八十二話 釣果交渉
大物釣り装置に戻ってみると、周囲にはやじ馬がたくさん集まっていた。
センシシの手先なのか、それとも単に興味本位できたのか。
彼ら彼女たちにどう対処しようかと、俺は考えようとした。
しかしフィシリスは、やじ馬たちを無視するように、装置のレバーを動かし始めた。
「なにしているの?」
「なにって、崖の上にオゥラナーガを上げるのさ。生きがいい間に、止めを刺しておかないとねえ」
それもそうかと、俺もレバーを動かすのを手伝っていいく。
ワイヤーを巻き上げて、オゥラナーガの頭が崖上まできたら、フィシリスはその首元にナイフを差し入れる。
オゥラナーガの長大な体からしたら、小指の爪ほどの傷ぐらいだけど、その一撃で絶命したように全く動かなくなった。
その後で、崖に打ち込まれているいくつもある滑車の覆いを、崖先から順に一つ一つ外し、ワイヤーを巻上げ続ける。
やがて、オゥラナーガの長い体は、崖の上面と側面に渡って横たわるような状態で、引っ張り上げられた。
間近で見るのも久しぶりか初めてなのだろう、やじ馬たちは興味深そうに、目の前にあるオゥラナーガに見入っている。
その様子を見ながら、俺はまだセンシシの姿がないので、首を傾げた。
「結構長い時間かかったと思うんだけど、まだきてないね?」
もうとっくに、こちらに来ていてもおかしくはないのに。
けど、フィシリスは疑問にも思ってない顔をしていた。
「へんっ。あの肉塊のような体のせいで、ここまで来るのが大変なんだろうさ」
「そういえば、町の端にある崖だったっけ」
端にあるためか、町からこの装置までくるの道は、あまり整備されてない。
あの太った体だと、たしかに歩くのが大変そうだ。
しかし、噂をすれば影がさすって前世にあった言葉の通りに、ほどなくしてセンシシが手下を引き連れて現れた。
よほど大変だったのか、全身汗だらけで、仕立てのいい服も絞れそうなほどに濡れている。
手下の人たちも少し疲れ気味なのは、きっとセンシシを後ろから押したりしたんだろうな。
そんな疲労困憊な様子のセンシシは、軽く呼吸を整えてから、俺とフィシリスに笑顔を向けてきた。
「ほぃほぃほぃー。どうやら、大物は無事に釣れたようですねえ。おおー、小ぶりですが、オゥラナーガですねえ!」
ゆさゆさと贅肉を揺らしながら、釣り上げられたオゥラナーガに近づこうとする。
その行き先を、フィシリスと俺が遮った。
そしてフィシリスは、決意を込めた目を俺に向ける。
きっと、センシシと直接対決をしたいのだろうと思い、俺は彼女に任せることにした。
フィシリスは感情が籠もった目のまま、顔をセンシシに向ける。
「ずいぶんと遅い登場だねえ。生憎だけどね、見ての通りもう釣り上がってるのさ。センシシ、約束は守ってもらうよ」
「ほぃほぃー? 約束ー? 何のことですー?」
「惚けるんじゃないよ! この夏が終わるまでに大物を釣り上げたら、これからずっと、あたいがこの装置の責任者になるって約束をしただろう!」
俺はそのことを知らないので、きっとフィシリスと出会う前――彼女が大物釣りにチャレンジし始めたときに、結ばれた約束だろう。
けど、文章に残していない、口約束っぽい。
この世界の商人相手に、そんな約束が通用するのかと、俺は固唾を飲んで見守る。
しかし、この話は町人たちの誰もが知っている件だったようで、やじ馬からヒソヒソ声がしてきた。
「やっぱり、あの噂は本当だったんだな」
「魚人の小娘に大事な装置を任せられるか、って思ってたんだがなぁ」
「見事に釣り上げているんだ。実力を認めないわけにはいかないだろう」
かなり好意的な囁き声に、フィシリスは勝ち誇った顔をしていた。
一方でセンシシはというと、少し困ったような感じに眉を曲げている。
何かしら物言いをつけるんだろうなって思っていると、本当にそうしてきた。
「その約束の件ですが、もちろんそうしますとも。ですが、その釣り上げたオゥラナーガ、いったいどうするおつもりで?」
予想外の切り口だったのか、フィシリスは困惑した顔をする。
「変なことを聞くねえ。そりゃあ、売り払うにきまっているさね」
「ほぃほぃー。では、どこに売りに行くのでしょう?」
「そりゃあ……あっ……」
なにかを言おうとして、なにかに気がついた顔で、フィシリスは固まった。
逆にセンシシは、いきなり勝ち誇った顔で笑い始める。
「ほぃほぃほぃー。売り先は、あなたのお爺さんが釣り上げた大物を取り引きした実績のある、我がセンシシ商会しかありませんよねぇ?」
「ぐ、それは……」
「なのに、そんな態度でいいのでしょうかねえ? 楯突く漁師の獲物を買ってあげるほど、商会というものは心が広くはありませんよお?」
センシシの言葉に、フィシリスは口惜しそうな表情をする。
言い返せなくなったと見たのか、センシシは畳み掛けに来た。
「と言ってもです、こちらに従順な人であれば、それはもういい取り引きをさせていただきますとも。そのためには、誠意を見せてくれませんとねえ。例えば、この装置の管理運営はこちらに譲るとか、このオゥラナーガをタダでこちらによこすとかねえ?」
一方的な要求に、フィシリスだけでなくやじ馬たちも、嫌悪感がありありと分かる表情を浮かべていた。
しかし、センシシが視線を巡らすと、周囲の人たちは顔を背けて、感情を悟られないようにする。
そんな中、俺は気になったことがあったので、フィシリスには悪いと思ったけど会話に割って入った。
「ちょっと、いいですか。なんだか、このオゥラナーガをそちらに渡すのが、いつの間にか前提になってますよね。でも、フィシリスはあなたに売るだなんて、一言も言ってないんですけれど?」
とりあえずは丁寧語で話しかけると、センシシは俺の顔を見て、初めていることに気がついたという、わざとらしい顔をした。
「おや、またあなたですか。それで、この魔物をこちらに売らないと言ってましたが、ならば誰に売るというのですか? 言っておきますけれど、ここの冒険者組合に売ることは出来ないと思いますよ。なにせ、我が商会が最大の取引相手なのですから」
センシシが言ったことが予想外で、俺にはどういうことか理解できなかった。
少しして、渡来船や多くの小型漁船を持っているってことは、それだけ依頼を出しているってことか、って気がつく。
センシシは多く依頼する分だけ、依頼の仲介料とかを払っているだろうから、組合側としてはいざこざを起こされると困るんだろうな。
けど、俺が言いたかったことは、組合に売ることじゃないので、センシシの指摘は的外れだ。
そして、冒険者すら食い物にしよとするこの肉塊に、俺は丁寧な口調を使う気すら失せた。
「あのさ。いままでの話は、オゥラナーガを丸まる一匹売れるのが、あんたの商会だけってことだろ。なら、他の店で買えるぐらいに、小分けすれば言いだけの話だよな。皮は魚燐の布を作れる防具屋に、身や骨は食堂に、内臓はたぶん薬屋に、それぞれ売れるだろうしね」
俺の指摘に、フィシリスとやじ馬たちは、そう言われてみればといった感じの顔になった。
けど、センシシは勝ちを確信する笑い声を上げる。
「ほぃーほぃーほぃー。好き勝手に、この町で物が売れると思わないことですよお。ほぼ全ての商店に、この顔が効くのですから。ほぃーほぃほぃー」
要するに、俺たちが釣った物を買わないようにと、センシシが圧力をかけるってことだろう。
そう暗に言われて、町に住む人たち――フィシリスも含めて、暗い顔になった。
けど、俺はそれが、意味のない圧力だと知っている。
「なら、別の町や村で売るだけだし。それに、ちょっと前に知ったけど、高速馬車はあんたの持ち物じゃないんだよな?」
俺の言葉に、センシシの顔が初めて笑顔じゃなくなった。
「なっ、まさか!?」
「珍しい魔物で傷が少ないものは、剥製用として高値で売れるらしいから、このオゥラナーガなんてうってつけだよな。それにあの大きな荷台なら、オゥラナーガの体を軽く折り曲げれば、なんとか入りそうだし」
「オゥラナーガの皮は、最上級の魚鱗の布になるんだ。なのに単なる剥製になんてしたら――」
「だって、この町で売れないんでしょ。なら、ここに置いておいても腐るだけだし、売れるところに売ったほうがいいじゃないか」
俺の宣言を受けて、やじ馬の中から数人が町に走っていった。多分彼らは、高速馬車の関係者の人たちなんだろうな。
そしてセンシシは、自分自身が企んだことが発端だからか、悔しげな顔で反論できなくなっていた。
なので俺は、さらに畳み掛ける。
「それにこれなら、フィシリスがこの装置の管理者になれるよね。もともとそう言う約束だったし、フィシリスが大物を卸す先は違う商会なんだから、あんたが口出しする権利はなくなるしね」
この指摘に、フィシリスはハッとした顔をした。
そして今の状況に気がついたセンシシが、焦って何かを言おうとする。
けど、俺はその発言に言葉を被せた。
「ま、待て、装置の管理の話と、いまの話は関係が――」
「さて、これで向こう十年間は、フィシリスがこの装置の管理者に決まったね。このオゥラナーガとこれから釣るであろう大物は、センシシ商会には売らない。代わりに高速馬車を運行する商会に卸すことも決まりだ」
決まったことと、俺が勝手に宣言しているだけだが、やじ馬たちもなんとなく歓迎な雰囲気だった。
たぶん、センシシが痛い目を見そうだと、暗い喜びを胸に抱いていることだろう。
その様子を見て、俺はこの決定は彼らにも影響があることを伝えないとと思った。
「そうなると、その十年間は、この町に高級品な魚鱗の布になる素材が、一切手に入らなくなるね。もしかしたら、高速馬車の商会が売った先が、その十年で高級品の魚鱗の布を販売し始めるかもしれないよね」
「な、なんだと!? それは困る!!」
俺の言葉に思わずと言った感じに声を上げたのは、やじ馬の一人だった。
漁師というよりかは、どことなく職人っぽい風貌なので、魚鱗の布かその防具を作る人なんだろうな。
けど、そのことに気がつかない振りをして、俺はセンシシからその男性に視線を移す。
「困るって、なにがですか?」
俺の視線に誘導されるように、周囲のやじ馬たちとセンシシも、その男性を見た。
周りから注目を受けて、言い逃げ出来ないと腹を括ったようで、憮然とした態度で語り始める。
「魚鱗の布――とりわけ高級品の方は、予約してくれた多くの『高貴な人』が待っている状態だ。今までは漁獲がないのだからと、大目に見てもらっていた。しかし、こうしてオゥラナーガが釣り上がったからには、きっと矢のような催促がくるに決まっている。一年はどうにか誤魔化せても、二年三年と今日と同じような状況が続けば……」
そこから先は、言わなくても分かるだろうとばかりに、黙り込んでしまった。
仕方がないので、代わりに俺の予想する。
たぶんその後は、なぜ作れないのかと詰め寄られ、素材を手に入れられなかった理由を問われるだろう。
そしてその原因が、この騒動――とりわけセンシシのせいで、大物を釣り上げることができるフィシリスが、他の場所に売っているからだと知られてしまう。
もしもそうなった場合、長年待たされた高貴な人とやらが実力行使に出ることは、簡単に想像できる。
一番優しい手段はセンシシとフィシリスの仲を取り持つことで、一番厳しいものはセンシシ自身か商会を潰すことだろうな。
なにせ、フィシリスじゃないと大物が釣り上げられないんだから、その部分だけで身の安全は保証されるしね。
あくどいセンシシも、その可能性に気がついたのだろう、丸い顔を真っ青にしていた。
「そ、そんなことになったら、この町はひっちゃかめっちゃかになる! 悪いことは言わんから、我が商会に売れ!!」
よほど悪い想像をしたのか、いままでの余裕面とは打って変わって、必死にこっちに詰め寄ってくる。
しかし俺は、フィシリスを指差す。
「どうするかは、フィシリスが決めることだ」
センシシ、そして無関係ではいられなくなったやじ馬たちが、フィシリスに救いを求めるような目を向ける。
その視線の圧力に、フィシリスは少し怯んだようだった。
しかし、ぐっと体に力を込めて踏みとどまり、彼ら彼女らに言い放つ。
「悪いけど、あたいはバルティニーの提案をのむよ。このオゥラナーガとこれから釣る全ての大物は、クソジジイ――センシシ商会には一匹たりとも売らない!」
その宣言を受け、センシシは必死にフィシリスの心変わりを促し始めた。
「この町に生まれ住んできたというのに、薄情な! 皆の生活がかかっている問題なんだぞ!!」
「知るか、このクソジジイ! お爺ちゃんが死ぬ前も死んでからも、あたいに対してなにかをしてくれたことがあったのかい!! さっきだって、金に物を言わせて約束を反故にしようとしたじゃないか! そんな道理を無視する輩にかける情けを、あたいは持ち合わせちゃいないよ!」
センシシに怒鳴ってから、やじ馬たちにフィシリスは顔を向ける。
「あんたらもあんたらだ! 自分の生活がかかってんならね、このクソジジイの顔色ばかりうかがうんじゃなくて、あたいに「頼む」って頭の一つでも下げたらどうだい!! そうすりゃこっちだってね、影からこっそりと素材を流してやろうじゃないかって、気になるってもんだろうに!!」
やじ馬たちは怒鳴られて、居た堪れない顔をしている。
けど、俺は気がついていた。
フィシリスは『センシシ商会に売らない』と言っただけで、『高速馬車の商会に全て卸す』とも『この町の誰にも売らない』とも言ってないことを。
ちゃんと人の気持ちを推し量れる子なんだなって、フィシリスの人物像を再認識する。
そうしていると、やじ馬を掻き分けるようにして、一人の男性が近づいてきた。
俺はその顔に見覚えがある。
高速馬車の御者台に座っていた人だ。
「やあやあ、どうもどうも。なにやら、オゥラナーガを売ってくれると聞いて、やってきました。おおー、こちらを売ってくださるのですね?」
周囲に愛想笑いをしてから、オゥラナーガに近寄っていく。
センシシが何かを言おうとするが、フィシリスの声が先だった。
「ああ、持ってってくんな。お金はそれを売った後の払いでいいから」
「そんな好条件で良いのですか!? どれほどの金貨を払えば良いか分からなかったので、そう言ってくださって助かります。いやあ、最近は漁がさっぱりでしたからね、荷台が空いて空いてしょうがなかったんですが、この一匹で満載になりますよ」
フィシリス相手に愛想笑いとビジネストークをしかけながら、手で誰かにオゥラナーガを運び出せと指示している。
するとやじ馬の外周にいた三十人ぐらいの屈強な男たちが前にでてきて、オゥラナーガの口にある釣り針を外した。
そして協力して神輿担ぎで持つと、町の中へと運ぼうとする。
「それでは、わたくしもこれにて。販売結果をお楽しみにしててくださいね」
「長ったらしいんだよ。分かったから、さっさと行った行った」
うんざり顔のフィシリスが手を追い払うように動かすと、オゥラナーガを担ぐ人たちとともに、高速馬車の御者の人は歩き出した。
そのとき、センシシ商会の手下たちが進行を塞ごうとしたようだけど、人数差と腕力の差で蹴散らされてしまった。
話題の元だったオゥラナーガがなくなると、やじ馬たちは思案顔をしたまま散り始めた。
そうして、この場所にいるのは俺とフィシリス、そしてセンシシ商会の人たちだ。
センシシは呆然とした顔から、一転して顔色を真っ赤にして、こちらを睨みつけてくる。
「よくも、他の商会に売り払ってくれたな。これで我が商会は窮地に立たされてしまった!」
自分の行いが元なのを、すっぱりと忘れている発言に、俺は呆れてしまった。
「そう怒鳴ったところで、オゥラナーガが手に入らないぞ。どうせなら、そっちも海にいる大型の魔物を獲ってくれば、窮地はなくなるんじゃない?」
「ふんっ。もちろん、そう思っていたし、そうさせてもらうつもりだ。いくぞ、お前たち!」
センシシは怒り肩と歩くたびに揺れる贅肉を見せ付けるように、ずんずんと足音を立てて去っていく。
手下たちは、センシシと俺たちを交互に見てから、こちらを睨みつけてさっていった。
そうして周囲が静かになると、フィシリスは疲れきったように、地面に座り込む。
「平気?」
「ああ、大丈夫さね。ちょっとイラついて、つい怒鳴っちまったことに、自己嫌悪しているだけだから」
体育座りで頭を抱え始めた姿を見て、俺はどう慰めようかと考えていく。
けど言い考えが浮かばなかったので、フィシリスの隣に座るぐらいしかできない。
そしてなにを言うでもなく、波の音や潮風を感覚するだけの時間が訪れる。
少しして、フィシリスは頭を俺の肩に預けてきた。
「どうしたの?」
「ちょっと誰かに寄りかかりたかったのさ。駄目かい?」
「ううん、かまわないよ」
これがどんな慰めになるかは分かっていないけど、フィシリスの気がすむまで、俺は肩を貸し続けるのだった。




