九十四話 後始末
崖の崩落に巻き込まれずに済んで、俺はフィシリスと共にホッとしていた。
すると、再び地響きが感じた。
クジラの魔物が暴れだしたのか、それとも崖の崩落がまた始まったんだろうか。
けど、あの魔物は打ち上げられてから動いていないし、崩落も止まっている。
ならなんだと周囲を確認すると、町からすごく多くの人たちが、こちらを指差しながら走り寄ってきていた。
地響きに感じたのは、彼ら彼女たちが走る足音だったみたいだ。
空を飛んできたクジラの魔物が、大きな音と共に陸に墜落したのを見て、どういうことか確かめに来る気なんだろうな。
質問責めされるんだろうなと、近い未来の状況に苦笑いする。
そのとき、フィシリスからため息が聞こえた。
「はぁ~~……。これ、どうするんだい……」
なにをどうするのかと、フィシリスの見ている先に視線を向けると、崩れ果てた崖だった。
どういうことかと首を傾げようとして、フィシリスの呟きが耳に入った。
「装置だけは大まかに無事だけどねえ。崖が崩れちまったんじゃ、今までと同じ方法はとれないだろうねえ……」
その言葉に、ハッとした。
いまの大物釣りの装置の状況を、前世で見た釣竿に例えてみよう。
糸の長さが半分になって、リール部分は少し歪んだけど残っている。でも、竿が折れて、失ってしまった。
そんな状態なので、新しい竿をつけない限り、この装置が復旧することはないだろう。
俺はこんな状況を作ってしまった一因であるため、とても申し訳なくなった。
「ごめん。俺のせいで、崖を崩してしまって……」
気落ちしながら謝ると、フィシリスはぽかんとした表情の後で、可笑しそうに笑い始めた。
「あっははははっ、なんだいそりゃあ。崖を崩したことを、あたいに謝るなんて、ぷくくくくっ」
あまりに大笑いするものだから、どこに笑う部分があったんだろうって、首を捻ってしまう。
けど、『自分のせいで崖を崩落させて、ごめんなさい』って言葉を冷静に考えると、人が言う台詞ではないなって気がついた。
というか、普通はこんな言葉を使うことはないし。
でも事実だしなって思っていると、ようやくフィシリスの笑いが治まったようだ。
「うひひひっ、いやー、笑わせてもらったよ。ま、起きちまったものは仕方がないさ。方策をきちっと考えれば、なんとかなるものさね」
「そういうもの?」
「そりゃそうさ。なんなら、装置を分解して、別の崖に移したっていいんだし。そこら辺は、町の技術者連中と話し合いが必要だねえ」
そして装置のことはいいからと、フィシリスは俺の手を取る。
「さあ、バルティニーが渾身の力で釣り上げた、巨大な魔物を見に行くよ。このままじゃ、一番乗りがあたいらじゃなくなっちまうよ」
さあさあと引っ張るフィシリスと共に、俺は岩場に上がったクジラの魔物へと走り始めたのだった。
間近で見る巨大な魔物は、前世で見たタンカー船より何倍も大きかった。
けど、クジラのようで違っている存在みたいだった。
体の形はクジラそのものだけど、皮膚と頭の部分は前世にいたどのクジラとも違っていた。
黒い体をよく見てみると、極小の漆黒な鱗がびっしりと並んでいて、サメや魚の肌のようだ。
そして頭は、突きだした口に並んだ牙、円らな瞳の周りには白い縁取りがある。
その見た目から、大きさを無視したらシャチにしか見えない。
けど、大型のシャチの魔物でないのは、あの特徴的な背びれがないことから明らかだった。
そんなシャチ頭のクジラ似の魔物は、俺とフィシリスが近くにいるというのに、大人しく岩場に腹ばいになっている。
巨体過ぎて、水の中じゃないと身動きもとれないのかなと、俺は動き出さないか慎重に確認していく。
そんな俺の隣で、フィシリスは興味深そうに、この魔物の姿を見ている。
「へぇ~……大海原で跳ね飛ぶ姿を遠目に見たことはあったけどさあ。こうして間近で見ると、格別だねえ」
動物園で初めての動物を前にした子供のように、フィシリスは目を輝かせながら観察している。
そう二人して魔物の巨体に感じ入っていると、どやどやと町の人たちが近づく音が聞こえてきた。
二人して振り返ると、先頭を走ってきたらしい汗だくの男が、魔物を見て驚愕の声を上げた。
「うおおおおぉぉぉ! なんじゃーこりゃああ!!」
その言葉を皮切りに、魔物の姿を見た人たちが口々に叫び始める。
「空を飛んできたときも、でっかい魔物だと思ったが、こんなに大きいとは!!」
「岩場に落ちてよかったよ。町に落ちていたら大被害だったな!」
そんな感動しているような声が溢れた。
でも、ある一人の言葉に、その騒ぎが急に止むことになる。
「自分で空を飛んで、勝手に岩場に落ちたと思ったけどさ。口に鉄綱があるってことは、釣り上げたってことだよな?」
誰かに疑問を伝える口調だったけど、町人たちは一斉に口を噤み、魔物の口にある鋼線を編んで作られた太いワイヤーを見る。
その後で、俺とフィシリスの方に顔を向けた。
たくさんの視線が、俺とフィシリスの体を観察する。
やがて、一人が半笑いしながら口を開く。
「いやいや、大物釣りの装置があっても、あの二人には無理だろ?」
「そうそう。装置で浜に引っ張り込んだっていうなら分かるが、この岩場まで空を飛んでたんだぞ。出来ないって」
「そりゃあそうだよな。きっと、この魔物がマヌケにも、変な方向に跳んでしまっただけだろうな」
次々に同調し始める人たちを見て、俺はそう思われても仕方がないと感じていた。
だって、見るからに人が引っ張りあげられるような、生易しい巨体じゃないし。
しかし、フィシリスはそうは思わなかったようだ。
「なに言っているんだい! コイツはね、バルティニーが釣り上げたんだよ!」
フィシリスの怒声に、ヤジ馬たちの喧騒が一瞬止んだ。
しかし、一秒後には嘲笑に変わる。
「いやいや。気持ちは分かるけどな。常識的に無理だろうよ」
「そうそう。そっちの坊主の腕の太さじゃ、オゥラナーガも釣り上げられねえよ」
その笑い声に、フィシリスの顔が真っ赤になる。
「釣り上げたったら、釣り上げたんだよ! もし違うってんなら、どうしてこの魔物が、ここにあると思ってるんだい!!」
「そりゃあ、何かの弾みでここまで飛んできたんだろ。この巨体なら出来そうだ」
「坊主が釣ったっていうよりも、自分で飛んだってほうが、真実味があるぜ」
そこから、フィシリスとヤジ馬たちの言い合いが始まる。
ぎゃーぎゃーと騒ぐ姿を横に、俺はシャチクジラの魔物の口から伸びるワイヤーを手繰って、引き寄せていた。
そして、ワイヤーが張ったところで、俺を非力だと馬鹿にした口調だった人たちに声をかける。
「ねえ。いま俺が、この綱を引っ張って魔物を動かしてみせたら、納得する?」
「ああん?! おう、やってみろ! できたら、晩飯をたらふく奢ってやるよ!」
フィシリスとの口喧嘩で熱くなっていたのか、ある男がそう啖呵をきってきた。
ならと、俺は目を瞑って、集中を始める。
いまの魔塊の量だと、ほんの一瞬だけ攻撃魔法の水を纏うことが、限界だろうな。
けど、シャチクジラの魔物を少し動かすだけなら、出来るはずだ。
俺は岩場の出っ張りに両足をかけると、両手で綱を持つ。
「せーのーおおおおお!!!!」
綱を引っ張り始めたのと同時に、限界量ギリギリまで魔塊を削って魔力を生み出し、両手両足と背中に魔法の水を展開する。
本当に一瞬しか持たなかったけど、その時間でどうにかシャチクジラの魔物の上半身を、少しこちらに引きずることが出来た。
少しといえど、小山のような巨体が動いたことに、ヤジ馬たちは度肝を抜かれたようだった。
そして、フィシリスは誇らしげにする。
「どうだい。コイツを釣り上げて、バルティニーは疲労困憊だってのに、まだこんな力を出せるんだ。これでも無理だって言うのかい」
フィシリスと言い合いをしていた人たちは、証明された事実を目の前にして、しおらしくなってしまった。
「ああ、悪かった。たしかに、そっちの坊主が釣ったに違いない」
「あんなに大汗をかいて。無理して引っ張ってみせたんだろうな。悪いことをした」
俺にも謝ってくれるけど、服を濡らしているの、水なんですけど。
でも、そう言っても意味が分からないだろうし、黙って置くことにした。
そうしてちょっとしたいざこざが収まると、俺たちとヤジ馬の人たちは仲良く魔物を再び観察し始める。
俺がさっき引っ張っても、魔物が動かなかったことから、その体に触れる人が出始めた。
触れても暴れないことを確かめると、我先にと他の人たちも触れだす。
かくいう俺も触ってみたところ、鱗があるのにつるつるスベスベとしていた。
そうやって思い思いに、魔物を触って楽しんでいると、この場所に近づく足音が聞こえてきた。
顔を向けると、高速馬車の御者をしていた人を先頭にした、職人らしき格好をした人たちの集団がいた。
「おおー、これはまた、すごい大物ですね!!」
彼らはそんな感じで口々に感想を言うと、居並んだヤジ馬たちを押し退けようとする。
「おい、なにするんだ!!」
「まだ見ている途中だぞ! 後からきたんだから、待ってろよ!」
「うるさい。フィシリスさんが釣ったものは、我が商会に卸す契約なんです。ですので、この魔物はもうこちらのものです。そして、傘下に入った職人に、いまからこの魔物の素材を切り分けてもらうんです。邪魔しないで下さい!」
「そうだ! こんな一生に一度は上がらないような大物。早く処理をしなければ、素材が駄目になってしまうかもしれないだろう!」
かたや、珍しい大物を楽しみたい人たち。
かたや、珍しい魔物の素材を早く手にしたい人たち。
そんな人たちが押し合いを初め、やがて殴り合いの喧嘩になろうとする。
そのとき、フィシリスが大声を発した。
「どっちも待ちな!!」
ビリビリと鼓膜を振るわせる声に、誰もが動きを止めた。
停止した姿を見やってから、フィシリスは高速馬車の御者の人に顔を向ける。
「あたいがアンタと、釣ったモノを渡す契約をした。たしかにそのとおりさね」
「おお、でしたら、この人たちの説得の協力をして――」
「だけどね。これを釣ったのは、あたいじゃなくて、バルティニーさ。さっき、そう証明したばっかりだよ」
御者の人を遮って、フィシリスが俺を指差す。
すると、ヤジ馬たちが「そうだそうだ!」と叫ぶ。
フィシリスはその声を手で押さえてから、再び御者の人に目を向ける。
「釣った物をどうするかは、釣った人が決めること。それがこの町の取り決めなんだよ。だから、バルティニーがこの魔物をどうするかを決める。アンタの商会に売るかどうかも含めてねえ」
その言葉が周囲に浸透すると、居並んだ人たちの目が一斉にこちらに向けられた。
まさかこういう展開になるとは思ってなかったので、急いでどうしようかと頭を悩ませる。
そのとき、集まった職人たちの中に、見たことのある顔がを見つけた。
誰だかすぐには分からなかったけど、この町の冒険者組合に紹介された、スカヴァノ衣料防具店の人だと思い出せた。
そして、その人と俺には、ある約束があったことも思い出す。
ちょうどいいからと、巻き込むことにした。
「スカヴァノ衣料防具店の人。前にした約束通りに、自分で大物を釣りました。だから、この素材で俺に、魚鱗の布の防具を作ってください」
俺に名指しされたことで、人々の視線がスカヴァノ衣料防具店の人に移った。
視線の圧力に頬を引きつらせながら、彼は俺にお辞儀をする。
「ご用命、承りました。しかしながら、この巨体から得る全てを独占したのでは、他の人たちに恨まれてしまいます。その点はどうか、ご配慮いただければと思います」
要するに、丸投げされても困るって言いたいんだろうな。
仕方がないなと、高速馬車の御者だった人に顔を向ける。
「あの人に、防具を作るのに必要な分の皮を渡します。その後に残ったものは、そっちに売ります」
「おお、助かります。傘下の職人たちも、安心することでしょう」
早速と作業に取り掛かろうとする職人たちを、俺は押し止める。
「待ってください。こんな巨大な魔物を見る機会なんて、そうそうないでしょう。だから、今日一日は町の人に見学させてあげてください」
「うむむ……そうですね、分かりました。作業は明日からということにしましょう」
なんだかこの流れなら、無理難題も通せそうだなって、さらに要求を追加することにした。
「それと、大物釣りの装置のことですけど。少し壊れてしまったので、その修復を。あと鉄綱を送り出すのに必要な崖が崩れてしまったので、代わりになるものを作ってください」
「はい、分かりまし――え?」
頷こうとする途中で、疑問に思われてしまったようだ。
何かを言われる前に、畳み掛けてしまおう。
「この魔物の素材を使えば、できると思いますよ。それに、フィシリスが大物が釣れなくなったら、そっちも困るんでしょ?」
「え、ええ、そうですね。幸い、多数の職人を抱えておりますから、出来るとは思いますが……」
少し釈然としていないようだけど、俺はよろしくと肩を叩いて、装置の修復を押し付けた。
これでもし問題が起こったら、きっと言ってくるだろうって、楽観的に構えることにする。
そして、体内の魔塊は豆粒ぐらいしか残ってないし、シャチクジラの魔物で焦ったり釣ったりで精神的にも肉体的にも疲れたから、この場から引き上げることにした。
するとフィシリスも一緒についてきて、嬉しそうに隣に並んで歩き始めた。
二人で喋ったりはしなかったものの、フィシリスの家までの帰り道を、お互いに楽しげな調子で進んでいったのだった。




