止すると言われてしまっている。
「魚鱗の布は伸縮性があるので、多少の肉体の変化には対応出来ます。ですが、いま採寸した通りに作った場合、お渡しするときには、着れなくなっているかもしれませんので」
そう説明されて、諦めて背の伸びが落ち着くまで待つことになったわけだ。
いつ防具が完成することやら。
それはさておき、俺とフィシリスとの同棲、というかそのぉ、恋人のような関係は続いている。
狭い家で起きて、俺は漁船の依頼を受けに、フィシリスは装置が直っていないので素潜り漁にいく。
帰ってくれば、冬の肌寒さを紛らわせようと、くっ付いていることが多くなった。
お互いにあれこれと喋ることはなく、静かに囲炉裏の火を見て、静かに過ごす。
夜になれば、長椅子を二つ隣に並べなおした寝床で、お互いに抱き合って寝る。
そして何日かに一回ぐらい、俺かフィシリスのどちらかが求めて、夜の運動を行うこともある。
「ふふっ。お爺ちゃんが死んでから、今が一番楽しい時間って感じがするねえ」
「俺も、フィシリスと一緒にいると落ち着くよ」
運動の後はそんな風に、お互い息のかかる距離で喋りながら、どちらからともなく寝落ちしてしまう。
そうやって、港町サーペイアルの冬の日々は過ぎていった。
夏がやってきた。
一冬で、俺は前世の基準で百六十センチ程度から、百七十センチを超える程度に成長した。
俺の体の成長はまだ続いているけど、冬が終わる前に伸びる速度は大分落ち着いていた。
この夏で、俺は十五歳なる。
十七、十八歳まで伸びることを考えると、最終的には百八十センチを超えて、百九十センチに届くかもしれないかな。
そんな風に将来の背の大きさを思い浮かべなつつ、俺はスカヴァノ衣料防具店にやってきた。
急成長が落ち着き始めたときに、体のサイズを測って、防具を作ってもらていったんだ。
そのとき、将来の成長分を見越して、少し大きめに防具を作ってくれることになっていた。
「魚鱗の伸縮性がありますから、袖や裾の丈はともかく、幅については心配なさらなくてもよろしいかと思われます」
と請け負ってくれたので、完成予定日である今日、その出来栄えを見に来たのだ。
「こんにちはー。魚鱗の防具、受け取りにきました」
スカヴァノ衣料防具店の扉を開けて声をかけると、すぐに店員が現れた。
「バルティニーさま。お待ちしておりました。どうぞこちらに」
店の奥へ通されると、体のサイズを測ってくれたときもそうだったけど、職人たちが必死に魚鱗の布で防具を作り続けている。
シャチクジラという巨大な皮の供給源があったために、待たせていた注文を消化しているそうだ。
防具の見た目は、ウェットスーツや全身タイツみたいなものなんだけど、袖や裾の長さが色々と違っている。
中には、腕と足の部分のみを、小型の海の魔物から作った小さな魚鱗の布で、パッチワーク状に作っているものもある。
きっと、手足みたいな傷ついても即死しない場所をケチって安くしつつも、防御力を確保したいっていう、苦肉の策なんだろうな。
そんな注文主の経済状況が見えるような光景を眺めながら、俺は作業場の奥へと進んだ。
大きな金庫の前までくると、その番をしていた人が、俺の顔を見て金庫の鍵を開けた。
そして、一着の真っ黒な、畳まれた布のようなものを取り出す。
「こちらが、バルティニーさま用の、魚鱗の布で作った防具です。不具合などがありましたら、修正いたしますので、着てみてください」
丁寧に差し出してきた防具を受け取り、俺はその場で広げたみた。
その見た目と手触りは、少し厚みのある真っ黒な全身タイツだ。
伸縮性があることと、手触りの滑らかさから、前世の量販店に売っているタイツっぽい。
けど、表面にあの特徴的な極小の鱗がついたままなので、シャチクジラの革で作ったものだと見て分かる。
俺の体がまだ成長すると見越して、体よりも若干大きく作られているみたいだ。
一枚の皮で作っているという売り文句の通り、縫い目がパッと見では分からない。
なので、どうやって着ればいいのかなと迷って、前側、後ろ側と見ていく。
すると、背中側に厚くなっている部分を見つけた。
よく観察すると、首筋から肩甲骨までの背骨に沿って、布が三重になっていた。
どうしてそうなっているのかと見ると、外側二枚の布で挟まれた中に、真ん中を裂いて端が縫われた布と、少し太めの平たい紐があった。
その紐は、裂かれた布にある金具の中に通されている。
どうやら、この紐を緩めることで空間を空けて、背中側から体を中に入れる構造みたいだ。
紐の部分に当て布をして、露出させないようにしているのは、背後からの攻撃に備えるためだろうな。
そんなことを思いながら、足を防具の中に入れようとして、止められてしまった。
「バルティニーさま。魚鱗の防具の下には、何も着ないのが作法でございます」
「……つまり、これって全裸で着るものなの?」
俺が質問すると、その通りと頷かれてしまった。
そして、そのまま俺が着るのを待っている。
もしかして、見られているなかで服を脱いで、このタイツのような防具を着ろってこと!?
驚きとためらいを感じるけど……ええい! すぱっと服を脱いで全裸になって、ささっと防具をつけよう!
しかし、早く全裸になることには成功したものの、タイツのような魚鱗の布の防具を着るのに苦労してしまった。
体を入れる入り口が狭いから、なかなか思うように体を入れることが出来なかった。
四苦八苦しながら、なんとか着て、背中の紐を締めた。
出来上がった自分の格好を見てみる。
手首からと足首から先、そして首の途中から上が、素肌が見える部分だ。
それ以外は、全身タイツのように、魚鱗の布の防具が覆っている。
そして、やっぱり少し大きい。
袖や裾の丈もそうだけど、腕や足にお腹や胸など生地があまって、体と防具の間に隙間がある。
伸縮性があるおかげで、だるだるにはなっていないけど、ピッタリとした着心地じゃない。
その点を指摘すると、笑顔を返された。
「バルティニーさまは、まだ成長途中です。これから背がさらに高くなり、より腕や足、そして体も筋肉で太くなることでしょう。それを見越した作りになっております」
「そうなんですか。でも、防御力に支障はないんですか?」
「ございませんとも。むしろ緩く作ったほうが、刃物に強いのですよ。張った布にナイフを当てると切れやすいですが、緩んだ布に斬りつけても切れにくいのと同じことです」
それらしい説明に、そんなものなのかなと首を傾げてしまう。
でもとりあえず、防具の布地があまっている以外は、特に問題はなさそうだった。
「どうやら、大丈夫みたいです」
「では代金は既に頂いていますので、そのままお引渡しということになります。金貨で数百枚もする高価な防具ですので、常に着たままが、盗難防止に一番かと思います。そして今後の補修に、バルティニーさま用の布地は確保してありますので、何かしらの不具合があれば、いつでもご来店くださいませ」
そう言って、恭しく店員が礼をする。
俺は魚鱗の布の防具を見につけながら、この全身タイツっぽい見た目に、このまま外を歩くことをためらった。
だって、全裸につけているから、股間の盛り上がりが傍目で分かるんだもの。
俺は少し考えて、脱いだ服を上に着ていく。
上に着たら、防具に当たる前に服に攻撃が当たるわけだけど、恥ずかしさに比べたらそのほうがマシだった。
この話で終わらそうとして出来なかったので、次がこの章の最後の話になる予定です。




