八十三話 変わり始める港町
センシシをやり込めた日から、俺とフィシリスはのんびりと装置の近くで過ごすことにした。
なにせ、大物を釣ったとしても、売る相手の高速馬車は町を離れたばかりで、売る相手がいない。
それに、まだ遠くの沖には海の魔物が泳いでいて、漁船での漁の依頼は冒険者組合にはきていないからね。
もっとも俺たちは、町の中で買い物が出来なくなったし、俺は組合から干されているんだけどね。
物を買わせなくして、こちらが根を上げるのを待つ、センシシの作戦だろうけど――
「――大海原が近くにあるんだから、兵糧攻めなんて意味ないよね」
「そうだね。あたいは魚人で漁は得意だし、バルティニーは生で魚や貝を食えるんだからねえ」
「それに俺は鍛冶魔法が使えるんだ。こうやって竈と鍋なんかを、石で作ることだって出来るから、料理だって出来るしね」
ちなみに、流木が海岸に流れ着くので、煮炊きする燃料にも困らない。
いま石の鍋で煮ているのは、魚のアラや小さな貝、そして生で食べられる海草だ。
作成した石のおたまで、灰汁を取りながら味見してみると、醤油なしで作った澄まし汁のような味だった。
「ああそうだ、食器も作らないとね」
俺は適当な大きさの石を何個か拾うと、それで鍛冶魔法でお椀のような器やフォークを、ぱぱっと作くる。
出来上がった石の食器を渡すと、フィシリスに驚かれてしまった。
「バルティニーって、なんでも出来るんだねえ。それに頭も良さそうだし。もしかして、いいところの出なのかい?」
フィシリスに似合わない神妙な顔で言うものだから、思わず吹き出してしまった。
「ぷくくっ。いや、俺はそんなんじゃないよ。荘園主の子――この町で言うなら、大型漁船の船長の息子って感じだよ」
「なるほど、大船主の子みたいなものなのかい。それにしちゃあ、随分と物腰が柔らいけどねえ」
「上に兄が二人いて、俺はオマケ程度の扱いだったからね。兄たちはちゃんとした先生に学んだけど、俺は鍛冶師のスミプト師匠と、猟師のシューハンさんに、鍛冶と猟を教えてもらったんだよ」
言いながら、石の器と肩掛けにしている弓を示す。
フィシリスはそれらを見て、納得したように頷きかけて、首を傾げた。
「それじゃあ、水を出したりする魔法は、誰から教えてもらったんだい?」
「スミプト師匠からだね。鍛冶魔法と生活用の魔法の使い方は、かなり似ているんだよ」
「へぇ、そうなのかい……」
フィシリスは何かを考える素振りをしながら、俺が作った魚介の澄まし汁を器によそると、一口飲んだ。
そして、アラについた身を歯でしごきながら食べ、骨を遠くへ投げ捨てる。
その後で、俺に顔を向けてきた。
「なあ、バルティニー。あたいに、水をだす魔法を、教えちゃくれないない?」
「えっ、魔法を?」
てっきり料理の感想を言ってくると思っていたので、予想外の要求に驚いてしまう。
すると、フィシリスは肩を落として、しょんぼりした。
「この状況だと、真水なんて手に入らないから、水を魔法で出せたらって思ったんだけど、やっぱり駄目だよねえ。魔法は他の人においそれと教えるものじゃないって聞くし、それにあたいは魚人だしねえ」
諦め交じりの言葉を聞きながら、俺はあることに疑問を抱いた。
「フィシリスが魚人だってことと魔法に、なんの関係があるの?」
「魚人や獣人は、魔法が使えないって噂なんだよ。お爺ちゃんも、あたいが魚人だから無駄だろうって、魔法のことは教えてくれなかったんだよ」
「へぇ、知らなかった」
魚人や獣人には、そんなハンデがあるのか。
でも、俺はちょっとだけ、その噂を信じ難く思った。
生活用の魔法っていうのは、体の中にある魔塊を回すことで、細胞内にある魔産工場を活性化させて、魔力を生み出す。その出てきた魔力を体外に出し、想像力でもって望みの現象に変化させる。
大まかに言えば、このようなプロセスを経る必要があるわけだ。
なら魔法を使えないとする魚人や獣人は、この工程のどこが出来ないんだろうか。
俺は、それを確かめたくなった。
「スミプト師匠から、誰かに教えるなとは言われてなかったし。フィシリス、生活用の魔法を教えてあげてもいいよ」
「……えっ? 本当かい?」
てっきり断られたと思っていたんだろう、フィシリスは聞き間違いをしたかのような顔をしている。
すぐに答えを返さなかったことを、俺は反省した。
「本当、本当。じゃあ、まずは、体内にある魔力の塊を探るところから始めよう」
「?? 魔力の塊なんて、体にあるのかい?」
なんとなく前途多難なような感じだけど、大物釣りの顛末が決着するまで暇な時間はたくさんあるから、根気よく付き合うとしましょうか。
大物釣り装置の近くで野宿し続けること十日ほど。
まだまだフィシリスは、体内にあるはずの魔塊を存在を認識できていない。もうそろそろ、彼女の努力に任せるんじゃなくて、違う方法を試そうかって考え始めたところだ。
相変わらず、物を売ってもらえない嫌がらせは続いている。
けど、崖の上から見る町の雰囲気が、なんとなく変わってきたんじゃないかって気がしてきた。
道を歩いている人が、ときどきこちらに視線を向けて、悩んだ様子になることが増えてきたからだ。
きっと、俺たちが平然と生活を続けているから、センシシの立てた作戦を信じていいかを町人が迷い始めたんだろう。
あと、フィシリスが大物を釣り上げた後で、野次馬たちに言った――
『あたいに「頼む」って頭の一つでも下げたらどうだい!! そうすりゃこっちだってね、影からこっそりと素材を流してやろうじゃないかって、気になるってもんだろうに!!』
――ってのも、効いてきているんじゃないかな。
なにせ大きな海の魔物を釣れるのは、今のところ、フィシリスだけだ。
センシシの側についていたら、これからの十年間は、彼らにその魔物の素材が手に入ることはない。
ならいっそのこと、センシシの支配を離れよう。
そんな考えを持つ人が、出てきているのかもしれない。
けど、俺とフィシリスがなにかをしなきゃいけないわけじゃないので、今日も今日とて装置の近くでのんびりと過ごす。
はずだったんだけどなぁ……。
「よお! 景気はどうだい!!」
「うぉ、本当に色々と作ってあるな。竈に鍋もあるよ。小屋でも建てたら、ここで住めるぞ」
酒や料理の材料を手に現れたのは、俺が乗ったことのある、あの大型漁船の船員たちだった。
いきなりの登場に、俺は驚いたし、フィシリスは警戒する。
「あの、どうしてここに?」
「どうしてだって? そりゃあ、陣中見舞いだよ。オレたちは、高速馬車を持つ商会の雇われだからな。センシシとは、むしろ敵みたいなもんだしな」
「胆の小さいやつらの嫌がらせに困る――いや、困っているんじゃないかって、こうやって酒や食い物を差し入れにきたんだよ」
「オレらの知り合いから、もしものときには大型の魔物の素材を手に入れるように仲立ちしてくれって、頼まれたってのもあるけどな」
明け透けに事情を話す彼らに、俺もフィシリスも拍子抜けしたような顔になった。
「そういう事情なら、持って来た物をいただきますね。フィシリスもいいだろ?」
「当たり前さ。バルティニーと二人での生活って楽しいけどね、酒が飲めなくなったことが唯一の悔いだったからねえ」
「俺がどうやったって、お酒は作り出せないしね」
実は、この生活を始めてから一回だけ、フィシリスが体内の魔塊を探すのに熱中していた傍らで、魔法で出せないかって試したことがある。
前世で学校の授業で習った、お酒がどうやって作られるのかとか、アルコール自体の化学式は、なんとなく覚えていたからだ。
けど、この世界の魔法の根幹とも言える六属性に、どう反映すればいいかで躓いた。
どう頭を捻っても無理っぽかったので、すぐに諦めちゃったんだよね。
そんなことはさておき、久々のお酒を手にして、フィシリスはとても嬉しげだ。
その姿を見て、俺は頬を緩ませる。
すると、船員の一人が軽く指先でつついてきた。
「なんですか?」
「おいおい、隠すなって。あの魚人の娘に惚れてんだろ?」
「……なに言っているんですか?」
本当になんでそんなことを言われているのか分からないんだけど、邪推してきた船員は楽しげに口元を歪め、他の船員たちも小声で喋りかけてくる。
「なら、そういうことにしておいてやるよ。だが一応言っておくが、魚人と人間の恋ってのは、実らないことが相場だからな。深入りしないようにしとけよ」
「でも、人間とじゃ子供ができないから、一夏の相手にはうってつけだぜ。あのヒヤッとする肌は、一度抱くとまた抱きたくなるもんだ」
「……ここにくるまでに、酒でも飲んだんですか?」
そうでもなきゃ、いきなり露骨な猥談を始めた理由に説明がつかない。
けど、そう思っているのは俺だけのようで、船員たちはさらに続ける。
「おいおい、まだシタことがないのか?」
「童貞か? 童貞なのか??」
口調がこっちを侮辱してくるような感じだったので、ちょっとだけムキになる。
「いや、童貞じゃないですよ。一夜だけですけど、経験はあります」
「へぇ。やっぱり冒険者だから、夜の店でか?」
「いえ、俺に色々と教えてくれた、冒険者の先輩の女性が相手ですけど」
「おお~。夜の技も、いろいろと教えてくれたってわけか~」
なんでこんな話になっているのかと、頭を抱えようとしたとき、誰かが大声を上げた。
「おい、みんな! 海を見てみろ! 大型船が出港しようとしている!!」
装置の周囲にいる全員が、その声にハッとして、海に目を向ける。
すると、本当に大型船が一席、港から外洋へ出ようと、帆を張りオールをこいで船足を加速させていた。
「なっ!? 沖にはまだ大型の魔物がいるってのに、どこの馬鹿の船だ。ちくしょう、遠目でよく見えねえな。オレらの船が乗っ取られたんじゃないだろうな!!」
「幸い、オレたちの船じゃなさそうですぜ。帆の修復跡が違ってまさあ」
「ああッ! 船の腹に魔物撃退用の弓の口があるんで、あれ渡来船ですぜ!」
「はああぁぁ?! 聞いていた出港予定は、まだまだ先だったはずだぞ!?」
大型漁船の船員たちが驚き声を上げる中、渡来船はどんどんと沖合いに出ていく。
その姿を見て、今更どうすることも出来ないと思ったのか、船員たちは酒を飲みながら様子を見始めた。
やがて、魔物が回遊する近くに渡来船はくると、船体を反転させ始める。
「……魔物を目の前に引き返すだけなら、なんで出港したんだ?」
同じ船乗りでも意味が分からないのだろう、船員たちは揃って首を傾げている。
そのときだ。
渡来船がいる遠くから、生物の悲鳴のようなものが聞こえた。
イルカの鳴き声のようだったけど、この場所まで聞こえたことから考えると、とても大きな声だったはずだ。
それを聞いて、漁船の船員たちはサッと顔を青くする。
「もしかして、あの馬鹿ども。船から銛を撃って、大型の魔物を仕留める気なのか!?」
「渡来船の装備は、大型の魔物を船に近づけさせないものだって話なのに、それで魔物を獲るなんて正気の沙汰じゃねえ!」
「つーか、そもそも船で大型の魔物が取れるなら、ここにある装置を町が出資して作るわけねえだろうが!!」
「見ろ! 船が魔物からの反撃を受けて、傾いでいるぞ!!」
「やべえ! あれじゃ転覆するか、船体に穴が開くかして沈むぞ!」
同じ海の男として黙っていられなくなったのだろう、船員たちは口々に罵声とも応援とも取れない言葉を渡来船に投げかける。
その声が届いたわけじゃないだろうけど、渡来船は傾いた船体が戻ると、帆を満杯に張りオールを素早く動かし、大急ぎで港へと引き返そうとし始めた。
「そうだ、そうだ! 早くこっちに戻ってこい!」
「無事に帰ってきたら、理由を聞いてとっちめてやるからな!!」
こちらの船員たちの言葉も、祈りがこもったものの変化し始める。
だが、攻撃を受けた魔物は、渡来船を逃すつもりはなかったようだ。
「ああ、オゥラナーガが、船体に絡みつきやがった! 船足が鈍るぞ!!」
「帆が口で破られちまった! これじゃあ逃げ切れねえ!!」
「ちくしょう! 釣りで陸に上げれば、弱った魚のようなのによお!」
まるで自分の船の出来事のように、船員が白熱する。
そんな中、あまり海と関係が深くない俺と、船に感心がなさそうなフィシリスは、冷静にこの事態を見守っていた。
やがて、渡来船はオゥラナーガに海に引きずられるようにして、横転した。
そこに、待ってましたとばかりに、他の魔物たちが襲いかかり、船は即座に海の藻屑と化した。
見ていた船員たちは、やるせない気持ちを解消するかのように、我先にと酒を飲み始める。
「ちくしょう。なんであんな無謀なことを」
「命を捨てるようなマネしやがって。どうせ海で死ぬなら、本業の貿易をして死ねってんだ」
深酒をする船員が、口々に不可解だと言う、そんな渡来船の沈没劇。
この事件の陰には、渡来船の持ち主だったセンシシがいるんじゃないかって、俺はなんとなく思ったのだった。




