八十九話 大物釣りの成果
センシシ商会傘下の男たちに、大物釣りの装置を貸して十五日が経った。
彼らは雨の日で体調を崩したりしていたそうだけど、ここ七日ほどは晴れが続いていて、晴れ間が続いているうちに大物を釣り上げるんだと張り切っているらしい。
一方、俺はというと、相変わらずフィシリスに生活用の魔法を使う練習をさせていた。
「んーーー。くはあー、限界だねえ。魔力の塊を回転させても、もう水は出ないみたいだよ」
水瓶に手から出した水を入れていたフィシリスが、魔産工場の稼動限界の時間が来たらしく、疲れたとばかりに長椅子に倒れ込む。
俺が瓶の中を見ると、水は半分程度しか入っていない。
「お疲れ様。じゃあ印をつけるから休んでいてよ」
「ああー、水瓶半分ぽっちじゃあ、餌に飲ませるのには量が足りないってのにさあ!」
自分が不甲斐ないと言いたげに、フィシリスはふてくされる。
俺は苦笑いしつつ、水瓶の水面に沿った瓶の壁に、ナイフで線を入れた。
今つけた傷より下にも、何本かの傷が刻まれている。
この傷は、フィシリスが練習して、一度に出せる水量を増やしてきた証だ。
「まあまあ、そう焦らないでよ。コップ一杯分ぐらいは、最初より量は増えているんだから、いつかは水瓶二杯分の水を一度に出せるようになるさ」
俺が慰めの言葉をかけると、フィシリスは長椅子に寝転がったまま、拗ねた顔を向けてきた。
「そりゃあ、水瓶二杯分出るよう頑張るつもりだよ。でもね、こう増える量が少ないんじゃあ、やきもきもするさね」
「習って一年も経ってないんだから、水を出せるようになっただけで、十分だと思うけどね」
「……いまじゃいくらでも水を出せるバルティニーも、習い始めはそうだったんさね?」
その質問に、どう答えようかって悩む。
赤ん坊の頃に前世を思い出してから魔貯庫の壁を弄り始め、魔塊を回転できたのは五歳の頃で、生活用の魔法を使えるようになったのは七歳から。
けど、ちゃんと教わったらすぐに出来たと考えると、実質は一日ぐらいともいえるよね……。
なんと言うべきか迷って、言葉を濁すことにした。
「あー、俺は自己流が長かったから、ちゃんと出来るのに数年かかったったかな」
「へぇ、バルティニーでも、何年もかかったのかい。そりゃあ、あたいも頑張らないといけないねえ」
むんっと気合を入れた鼻息を放ってから、フィシリスは目を瞑る。
きっと、魔塊を回転させているのだろう。
細胞内にある魔産工場が時間超過で活性化されなくても、魔塊の回転を早める訓練はできる。
そして、回転速度を上げれば上げるほど、出てくる魔力量が増えて、その分だけ出せる水量もあがるわけだ。
もっとも、魔産工場の稼働時間の延びには、直結しないみたいだけどね。
フィシリスが練習している間に、俺は水瓶から鍋に水を入れると、残った水瓶の水を捨てていった。フィシリスの魔産工場がまた働き出したときに、水量を測る邪魔になるからだ。
そんなこんなをしていると、家の引き戸がノックされた。
来客の予定があったっけって、俺とフィシリスは首を傾げ合う。
念のため、俺は鉈の柄に手を乗せながら、戸を開いた。
「どちらさまですか?」
そう声をかけたけど、その顔を見れば誰だかわかった。
高速馬車の御者をしていた男性と、その護衛の人たちだ。
「やあやあ、さっき大物を釣る装置のところに行ってきたのだけれど、君らがいなかったのでね。家のある場所を聞いて、ここまでやってきたんだ。中に入ってもいいかな?」
俺がフィシリスに顔を向けると、頷いて許可を出した。
御者の男性は家の中に踏み入りつつ、狭さを見てか、護衛の人たちに外で待つように身振りした。
その後で、戸を閉めると、フィシリスが勧めた長椅子に腰かける。
俺とフィシリスは、もう一方の長椅子に並んで座った。
なんの用だろうと考えていると、男性がにこにこ顔で、懐から握り拳大の革袋を取り出し始める。
「いやあ、先日は大変に良いものを預けていただき、ありがとうございました。オゥラナーガを競売をしたところ、大変な目玉商品となりました。それで得たお金のうち、この革袋に入っている分が、あなたの取り分となります」
「そうかい。なら、ありがたく受け取るとするよ」
フィシリスは革袋を受け取り、ためらいなく口紐を解いて中を見る。
俺も横目で中身を確認すると、詰まっているのは全てが金貨だった。
三十枚はありそうな量に驚く俺とは違って、フィシリスはこんなものかって顔で、口紐を縛ると長椅子の上にぞんざいに置く。
なんでそんな反応なんだろうって思っていると、フィシリスが苦笑いする。
「あのオゥラナーガは、ちょっと小さかったさ。けどこの金貨の量は、お爺ちゃんがセンシシ商会に売り払ったときより、だいぶ少ないんだよ」
だろうって感じでフィシリスが見ると、御者の人は痛いところを突かれたっていう、苦笑いを浮かべていた。
「あはははっ、そう言われてしまうと、面目もありません。なにせ、珍しいものとはいえ丸のままで売ったものですからね。この町にある各種の店に、皮や内臓、骨や身にして個別に卸すよりも、実入りがちょっと少なくなってしまうのですよ」
そのちょっとが、金貨何枚の差なんだろう。
石のゴーレムと必死に戦って金貨一枚稼いのにって、俺は自分の価値観が崩れそうで、めまいを覚える。
俺が頭に手を当てている間にも、二人の商談は続いていた。
「それで、今回はあまりに急な出品だったもので、知らせてくれていればもっと金貨を用意していたという方々がいらっしゃいまして。次の入荷はいつなのかと、せっつかれましてね。釣り上げられそうな日を教えてくれれば、より宣伝が出来るというものなのですけど……」
「悪いけどね、釣りは運なんだよ。この日に釣れるって、確約することは出来やしないよ。それに釣れたとしても、オゥラナーガだとは限らないよ」
「ええ、その点は分かっておりますとも。むしろ、オゥラナーガでないほうが、こちらとしても助かるわけでして」
「それに、この金貨があれば、あたい一人だけなら十年は優に暮らせるんだ。お爺ちゃんみたいに、長年休んでもいいかもしれないねえ」
「ええー、それは困りますよ。毎月一匹とは言いません。一年に一匹程度でも、釣っていただけませんか?」
こういった漁師と商人のやり取りを、前世のドキュメンタリー番組で見たな。
その後も、はぐらかすフィシリスと、食い下がる御者の人の攻防が続く。
そして、台本でもあったかのように、あるとき急にフィシリスが折れた。
「分かったよ。そうまで言うなら、一年に一匹は釣れるように試してみるさね。けどね、アンタの商会も競売にかけるだけじゃ駄目だよ」
「はい、この町の商店に取り引きを持ちかけますとも。きっと、センシシ商会から乗り換えて下さることでしょうとも」
契約成立とばかりに、二人は握手する。
その後で、御者の人が少し首を傾げた。
「それにしても、いま大物釣りの装置を動かしている人たち、あれは誰なのですか? フィシリスさんの、新しい手下かなにかですか?」
「ははっ。あたいは手下なんて作らないさ。居ても邪魔なだけだからね。あいつらは、センシシ商会の傘下のやつらだよ。大物を釣るのを試させてくれっいうんで、貸してやっているのさ」
フィシリスが当たり前な感じで言ったことに、御者の人は飛びあがらんばかりに驚いていた。
「なんてことを! もしも大物が釣れでもしたら、センシシ商会が息を吹き返しますよ!!」
ヒートアップする御者の人とは反対に、フィシリスは余裕顔のままだ。
「どうするもなにもないさ。昨日今日始めた素人が釣れるほど、大きな海の魔物ってのは、容易い相手じゃないさね」
「それは、そうかもしれませんが……」
「それとアイツらに貸してやったのは、義理と道理を果たすためでもあるしねえ」
「義理と道理、ですか?」
「そうさ。センシシ商会の傘下って言っても、同じ町に住むもの同士だよ。多少の都合をつけてやる義理があるってものさ。それにあの装置は町の持ち物なのさ。町人から貸して欲しいといわれれば、貸すのが道理さね」
「それは、そうかもしれませんが……」
二人の様子を端で見ていて、気風を示そうとする漁師と、リスクを恐れる商人の図だとわかった。
これはどちらも譲らないな。
御者の人は悩んだ顔の後で、窺うようにフィシリスに質問する。
「貸す期限は、いつまでの約束だったのですか?」
「一応は、高速馬車が町に帰ってくるまで、だったかねえ」
「なら、今すぐにでも、止めさせましょう! そうしましょう!」
「待ちなよ。いきなり顔出して、今日の内に装置を返せってのは、あまりに非道じゃないかい。せめて何日後に返してもらうって通告のほうが、反発されないと思うけどねえ」
「そんな悠長な」
御者の人は、いつ大物が釣れてしまうかと気が気でない様子だ。
フィシリスはその姿を見て、釘を刺す。
「あまりに焦って強引に何かをしようとすると、アンタの商会もセンシシ商会と変わらないって噂が立つんじゃないかい? それはまずいと思うけどねえ?」
「それは……はい、その通りですね。いまは、我が商会はセンシシ商会とは違うというところを、この町の人たちに示しておかないといけない時期でしたね」
御者の人はして気を受けて、ようやく自分を取り戻した様で、焦りすぎだったと苦笑いする。
金貨何十枚って大きな取り引きだから、俺はその気持ちは分からなくはないかな。
御者の人は深呼吸してから、考えを入れ換えたような顔つきで、フィシリスと向き直った。
「それで、猶予期間は何日設けるおつもりでしょうか」
「そうさねえ。あたいとしては、管理人に納まるって目的は達成できたんだ。十日でも二十日でも、いっそこの夏が終わるまで、使わせてやってもいいんだけどねえ」
「……あの、それは流石に」
「分かっているよ。その顔を見れば、あたいがよくても、アンタがいつか心労で倒れそうだってことはね」
冗談だと笑ってから、フィシリスは軽い調子で考え始めた。
「まあ、十五日もやらせていたんだ。あと十日の猶予で自分の腕じゃ釣れないって、アイツらも分かるだろうさ」
「はい、あと十日ですね。分かりました、通告はこちらでやっておきます。心配は要りません、強硬な態度はとりませんから」
居ても立ってもいられないとばかりに、御者の人は長椅子から立ち上がると、急いで出て行ってしまった。
きっとその足で、大物釣りの装置がある場所に向かい、作業している人たちに通告するつもりだろうな。
商会の利益を守るためとはいえ、気苦労なことだって、思わず同情してしまう。
そんな中、フィシリスは金貨の詰まった革袋で、お手玉をしていた。
そのぞんざいな扱い方に、俺は思わず白い目を向けてしまう。
すると、フィシリスはイタズラっ子のような笑顔で、革袋を俺に差し出してきた。
「バルティニー、これが欲しいのかい?」
試すような言葉にムッとして、俺は革袋をフィシリスの手ごと掴む。
そして、彼女の胸元へ押し返した。
「フィシリスから金貨を貰おうだなんて思わない。それと、大金を見せて友情を図るようなやり方、俺は嫌いだから」
あまりに硬い口調だったからか、フィシリスが怯えるような顔になる。
「ご、ごめんよ。まさか、そんなに怒るなんて、思わなかったんだよ」
「……いいよ。誰でも思い違いはあるんだしね。次からはしないでね」
悪気はなかったと理解して、俺が態度を元に戻すと、フィシリスは安心した表情をする。
そこで俺は、空気を入れ換えるように、手をパンッと鳴らした。
「さて、じゃあ休憩終わり。もう一度、瓶に水を溜める練習に戻るよ。フィシリス一人で、あの軟体生物の魔物を、満杯に出来るようにならないといけないんでしょ」
「それもそうだったねえ……。さて、また頑張るとするかね」
俺もフィシリスも雰囲気をいつも通りに戻し、再び生活用の魔法で水を出す訓練を続けていくのだった。




