九十話 結果と責任
フィシリスが義理を果たすために貸し出し期間を延ばしても、センシシ傘下の男たちは、装置で大物を釣り上げることができなかったみたいだった。
そのことを把握してから、高速馬車の商会が一気に攻勢にでた。
町で唯一大物を釣れるフィシリスとセンシシが仲違いしている事実を持ち出して、センシシの傘下に収まっていた商店へ、大々的な引き抜き工作をしかけたそうだ。
引き抜きの話し合いのとき、オゥラナーガが遠くの町で競売にかけられ、高値で競り落としたことも伝えたらしい。
このままでは大型の海の魔物が、全てその町で競売されてしまう。
そんな危機感を話を聞いて持った、大型の海の魔物の素材を使った商品を目玉する商店の多くが、センシシの傘下から離脱した。
今までの取り引きしてくれた恩や義理を果たすため、傘下から離脱する謝罪や、高い違約金みたいなものを払ったそうだ。
そのお金は、オゥラナーガの競売の売り上げがあるからか、高速馬車の商会が気前よく貸し付けてあげたらしい。
これでその商店たちは、どんな理由があっても借金を返し終えるまでは、高速馬車の商会の傘下になることが確定したことになる。
もっとも、傘下契約をした際に、センシシ商会にされていた待遇との差に、驚かれたそうだけど。
これでセンシシ商会の傘下は、小型漁船の漁師たち、魚の販売所と加工場に、他の港と行き来する渡来船になったらしい。
渡来船以外は、この町や周辺の村に売る小口な商売で、あまりうま味はないらしい。
渡来船も、古い船は魔物に壊されたから、新型船を建設している最中であり、奴隷の人員も集めなおしているらしい。
傘下が少なくなって、これからは出費ばかりが多くなり、センシシ商会は苦しい舵取りを行わざるを得なくなるそうだ。
さて、なんでこんな町の事情を知っているのか。
それは、自分の功績を誇るように、目の前にいる高速馬車の御者だった人が、フィシリスの家の中で懇切丁寧に教えてくれたからだ。
「と、いうわけでして。更なる一押しのために、新たに傘下になった商店に、魚鱗の布や海の魔物から作る薬の製造をさせてやりたいのですよ。なので、ここで大物を一匹、ババッと釣って欲しいところなのですけれども」
揉み手で頼み込むが、話を受けたフィシリスはあまり乗り気じゃない。
「話は分かったよ。けどね、なにも急いで追い込まなくたって、いいと思うんだけどねえ」
怖気づいたような発言だった。
きっと、センシシ商会の業績を傾かせる片棒を担いだ自覚が、フィシリスはあるんだろうな。
しかし、ここで手を緩められては困るのか、御者の人が慌てて説得を始めた。
「フィシリスさんは、センシシさんがお嫌いだったのでは? もしや心変わりなさったと?」
「はんッ、あのクソジジイがどうなろうと知ったこっちゃないよ。けどね、あたいが嫌っているのはアイツだけで、センシシ商会で働いている人たちじゃないんだよ。あたい個人の恨みで、その人たちを路頭に迷わすのは、本意じゃないって話さね」
「お優しいのは、人として結構なことです。しかし、センシシ商会が傾くことも含めて、我が商会に海の魔物の大物を渡すことを決意したのでは?」
「それはそうなんだけどねえ。時間が経って冷静になると、意固地で野暮な真似をしているな、って気になってきたのさ。まさか、ここまで大事になるとは、クソジジイに売り言葉に買い言葉で話が決裂したときは、考えもしなかったしねえ」
たしかに、自分の決断一つで町が動くなんてことを、十代半ばの少女が自覚することはないはずだ。
その影響の大きさに、怖気づいても変ではないと思う。
しかし、フィシリスにここで降りられては、高速馬車の商会としてはたまったものではないはずでもあった。
「そう弱気にならないでください! センシシ商会で働く従業員についても、きっと悪いようにはしません! ですから今は、大物を釣ることだけに集中してください!」
どうやら、降りられる前に、町の問題からフィシリスを切り離そうと考えたようだな。
けど、フィシリスは気遣いは要らないと、身振りする。
「弱気なこと言って悪かったね。始めたからには、ケツ吹きまでこなすことが、人の責任の取り方ってもんだ。アンタの商会に自分で肩入れしたんだ、あのクソジジイを潰すまではキッチリ勤め上げたやるさね」
言い終わると、それでいいだろとばかりに、フィシリスは御者の人を追い出してしまった。
その後で、イライラとした調子で、長椅子に腰かける、誰も近づくなと態度で表す。
けど、しばらく一緒に暮らしてきた俺から見ると、単に気持ちが落ち着いていないだけにしか感じなかった。
なので、俺はフィシリスの横に腰かけ、彼女の頭に手を乗せて撫でる。
邪魔といった感じで、手で払われてしまった。
けど、二度、三度と同じこととを繰り返すと、諦めたように頭を撫でさせてくれるようになった。
しかも、こっちに身を寄せて、少し体重をかけてもくる。
そのままで少し経つと、ぽつりとフィシリスが呟いた。
「……バルティニー。あたい、嫌な女になってやしないかい?」
予想外の発言に、俺は思わず笑ってしまった。
俺の笑い声を聞いて、フィシリスがむくれる。
「むぅ。なにさ、笑わなくたっていいだろうにさ」
「ふふっ、いや、ごめん。急に可愛らしいことを言うもんだから、ついね」
謝ってから、俺は少し真剣な顔になる。
「俺としては、フィシリスは出会ったときも今も、ぜんぜん変わらないよ。自分の気持ちに真っ直ぐで、なんでも一生懸命な、凄く可愛らしい女の子だよ」
素直な気持ちを言ってみて、キザったらしいなって、自分でも思った。
思わず顔が熱くなる。
さて、そんなキザッたい言葉をかけられたフィシリスはというと、急に顔を手で隠して立ち上がった。
そして、俺の腕に平手打ちを放つ。
バシッといい音が鳴って、痺れるような痛みが走った。
「痛ッーたー! なにも、叩かなくたっていいのに」
「うるさいよ! なにあたいのことを、可愛らしい女の子、なんて言ってんのさ! あまりの言葉の軽さに、あたいの歯の根が浮いて、口が噛みあわなくなっちまったよ!!」
大声を上げながら、バシバシと片手で叩いてくる。
けど、もう一方の手だけでは、真っ赤になった顔は隠しきれないようだ。
一応は喜んでくれたみたいだし、様子もいつもみたいに戻ったなと思っていると、今までで一番強い平手打ちが肩にやってきたのだった。




