九十一話 不漁と身勝手
サーペイアルの町に、大きな海の魔物の素材を渡すために、フィシリスは装置での釣りを開始した。
しかし、崖の上から沖を見る、彼女の目は厳しい。
「二十日も過ぎれば、やっぱりいなくなっちまうねえ」
聞こえてきた呟きに、俺も遠くの海に視線をやる。
少し前までは、大型の魔物の影が濃く見えたのに、いまでは勘違いかと思うぐらいにチラッとしか現れていない。
獲物がいないなら、釣ることなんて不可能だ。
けど、フィシリスはあっけらかんとしている。
「ま、集まってたのがいなくなっただけで、海には常に魔物がいるものさね。釣れないはずがないよ」
フィシリスは早速、例の人ぐらいあるナマコやホヤっぽい魔物を海から持ってきた。
そして、フィシリスと俺で、生活用の魔法で水を出し、その魔物の口に注入していく。
満杯まで入れれば、釣り針に刺して、浮きと共に海に投下。
「針が沖に届くまで、半日から一日かかるんだ。ゆっくり待つとしようかね」
フィシリスの口調は、沖合いに仕掛けが届けば連れるって感じだ。
前のときは、あっという間に釣れたから、俺もそれは疑っていなかった。
装置の近くで野宿した翌日。
仕掛けはちゃんと、沖合いに出たことを、崖の上から見て確認した。
けど、いっこうに当たりは来ない。
大型の魔物の影がないんだから、すぐに釣れるわけはないよね。
そう俺は思っていたんだけど、フィシリスはこの結果を変だと思ったようで、ワイヤーに手を当てて何かを確かめ始めた。
しばらくして、大きな舌打ちが、彼女の口から出てきた。
「チィ。餌を突付いているけど、食べようとしないか。下手くそどもに貸したツケかねえ」
「どういうこと?」
「あの男たちにこの装置を貸しただろ。たぶんだけど、アイツらは釣果を急いでいたからね、餌をとっかえひっかえ付け替えながら、針を海に投げ入れ続けたんだろうさ。それで魔物が学習しちまったのさ。怪しげな餌がたびたび出てくるってねえ」
つまり、釣りの仕掛けが、海の魔物にバレたってことだ。
「それじゃあ、釣れないってこと?」
「いや、そうとも限らないさ。魔物が餌を突付いているってことは、美味しそうに見えているってことさ。腹を空かせたヤツなら、パクッといっちまうはずさね。ま、ちょっとばっかり、釣るには時間がかかることを、覚悟しなきゃいけないんだろうけどねえ」
言い終わると、フィシリスは装置の場所に引き返し、干物とお酒を楽しみ始めた。
きっとワイヤーに触れた感触から、今日明日にかかるようなものじゃないって、判断したんだろうな。
俺は釣りの素人なので、フィシリスに従うことにした。
決して、フィシリスが美味しそうに食べている姿に、お腹が刺激されたわけじゃないからな。
釣り始めて五日が経過した。
相変わらず釣果はない。
フィシリスはワイヤーに手を当てながら、肩を落とす。
「餌が古くなったから、魔物が突付かなくなったねえ。釣り針を回収して、新しいものに付け替えるとするよ」
「分かった。手伝うよ」
装置のレバーを何度も何度も動かして、ワイヤーを巻き上げていく。
四半日かけて、針を崖上まで引き戻した。
つけていた餌は、魔物に散々突付かれ続けたために、周りがかなりボロボロになっている。
「これは、食えたもんじゃないねえ」
流石に魔物の齧りかけを食べる気はないらしく、フィシリスは餌を外すと細かく切ってから、崖から海へ投げ捨てる。
その後で、フィシリスは海に入り、また軟体生物の魔物を持ってきた。
いつもと違っていたのは、手に鯛のような赤い魚を持って、海から上がってきたことだ。
「さっき撒いた切った餌に、魚が群がっていたからねえ。ついでに一匹とって来たよ。バルティニー、刺身にしとくれ」
「はいよ。なんだか、すっかり魚を捌くのもなれちゃったなあ」
フィシリスと暮らし始めて、魚介類を調理する機会が多くなったために、今ではナイフで魚を素早くおろせるようになっちゃったんだよね。
さて、鯛っぽい魚を切り身にしてから、刺身にしていく。
フィシリスは、刺身でもぶつ切りみたいな厚めが好きなようだ。
なので、彼女の分は厚く、俺の分は薄めに切っていった。
そうして刺身が出来上がったころ、フィシリスは魔産工場の稼動限界まで軟体生物の魔物に水を入れ終えたようだ。
「ふう、残りはバルティニーが入れとくれ。そんで針に餌をつけて海に投げてから、刺身を食べるよ」
「すぐに済ませるよ」
装置の近くから崖の上にいるフィシリスに近寄って、魔物に生活用の魔法で水を入れようとする。
そのとき、こちらに近寄ってくる誰かの気配を感じた。
様子を見に、高速馬車の商会の人が来たのかなと、顔を気配がする方へ向ける。
俺の予想は外れで、こちらに来ているのは、センシシと手下の男たちが十名ほど。
崖上の俺に発見されたと分かったからか、移動速度が少し上がったように見える。
「……フィシリス。刺身を食べるのは、もう少し遅れそうだよ」
「そのようだねえ。まったく、呼んでない客は来ないことに、こしたことはないんだけどねえ」
フィシリスは面倒臭そうに顔を歪めると、釣り針に餌をつける作業を中止する決定をした。
そして、装置の近くでセンシシたちが来るのを待つために、俺と共に崖を下り始めたのだった。
やってきたセンシシは、手下の男たちを前に立たせながら、偉そうな態度でこちらに声をかけてきた。
「ほぃーほぃーほぃー。何日も釣れていないそうで。どうやら、前の一回は、まぐれだったようですねえー」
相手を扱き下ろして優位に立とうとしているようだが、フィシリスは物怖じした様子もなく言い返す。
「それは自虐かい? お爺ちゃんが死んでからの十年間で、アンタは一度も大物を連れなかっただろうに」
「ほぃーほぃー。こちらが釣れなかったことと、そちらが今後釣れるかは、関係ないですよねえー」
「少なくとも一度は釣り上げたんだ。釣りが下手なクソジジイに任せるよりかは、可能性はありそうなもんだろうけどねえ」
言葉の応酬を続けていたが、フィシリスは面倒だと身振りして打ち切る。
「こっちは忙しいんだ。言い合いなんてまどろっこしいことしないで、何の用か言ったらどうだい」
「ほいーほいーほいー。ならそうさせてもらいましょうか」
センシシが腕を振ると、手下たちは腰元から刃物を抜いて構え始めた。
武器の多くは魚を切り分けたり貝を開けるためのナイフで、短剣や千枚通しのようなピックを持っている人もいる。
俺はフィシリスの前に移動しながら、センシシに顔を向ける。
「実力行使ってことか?」
「ほぃーほぃーほぃー。怪我をしたくなかったら、高速馬車の商会とは縁を切り、こちらに大型の魔物を卸す約束をしてもらいましょう」
「なに馬鹿なことを言ってやがんだい!」
フィシリスが怒り出すが、俺は押し止めた。
センシシの手下たちは、明らかに手の刃物でこちらの急所を目で追っている。
怪我で済ます気がないのは、その態度で分かった。
「……死にたくなかったらの、間違いじゃないのか」
「ほぃーほぃーほぃー。怪我をすると、死ぬことぐらい、あるでしょう?」
当然のことだという口調に、フィシリスが激昂する。
「とうとう、落ちるところまで落ちたね、このクソジジイ!!」
「こうせざるを得なくなったのは、あなたが強情だからでしょう。あなたさえいなくなれば、高速馬車の商会の強気な態度も、傘下の離反もなくなるはず。そうすれば前と同じように、我が商会がこの町を牛耳れるというもの」
襲おうとする理由をきくと、センシシ商会の近況は、よほど切羽詰っているんだろうな。
このことを汲み取ってやる気は、さらさらないがな。
「そっちの理由なんてどうでもいい。けど、俺があんたの手下たちを、前に一度やっつけたってこと、忘れてないか?」
「ほぃーほぃーほぃー。優秀な商人とは、失敗を忘れないものですよ。あのときと、今は違いますよ。今回は人数を増やし、さらに武器と防具まで与えてあります。これでそちらの勝ち目はないですねえ」
センシシの言葉に、俺は眉を潜めた。
武器は刃物を持っているから分かるけど、普通の衣服を着ているから防具をつけているようには見えない。
どういうことかと考えて、センシシの手下が服の内側に、何かを着ているのを見つけた。
開いた襟の下に、灰色のタイツのようなものがある。
それが防具だとすると、思い浮かぶのは一つだけ。
「魚鱗の布で作った防具を着させているのか」
俺の呟きに、フィシリスは驚きの顔を向け、センシシが笑い出す。
「それは、本当のことなのかい!?」
「ほぃーほぃーほぃー。そのとおり。我が商会が、金に代わる蓄財として保有していた防具を、貸してあるのですよ。これであなたの鉈や弓矢は、この人たちには効きませんよ!」
センシシの身振りに合わせて、手下たちが一歩ずつ前に出てきた。
こっちに駆け寄ってこない様子から、防具に防御は任せて、人数任せに圧殺する気らしい。
ごり押しな方法だけど、やられる方としては面倒な作戦だ。
危機的な状況だと分かるからか、フィシリスは俺にすがり付いて、服を掴む。
「ど、どうするんだい?!」
俺が答えを返す前に、センシシがフィシリスを笑う。
「ほぃーほぃーほぃー。どうもできるはずがありません。町中で酔っ払いに偽装した手下に騒がせて、警護隊がそちらに向かうよう工作済み。ここであなたたちは、人知れず死ぬのですよ」
価値を確信し、勝ち誇った顔のセンシシ。
死の恐怖から、俺の服を握り締めるフィシリス。
そして俺は、センシシの身勝手な考えとに憤った。
ぐらぐらと煮え立つ腹の中を押さえながら、弓矢と鉈を体から外し、フィシリスに押し付ける。
その様子を見て、センシシは再び耳障りな笑い声を上げ始めた。
「ほぃーほぃーほぃー。武器を外すなんて、降参でもする気でしょうか? ですが、こちらに刃向かったからには、許してはあげません」
センシシの言葉に、手下たちも野卑な笑みを浮かべる。
俺は頭の中は冷静にと努めながらも、四肢に怒りの力が満ちていくのを感じていた。
「……このクソボケどもが、誰が降参するだって?」
俺はフィシリスを後ろ突き放そうとして、怒りで力が入ってしまい、突き飛ばしてしまった。
尻餅をついたフィシリスに、目で謝罪をしてから、刃物を手にしている男たちに自分から近づく。
「かかってこいよ。俺に武器を向けたことを、後悔させてやるから」
手招きしながら、俺は魔塊を回して、細胞に魔力を生み出させていく。
挑発されて、センシシは顔を怒りで赤くしかけ、すぐに余裕顔を取り戻した。
「ほぃーほぃーほぃー。ならばお望みどおり、あなたを先に始末してあげましょう。やりなさい!」
「「うおおおおお!」」
男たちのうち何人かが吠えながら、ナイフを腰に構えて突撃してきた。
体当たりしつつ、刃で俺の腹を抉るつもりのようだ。
だけど、そうさせてやるつもりはない。
俺は両手を向けて、生活用の魔法で生み出した水を、彼らの顔に浴びせかけた。
大口を開けて吠えていたことが災いして、突撃してきた人たちの口の奥へ水が入りこんだ。
「うお――ごばっ!」
「――ごぼっぼへっ!」
「ごぼ、ご、うべっ!」
盛大にむせて立ち止まる人。顔を背けて水を飲まないようにする人。走る勢いを止められずに転ぶ人。
そんな人たちの中には、根性がある人もいたようだ。
目を瞑って口を閉じ、息まで止めながら、こっちに突撃しようとしてきている。
けど、見もせずに攻撃を当てられると思ったら、大間違いだ。
俺はその突撃を横に跳んで避けると、手から水を出すのを止める。
そして魔塊を解した魔力で、体に攻撃用の魔法の水を纏った。
腕を引いてから、例の根性のある男の横腹に、蹴りを放つ。
「でぇいあああああああああああ!」
「ごふっうううううう――!」
俺の蹴りを受けて、まるでトラックに突っ込まれたかのように、男は横へと吹っ飛んで地面を転がった。
その光景を見ていたのに、センシシはまだ余裕な顔をしている。
「ほぃーほぃーほぃー。魚鱗の布を着させているのです。たかだか人間の蹴り程度、効くはずが、ない……」
そう言いながらも、吹っ飛んだ男が起き上がる素振りがないので、センシシの声が段々と小さくなっていった。
手下の一人が、その男を引っ張り起こそうとするが、気絶いるのかぐったりして立ち上がる気配はない。
まさか一撃で倒されるとは思ってなかったのか、手下たちに動揺が走る。
俺が一歩踏み出すと、彼らは怖気づいたように大きく一歩さがった。
しかし、センシシがそれを許すはずがない。
「見なさい、相手は防具のない少年ですよ。一本のナイフでも当たれば、致命傷です! 囲んで一斉に刺しなさい!」
下がった男たちの背中を蹴り、無理矢理にでも俺と戦わそうとする。
手下たちも、相手が俺一人だからか、全員でかかれば勝ち目があると思ったらしい。
センシシの命令通りに、全員で一斉に刃物を手に襲い掛かってきた。
「「「うううおおおおおおお!」」」
「「「くらええええええええ!」」」
「だぁりゃああああああああああ!」
迫り来る男たちに向かって、俺は突きと蹴りを放つ。
「ぐはあああああああ!」
「どぐぅうおおおおお!」
俺の攻撃一発につき、一人が必ず宙を舞う。
けど、流石に十人ぐらいいる男たち全ての攻撃をさばききれるはずもなく、何人かの刃物が当たってしまう。
着ている服が切り裂かれてしまった。
「やったぞおおおお!」
「攻撃を当てたぞお!」
「ひぃっ! バルティニー!!?」
武器を突き立てた人たちが勝どきを上げ、光景を見ていたらしいフィシリスから悲鳴が上がる。
けど俺は平気な顔で、刃物を突き刺したまま動かない人たちを、魔法の水を纏った腕で殴りつけていく。
「――ぐへえあ!!」
「な、なんで平気な、ごひぃああ!?」
「どうして刺した場所から血が出て、ごっうげえええぇぇ――」
殴り飛ばされて地面を滑り、アッパーで宙を舞った後で地面に叩きつけられ、腹に一撃を食らって吐く人たち。
そうして、俺は近くにいた人たちを殴り終えると、次なる人を狙って前に進む。
きっと、服が切り裂かれていても、怪我を負っていないのが見えたんだろうな。
センシシの手下たちが、背を向けて逃げようとする。
「逃さないよ!」
俺は魔法でアシストした脚力で跳びかかると、一人の背中に飛び蹴りを放った。
「ぎゃああああああ!」
俺に蹴られた男は、前へとすっ飛んでいき、地面に当たると縦回転で跳ね上がり、地面に背中から落ちた。
それを間近で見ていた、逃げようとしていた他の男たちは手の武器を捨てると、地面に伏せて必死に謝り始める。
「ごめんなさい! 許してください!!」
「センシシさん――いや、センシシとはもう縁を切りますから!!」
謝罪する人たちを見下ろしながら、殺しに来た人を許すかどうかを考える。
小さい男だと思われるかもしれないけど、タダで許す気はないと判断した。
俺は謝っている一人の腰元を持つ。
「な、なにを、する気なんでしょうか!!」
「反省したのは分かった。けど、二度と馬鹿な真似をしないように、頭を海で冷やしてもらう」
「え、海!? もしかして――!」
喚く男を無視して、俺は力いっぱいに男を斜め上に投げた。
「あああああぁぁぁぁ――」
男は悲鳴を上げながら、崖の際、砂浜、岩のある浅瀬を通り過ぎ、やや深い場所に着水した。
高低差を無視した飛距離は、五十メートルぐらいかな。
投げた人が大慌てで泳いでいるのを見ると、命の危険はなさそうだから、次々にいってみよう。
「やめ、やめてくださ、ああああぁぁぁぁ――!」
「やだああ、やだああ、ああぁぁぁぁぁぁ――!」
「悪いことはもうしませんから、ああぁぁ――!」
どばんどばんと音を立てて、男たちが海に落ちていく。
では最後に、俺の暴挙に腰を抜かして立ち上がれなさそうな、センシシの腰をを持ち上げる。
「うぐっ、や、やめてくれ! もう本当に、嫌がらせはせんから! なんなら息子夫婦に商会を譲ってもいい!!」
腰の部分を持たれて苦しそうにしながら、必死に俺の心変わりを促し始めた。
ここまでされて、許すはずがないだろうに。
けど、あえて悩む振りをすることにした。
「そういう気があるなら。うーん、どうしようかな……」
少しは希望があると思ったのか、センシシは溢れる贅肉がのった顔に、愛想笑いを浮かべる。
気持ち悪いその顔を見て、もともと決まっていた決断を、実行に移す。
「あんたの言うことは全く信じらない。だから、大、却、下ぁー!!」
「そんな、ああああぁぁぁぁぁ――!」
気合を入れて海に投げ込むと、いままでで一番大きな水柱が上がった。
そして入水の衝撃で気絶したのか、贅肉たっぷりの体が、力なく海水に浮かび上がる。
手下の男たちは、助けようとしているのか、センシシの周りに集まって服を掴むと、浜辺に向かって泳ぎ始めた。
さて、これで一仕事終わったと、魔法を解除する。
すっきりと怒りが消えた気分を抱いていると、フィシリスが信じられないって顔をしている俺を見ていた。
「どうかしたの?」
「バ、バルティニーって、人を投げ飛ばすほど、すごく力持ちだったのかい?」
驚いていたのはそこなのかと、ちょっと予想を外された。
俺は苦笑いしながら、どう説明するか迷い、曖昧なことを言うことにした。
「あははっ。ちょっとした仕掛けを使ったんだよ。俺の普段の腕力じゃ、人を遠くに投げるなんて真似、絶対に出来ないから」
「そ、そうだよねえ……あ、刃物に刺されていなかったかい! 怪我は!?」
「それは大丈夫。服が破れただけだよ。ほら、血は出てないでしょ?」
服を捲って肌を晒してから、フィシリスの手をとって、刺された場所を触らせる。
そうやって無事を伝えていると、どやどやと警護隊の人たちがこっちに来た。
先ほど生みに投げ込んだ男たちの音を聞きつけて、こっちにやってきたんだろうな。
俺は周囲に散らばる殴り蹴り飛ばして失神している男たちを見て、きっとまた警護隊の詰め所に連れて行かれるなと、ため息をついたのだった。




